第6話

塔の男に会いに行くと決めたユーリは早かった。いつもの服に着替えると、教会を飛び出す。後ろからシスターの声が聞こえたので、塔に行ってくると大声で叫ぶ。きっと怒っているだろうと、シスターの鬼の形相を思い出して身震いをするが、ユーリの駆けだした足は止まらない。

りんごの果樹林を越え、湖を月明かりが映し出すのを横目に塔へ一直線に進む。ここからが長いぞと意気込んだが、湖の森を越えると緩やかな坂の上に建つ塔にすぐに着いてしまった。

森は開かれた。その言葉が脳裏に浮かぶ。あの不思議な男が森に何か仕掛けていたいたのだろうか。

塔の高窓からは淡い明かりが漏れていて、暗い周囲をほんのりと照らしている。

呼吸を整えて、塔の扉を叩く。しばらく待っても開く様子がなかったので、先ほどよりも強く叩いてみると、中の閂が外れる音がした。

ゆっくりと中に入ると、真っ暗な廊下の奥の部屋の扉から明かりがみえる。その明かりを頼りに歩き出し、部屋の前に立つがその扉を開ける勇気が湧いてこない。この人にまで拒絶されたらどうしよう、とドアノブに伸ばした手が止まる。そうか、俺は助けてほしいと縋りにきたのかとここまで来てやっと自分の意思がはっきりとした。

「どうした、入らないのか」

いつまでも入ってこないユーリに業を煮やしたのか、少し苛立った声が扉越しに飛んできた。男の言葉を受けて、慌てたように部屋の中に入ると独特の香りがユーリの鼻を掠める。男は埋もれそうな机の奥に座しており、万年筆を紙に滑らしているようだ。筆記音が心地いい音を奏でている。

「あの、聞きたいことがあって、来ました」

「そうか、そこにかけるといい」

そこ。と指定されたのは、机の前に置かれた一人がけのソファだろう。ユーリは、素直に指定された場所へ座ると、間を置かずに口を開いた。

「あなたが知っていること全て知りたいです」

男は万年筆をゆっくり置いて椅子の背もたれに寄りかかり、ユーリと顔を合わせるように向かい合う。ユーリは、男がローブを脱いでいることに初めて気がつく。大聖堂で会った時よりも薄着で首元が大きくあいた服を纏っており、首筋にランプの淡い光があたり肌が艶めいて見える。首筋に彫られた動物の入れ墨が微かに動いたように見えた。

「大教会でも言ったが、そのペンダントはお前が教会の軒先に捨てられた時に俺が渡したものだ。お前の母とは一切関係ない。俺がお前を見守れないときに助けを請うと知らせがくるようにしてある」

「なんでそんなことを…?あなたは俺の何?」

男は足を組み替えると、その上に組んだ手を置く。ユーリはその所作を見つめ男の言葉を待つ。

「お前が俺の運命だからだ」

言葉を失ってしまう。変な人だとは思っていたが、本格的におかしな人だ!この人は助けてくれるような人ではない、むしろ危険だ。ユーリは、危険な存在から逃げ場を探すように目線をさまよわせるが、明らかに、扉より男との距離の方が近い。しかも相手は一瞬で移動が出来てしまう。

「大聖堂でも言ったろう、俺のだと」

「それは、…血のつながりとかそっちかと思ってたよ。…俺と関係ないってことは分かったよ。じゃあ妖精の偏愛って言葉に聞き覚えはありますか?」

ユーリはこの話を無事に終え、塔から出ることを目的に切り替えて素早く質問を重ねる。

「聞いたことはない。が、心当たりはあるな。赤子のお前に祝福を贈った」

「いやいや!ちょっとまって、確認なんだけど、あなた本当に何者?人間?」

「人間ではない、種族で言うならば妖精だな」

勢いよく立ち上がったユーリの背後で一人掛けのソファの脚と床が擦れて鈍い音がする。目の前の現実が受け入れられない。この目の前の男は、妖精って言ったか?教会の講堂で見せられた本に載っている話通りなら、俺はこのまま攫われてしまうのだろうか、来るんじゃなかったとまた今更な後悔をし始める。

「…攫う気なの?」

唇を震わせて、絞り出すように言葉を紡ぐのが精一杯だった。

男は、眉間に皺を寄せて、不可解なものを見るように瞳にユーリを映している。

「年頃まで神の手元にあるよう、星の導きがなければ攫っていたな。赤子のときに」

「星の導き?」

男は机に手を伸ばすと、一枚の紙を掴みユーリに手渡す。一瞬後ろに足を引いたユーリのふくらはぎにソファの布地が触れる。渡された紙には、文字と図形が紙を埋めつくすように書かれていた。その紙がなんだというのか。今度はユーリが眉間に皺を寄せて、不可解なものをみるように目の前の男に視線を戻す。

「俺は占星術師だ。計算して導き出された星の軌道を読んでいる。国の有事を読むのが仕事だが、それとは別にずっと俺だけの運命を探していた」

「何言ってんの」

男は、心なしか高揚したように話をしているが、全く分からない。思わず、呆れたような声で冷静に突っ込むと、気まずい空気が二人の間を漂う。

「分かった。ありがとうございました」

気まずい空気に耐えかねて先に口を開いたユーリは、何も聞かなかったことにして塔を出ようと礼を告げて、扉に向かう。ごく自然にと心の中で呟いて。

「どこに行く気だ」

家に帰るよ、と言うと男はゆっくりと立ち上がり、こちらに近づいてくる。その様子をまばたきせずに凝視する。ただ、立って歩いてるだけなのに、この世のものとは思えないほど美しい。妖精種ということに納得をせざる得ない容姿に、まるで魔法そのものみたいな滑らかな存在が手を伸ばせば触れられるところにいる。

「大教会に行くのか?あそこはだめだ、お前を手放さないだろう」

「それはどういうことなの?」

「大教会はある程度の地位を得なければ自由はない。その自由も仕事に紐づいているから本当の自由とは言えない。基本は王都の大教会に留って祈り手として、要は薬師だな。回復魔法を使用して薬を調合して施すのが主な仕事になる。薬の調合は資質のバランスが良い者でないと扱いにくいので祈り手は少ない。貴重な祈り手というだけじゃない。俺の祝福のおかげで美しく育ったお前を囲いたいと思うやつは王都にはたくさんいるだろうな」

「なんで俺の資質を知ってるの?」

「星を読めばわかる」

「なんだよ星って…。どうしたらいいんだよ。俺、成人したら教会を出て、普通に働いて、結婚して暮らしていくと思ってたんだ。それが想像してた生活だったんだよ…なのに急に祈り手とか祝福とか、分かんないよ。美しいだなんて、こうなってから初めていわれたよ。美しいと危険な世界なの?それすら誰も教えてくれなかった。自分のことは自分で守っていかないといけないの?」

震える体を自身の腕で抱える。そうだ、自分がどうなっていくかが全く分からないのだ。シスターの導いた道の先に進むしかなかったユーリにはその先が真っ暗で何も見えなかったのだ。

「そうだな、お前が思っている以上にこの世界は危険に満ちている。この穏やかな郊外の街ですら物取りや人さらいがいる。そして人よりも少し貴重なものを持っているお前は狙われやすいだろう。大教会に行けと言ったのがシスターであれば、ここよりも安全であるというのを信じているからこそ導いたんだろうが、悪意はどこにでもあるものだ。絶対に安全な場所などどこにもない」

「じゃあ!俺はどうやって自分を守ればいいんだよ、誰がそれを教えてくれるんだ!あんたが教えてくれるっていうのか!」

やるせない気持ちから目の前にいる男の胸を叩く、されるがままの男はユーリの拳を黙って受け止めていた。

叩き疲れたユーリは、腕をだらりと重力に従わせて佇む。男がユーリの顔を覗き込むように屈んだことによって、二人の瞳と瞳がぶつかる。

「いいぞ、教えてやろう」

口角を微かにあげているだけの男の表情は、神々しいよりも、禍々しさすらユーリに感じさせた。瞳は妖しく光り、獲物を狙って逃さないというような威圧に、選択を誤ったのではないか、とユーリに思わせるように笑ったのだった。

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