第5話
「え…」
口をあけて、塔の男を見上げると、冷たく鋭い瞳と目が合う。確かに、この人を呼んだのはユーリ自身だったが、本当にまた現れると思ってもみず、その鋭い瞳に怒りが見えたように思えて、見返すことができずに視線を逸らす。
「何者だ!」
大聖堂の壁に控えていた数人の衛兵たちは閃光の影響が少なかったのか、すぐに槍をかまえて近づいてくる。目の前にいた老いた男と両脇の男たちは目元を手で覆ってよろめいている。子どもたちもうずくまり呻いていたり泣き出してしまい、辺りは騒然となる。
「何者だと聞いている!答えろ!」
周りの子どもを退避させた衛兵たちは、男に向けて威圧的な声で誰何を問い続けるが、微動だにしない男にいら立っているようにみえる。塔の男を見上げると、眉間に皺を寄せて考えるように顎をさすっている。男は何かの結論に至ったのか、ああ、そうか。と呟くとユーリの肩に手を置いた。手のひらから伝わるじんわりとした体温に緊張で固まった体がほんの少しほぐれる。どうやら怒ってはないようだ。
目の前の年老いた男は徐々に視覚を取り戻したのか、おぼろげにユーリとその背に立つ男を認めて静かに口を開いた。
「あなたは?」
「こいつが欲しいのか?」
質問に質問を返された年老いた男は、目を見開いたまま固まるが、咳ばらいをするとストラを正して気を取り直した。
「資質のバランスが良い者は教会で育てたいとは思います。が、それがあなたに関係がおありで?」
「ああ、だめだ。こいつは生まれた時から俺のだ」
年老いた男だけではない、ユーリ自身すら、言葉の意味がかみ砕けない。困惑したままのユーリの手を引くと塔の男は、大聖堂を平然と闊歩していく。その姿があまりにも堂々としすぎて、周りの誰もが制止することを忘れる。
そのまま大聖堂の扉を出て、引かれるままに早歩きでついていく。口を開くことのない男に、何が何だかわからないが、これだけは聞かねばと勇気を出してつながれた男の手を引っ張る。
「お、お父さんなの?」
「…違う」
「じゃあお母さんがあなたを遣わせたの?」
「違う」
じゃあ、とさらに質問を重ねようとしたのを、足を止めて振り返った男に遮られた。
「お前の母親とは関係ない。ペンダントのことを言ってるならそれはずっと俺のだったし、今はお前のだ。それ以外の手に渡ったことはない」
「じゃあ、あなたは誰なの?」
その質問は控室から出てきたのであろうシスターの、焦りを含む声にかき消された。ユーリに答えることなく男は一陣の風をまとって消えてしまった。「森は開かれた」この言葉が風と共にユーリの耳をかすめていった。
「ユーリ!どうしてここにいるんです、洗礼式は?それよりも、先ほどの男の方はどなたですか?え?いたわよね?」
「塔の人」
「はい?塔ですって?ユーリ、いつ塔に行ったのですか。あそこは行くなとあんなに言っていたじゃないですか!」
「シスター!それよりも早く帰ろう!早く!」
いろいろなことが起こりすぎた、ユーリは放心状態から今の状況を思い出し、大教会の大人たちに捕まったら事情を説明するよう求められるだろうと考えた末、すぐにこの場を離れるようシスターのスカートローブの裾を強く引っ張ると、足早に外に出る。
事情を問いただすなら、ユーリではなく塔の男にお願いしたい!
もっとも、その男の姿はもうここにはいないのだから、そんな願いは届かないが、ペンダントを媒体にして飛んできてるならばもう一度呼んでやろうかとペンダントを握る。しかし、あの鋭い瞳をもう一度見る勇気はユーリにはなかった。
「シスター!なんで洗礼式が始まる時に、起こしていってくれなかったのさ!というか、そんなことより、資質に刻まれる言葉って何?そんなのきいたことないよ!」
半ば八つ当たりのようにまくし立てるユーリに、訳の分からないシスターが困惑したように眉を下げている。
「起こしましたよ。返事が返ってきたので大丈夫かと思って大聖堂を出たのですが、寝ていたのね。それよりも、なんと言いました?資質に言葉が刻まれていたですって?」
小走りなユーリに、足早についてくるシスター。二人の周りの景色は流れるように過ぎていく。寄り合い馬車がもうすぐ出発というところに転がり込むように乗った二人は、乱れた呼吸を整えるように深呼吸をした。
落ち着いたところで、話の続きをとシスターに促される。他にも馬車には人が乗っていたためユーリは声を潜めてシスターにことの経緯を説明する。
話し終えたユーリが顔を伺うと、シスターは目を伏せて黙り込んでいた。そして、教会に着いてから話しましょうとだけ言って馬車から見える外を見つめ、それ以降ユーリを見ることはなかった。
ユーリがどれだけ呆れるような事や怒らせるような事をしても、シスターが視線を逸らすなんてことは今まで無かった。よそよそしいその行動がショックで、ずっと掴んでいた裾を静かに離すと、顔を伏せて馬車の揺れに身を委ねる。突き放さたショックと得体の知れない不安に涙が込み上げてくるが、涙をこぼすまいと必死で我慢し、唇をかみ締めた。二人の間の沈黙は破られることなく教会近くの街まで着いてしまう。
教会の講堂へ着くまで、シスターから話しかけられることもなく、ユーリの気分はますます落ち込んでいく一方だった。
講堂の窓からは陽が差し込み、置かれた木の椅子の年季を重ねた艶を際立たせていた。
向かい合うようにシスターとユーリは座る。シスターは手元に置かれた本を数ページ開くとそのページを開いたままユーリへと渡してきた。
「そこには、昔の出来事として妖精の祝福について書かれているのです。妖精は気まぐれで気に入った人間に祝福を与えたり、連れ去ったりすることがあったと記されているわ」
手渡されたページの字は読めないが、描かれた絵をじっと眺める。
「祝福を受けるのはとても珍しいことですし、バランスの良い資質は教会にとって貴重な祈り手になります。なので、大教会はあなたを保護しようとしたのではないかしら。いいですか、ユーリ。あなたは他の人よりも美しく育っています。それが妖精の祝福を受けたというのなら尚更…」
「尚更、何になるの…」
眉尻を下げたシスターの表情、瞳には同情のような色が含まれていた。
「この世には美しいというだけで、危ない目に合う人がいます。妖精の祝福となれば、世間の興味は高くなり、見世物にしたり売ってしまおうと考える悪い人もいます。保護してくれる方が稀なのよ」
シスターは、開かれた本の上に視線を落としたまま、黙って聞いているユーリに諭すように語り掛ける。
「このままこの街にいては守ってあげるのにも限界があるわ。ましてや、戦い方や身の守り方を教えてくれる人もいない」
「この街にいられないってこと?」
僅かに唇が震えていたのか、発せられた言葉も揺れていた。そんなユーリを宥めるようにシスターの手が頭を優しく撫でる。
「いられないわけではないけれど、とても難しいわ。けど、大教会では自分の身を守る手段を教えてくれるはずですし、大きくなったあなたがまたこの街戻ってくることはできると思うの」
「シスター、俺分からないよ。どうしたらいいのかな、ここを出て行くしかないのかな」
「大教会へ行くことを勧めるわ」
そう、話しを締めくくったシスターは、大事なものを包むように抱きしめてくれる。ユーリは、シスターからの勧めに心の片隅で抵抗していた。あの不躾な視線、空気感、何もかもが嫌だったのが脳裏をよぎる。しかし、今の自分には大教会へ行くしか道はないという未熟さが悔しくて、とどめなく涙がこみ上げてくるのを止めることは出来なかった。
泣きじゃくるユーリの背中をさするシスターの目にも涙が溜まっていた。
夕刻の鐘の音が講堂に鳴り響く。二人はどちらともなく離れて、お互いの顔を見て笑いあう。ありがとうとユーリが呟くと、シスターは頭を優しく撫でて、いつまでも味方ですよ。とスカートローブの裾を払い立ち上がる。
「さ、ご飯の準備をしてきますね。顔を洗ってくるといいわ」
そう言って先に講堂を去った。ユーリは、瞼の熱を冷やすために水場に向かい、桶に水を溜めるとそこに顔を突っ込む。
大教会での出来事を思い出す。資質に刻まれたのは『妖精の偏愛』そして、母親との繋がりだと思っていたペンダントは、知らない誰かのもので、その知らない誰かは、森は開かれたと言い残していった。この一連の話にあの塔の男が無関係とは思えない。
大教会に行くことを決める前に、ユーリはあの男に会わないといけない気がした。
「ぷはっ…早く会いに行かないと」
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