第11話

「そうだ。お前の星図と俺自身の星図を重ねた時に、お前は俺のために生まれてきた形になる」

蜥蜴さんのために生まれてきた。その言葉に嫌な気はしなかった。

この数年間、特別なモノをたくさんもらってきた。形として残っているものばかりではないが、ユーリにとって蜥蜴さんと過ごす時間が何物にも代えがたい宝物となっていた。蜥蜴さんが話し出せば、ユーリの知らないことを語ってくれる、時には外に連れ出して他の国のことを感じさせてくれる。そして常に気を配って守ってもらえている、そんな安心感をも与えてくれていた。

そんな人に何か返したいのに、なかなかいいアイディアが思いつかなかったが、俺自身が彼のためにいるのならば、生きて傍にいるだけでいいのかもしれないという安易な考えに行きつく。

「君さ、いなくなってからだいぶ経つけど、その理由ってその子だったりする?」

「そうだ」

無言で見つめ合う二人に呆れたように声をかけてくる来訪者に蜥蜴さんはユーリから目を逸らすことなく返事をする。

「人の子で男だよね?」

「星の導きだからな、人で男だから何だ」

「君なら言語を介さない動物でもいけそうだけど……いや、まさかあの君がねえ」

「言語が異なるならば変えればいいだけだ」

来訪者は、これだから妖精は、と半ば嫌味のように言い放ってソファから立ち上がる。

「今日は、先日君から送られてきた手紙のことできたんだけど、彼もいていいの?」

「構わない、そもそもなぜおまえが来た」

「やだなあ、そんなこと言わないでよ。同じ研究棟の仲間じゃないか」

「他に探索が得意なやつはいなかったのか」

「残念ながら僕が一番得意ですー」

人を侮ったように飄々としている男には視線を移さずに深いため息を漏らす蜥蜴さんは、要件を言えと端的に告げる。

「そうそう、君からの手紙の件だよ。忘れるところだった。先日の手紙に、教会の権威の失墜って記載されていたんだけど、覚えてる?」

「ああ、星々の位置をみると近いうちに権威が落ちるだろう。ただそれが、どんな形かはわからないがな」

「それって本当なの?しかも王家が手を出さないってそんな美味しい話あるのかなー」

「星を読んだまでだ」

訪れた男は、ユーリにちらりと視線を向けるとばつの悪そうな表情をしていたものの渋々といった様子で話し出す。

「ここだけの話……この子の前で話にくいな」

どうやらあまり聞かれたくない話のようだが、教会というキーワードはユーリにとって自分が進んだかもしれないもうひとつの道だったため、その場を離れるという選択肢を選ぶことはできなかった。

蜥蜴さんも、そんなユーリの気持ちを分かってか窘めることもしない。

「気にするな」

肩をすくめて、仕方がないと一呼吸置いた訪問者は、先程の続きを話し始めた。

「聖職者たちの責任を担っていた、前司教が数年前に亡くなったのは知っていると思う。彼の善行によって教会の確固たる地位が築かれたと言っても過言ではない人だったし、王家と共に国を築いていく姿勢もあったから何ら問題はなかったんだ」

そこから続く話は、後任の司教の振る舞いが問題となっていたといるということだった。

教会の威光を笠に着て、各地で巡礼と称して神への貢物として金品や家畜、生活に必要とされている物をむやみに巻き上げたり、改宗しない民を国外に追いやったりと好き放題しているが、引いては、そうした教会に下手に手を出せない王家に対して民心も離れつつあるのが目下の問題のようだった。

「手が出せないのはなんでなの」

「そりゃ宮中にも教会から美味しい蜜を吸っているやつらが蔓延ってるからだろうね」

ユーリがちょうどよく話が切れたところで疑問を投げかけると、片手で頭を抱えるような仕草をしながら訪問者は答えた。

「頭の痛い問題だったようだな」

「ちょっと、過去形にするのはやめてよ。未だに頭の痛い問題だよ」

「まだ何かあるのか」

「君を信用してないわけじゃないんだけど、ことが事だから慎重になってるんだ。今の王宮では少し歩けば教会に関係してる人にぶつかる状態だからね……ここ最近では人さらいの真似事まではじめてるらしいから」

「人さらいだと?」

「珍しいね、君が他人に興味を示すなんて。まあ、これはあくまでも噂だけど、教会が巡教に訪れた街で次々と人がいなくなってるんだよ。それもその街や村一番の見目麗しい……子が……ってまさかその子……」

表情に疲れが見て取れる訪問者は自棄になったように事情を説明していたが、蜥蜴さんの少し後ろにいるユーリをしっかり捉えると、目を大きく見開いた。

「君、その子に何したの」

「祝福だが、問題あるのか」

「これだから妖精は嫌いなんだ!気まぐれに人間の世界に干渉しやがって」

飄々としていた訪問者が、急に大きな声を出すと髪の毛が逆立ち始め肌だったところがみるみるうちに毛で覆われていく。先程まで人間の様相だったものは獣へと姿を変えたのだ。ユーリはこの世のことを蜥蜴さんの言葉と書物で知った気になっていたが、目の前の獣人族を見るのも知るのも初めてで、また知らない世界に足を踏み入れてしまったと眩暈を覚える。

「姿が保ててないぞ」

「知ってるよ、あの姿は疲れるからいいよ。それにしても久しぶりに君の無頓着さを浴びて怒りがこみ上げてきたよ」

すっかり姿を変えた訪問者は、声帯まで変わったかのように低くしゃがれた声と唸り声がまじるようになっている。怯えたユーリは無意識に蜥蜴さんの服を掴む。

「俺の愛し子が怯えてるぞ、早く帰れ」

「君さ……研究棟にいたころから思ってたけど他者に対して冷たすぎるよ。こんな森の奥まできてる友人に対して」

「友人ではない」

被せる様に言い放った蜥蜴さんに一瞬悲しそうな顔をする訪問者だったが、すぐに口角をあげてに牙をみせて笑うと、「今夜は泊めてもらうからね」と予想外な一言を告げたのだった。

拒否する蜥蜴さんを他所にターゲットにされたのはユーリで、研究棟の頃の蜥蜴さんの話は聞きたくないか、という甘い誘惑に負けた結果、訪問者を一晩泊めることになったのだった。


その晩、蜥蜴さんの使い魔が用意してくれた食事を囲むと、訪問者は酒を注がれたグラスを片手に持ち、顔の前まで持ち上げて一口で酒を呷る。グラスまで飲み込んでしまいそうな大きな口にも、そろそろ慣れてきたなと、ユーリは黙々と食事を口に運んだ。

「妖精に愛された子よ、名前はなんというんだ?」

「ユーリだよ」

「ふーん、響きが良い名だ。君たちは、名があって羨ましいよ。僕もかつてはあったんだけど、王国の研究棟に入るには、名と身分を捨てて只人にならないといけないという条件があってね」

目を細めた訪問者は、懐古的な表情でどこか愁いを帯びた瞳をしている。その気持ちをどう受け止めていいかわからなかったユーリは、無意識に蜥蜴さんへと視線を泳がせた。しかし、蜥蜴さんは、一瞬ユーリを見たかと思うと、すぐに視線を手元の肉に戻してつまらなそうに食事を続ける。ああ、全く興味がないという挙動だな。それでは遠慮なく、訪問者の相手を努めようと思いつくままに口を開いた。

「じゃあ、研究棟ではお互いを呼び合うことをしないんだね、不便そうだ」

「それが不便と思うほど、関わりなんて持たないんだ。そこにいる彼もそうだけど、起きる時間は皆まちまちだし、起きたとしても食事をとるのを忘れるほど研究に没頭してるから、滅多に部屋から出てこないしね。かく言う僕もほとんどが部屋で過ごしているよ、僕の種族は鼻が利くから、迂闊に外を歩くと王都の臭いはきついのさ」

使い魔に注がれた酒を一息に呷っては、また注がれるのを繰り返していた訪問者は、ずっと手離さなかったグラスを一旦テーブルに置くと、毛に覆われた手先でカトラリー類を使いこなして、食事を口に運ぶ。二三回咀嚼しただけで飲み込む時に、喉元が大きく動くのに合わせてユーリの視線も上下する。

「すごいね……獣人、って言っていいのかな、初めて見るからつい見入っちゃうよ」

「はは、とても視線を感じると思ってたけど、久しぶりに人と話すし悪い気はしないな。美しい君に見つめられて役得かな」

「渡さないぞ」

それまで、空気と化して存在を消していた蜥蜴さんが突然言葉を発したので、ユーリと訪問者の視線は自然と蜥蜴さんに向けられた。

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