第4話
昨晩は散々な目に合った。森でのことではない。
一緒に出かけてた子どもたちが「ユーリがいない」と慌てふためき、それを聞いたシスターが探索願いを街に出そうとしているところに、失踪した当の本人がひょっこり現れたものだから、サイモンだけじゃなく双子まで泣いて抱きつくし、シスターは鬼の形相だしでてんやわんやの騒ぎになってしまったのだ。
その後、体を清める間も、食事中も、お祈りを終え、ベットに入り込むまで、ユーリはシスターに張り付かれ監視されるはめとなった。そして最悪なことに、シスターの鬼の形相が、目を閉じても眼の裏に焼き付いて離れなくなってしまった。
「ユーリ、準備の時間ですよ」
カーテンの隙間から陽射しが柔らかく差し込む朝、シスターが静かに部屋の戸を叩く。目覚めていたユーリは、シーツのぬくもりに名残惜しさを感じながらも体を起こし、ひんやりとした床に足をおろす。サイモンと双子が穏やかな寝息をたてている中、ベットサイドに準備してある服を掴み、忍び足で部屋を出た。
水場で顔を洗おうと首元のペンダントを外すと手に持ったまま森での出来事を思い返す。あの人はなんだったのだろう。ユーリが赤子の頃に、教会前に置かれたバスケットの中に入っていたペンダントは家族との繋がりかと思っていたが、昨日の出来事との繋がりは何なのだろうか。
考えても答えが出ない問題に、手に持ったペンダントを水場の近くに置くと、冷たい水を手一杯に掬い雑念を払うように何度も顔を洗う。準備していたタオルで丁寧に顔を拭い、シスターに借りた櫛を髪に通す。昨晩も念入りに櫛を通され、頭を何度も撫でる感触がくすぐったさを覚えたのを思い出す。
外したペンダントを手に取り、身につけるのを一瞬ためらうが、首元に重みがないことに違和感を覚えるくらい馴染んだそれをつける。傍らに無造作に置いた服に袖を通したはいいが、普段とは違う掛けボタンに手こずっていると、シスターが水場に様子を見に来た。
「あら、ボタンは私がしてあげますから、下も履き替えて食堂に来なさいね」
「シスター…いつもの一枚服じゃだめなの?」
いかにも不満です。という顔を隠さずに、掛けボタンの服をつまんでみせる。
「はいはい、文句があるのはわかりましたけど今日は我慢なさい」
ボタンを掴んで不貞腐れたユーリに、取り合うこともせずに先に食堂へと向かったようだ。大きなため息を吐いたユーリは仕方なく、下の履物に足をくぐらせると中途半端な姿の自分を見下ろす。ぷっと吹き出し、このおかしさを誰かと共有したくなって、双子たちのいる部屋へ戻ろうと食堂の前を通り過ぎようとしたが、待ち構えていたシスターに首根っこ掴まれ、正装を整えられてしまった。
いつもの服より格式ばっている前掛けボタンの服はユーリのために作られたかのようにぴったりと体に添い、動くたびに布が肌を擦る。むずがゆい。
その思いを抱えたまま、シスターと寄り合い馬車に乗り込み王都へと発ったのだ。
王都の大教会についたユーリは、頭を抱えていた。人が多い。多すぎる。
生まれ育った王都郊外の街もそれなりに人が多い街だと思っていたが、比じゃない。あちらこちらから人の声や、足音、荷車の音、物がぶつかりあう音、ここには音が溢れすぎている。
少し早めに着いたのでシスターはユーリに街を見て回るかと提案してくれたが、楽しむ余裕などないユーリは、小さく首を横に振るとそそくさと大教会の中へと入り込んだ。
大教会の中は、まだぽつりぽつりと人がまばらにいるだけだったが、今から王都近郊の人々がたくさんここに溢れかえる様を想像すると、背筋に汗がつたうのを感じる。大聖堂まで続く石造りの壁に背中を預けるとユーリの体は冷たく硬い頑丈さに支えられる。深く息を吸い込み顔を上げる。後ろをついてきたシスターが心配そうに顔を覗き込んでくる。
「ユーリ、大丈夫?」
「うん、少し気分悪くなちゃった。でも大丈夫」
「昔から人が多いところは苦手ですものね…」
「そうだったかな、でも街は好きじゃないかも」
微かな記憶を辿れば、確かに街に出ると具合が悪くなるような気がした。幼いながらも、人々の不躾な視線が居心地悪く感じていたのだった。教会出身の子だからなのだろうか、それとも何か悪いことをしたのだろうか。小さな頃から人の視線をあびる事が多かったように思う。今日もその事が頭をよぎったのか、妙に脈が早く、呼吸が乱れ、落ち着かなくなったのだった。
喧騒から離れ落ち着きを取り戻したユーリに、やっと周りの景色が見えてくる。石造りの廊下は天井が高く、支える石柱は滑らかに削られ、天井に向けて緩やかな曲線を描いて伸びている。柱の上にはり渡る飾り梁は、大聖堂までの柱の本数分あり、一つ一つに繊細に彫りが刻まれ、丁寧に入念に削り出された石には、無骨さのかけらも残していない。柱と柱の間の窓枠にはめ込まれたガラスは見たことがないほど透明で、そのままそこから外に出れると錯覚するほどだった。
大聖堂の大きな木の扉の前には、マントを被り、教会のシンボルと蔦の刺繡が施されたストラを下げた男性が静かに佇んでいた。シスターが一礼をすると男も返すように頭を軽く下げる。
「大聖堂の中でお待ちになりますか?」
「ええ、少し気分が悪いようなので座らせていただいても大丈夫でしょうか?」
「どうぞ」
無駄な所作がない男は、扉を軽く叩いた。その叩いた音が、辺りに反響してユーリの耳に届く。蝶番が鈍い音を鳴らしながらゆっくりと扉が開け放たれる。内側に同じような服装の男たちが控えており、中へと誘導されるが、視線を感じたユーリが振り返ると、扉の前にいる男がじっとこちらを見ていた。
誘導してくれる男も心なしかユーリを値踏みするようにみている気がした。シスターにしがみつくように隠れると、執拗な視線がなくなり安堵する。居心地の悪さに早く帰りたいと願う。
大聖堂に配置された木造りの長椅子に座ったユーリは周囲の視線を避けるように俯く。隣にシスターも座る気配がしたが、顔を伏せたまま、ただ時が過ぎるのをじっと耐えて待つしかないと諦めて目を閉じた。
「あなた、ちょっと、もうすぐ私たちの番よ」
寝ていた。隣の少女に肩を揺すられ、意識がはっきりとしていく。勢いよく顔を上げ、起こしてくれた少女の方を向くと、少女は唐突なユーリの所作に驚いて目を見開いているようだった。
「あ、ありがとう。助かったよ」
「え、ええ、いいのよ」
ばつが悪そうに、頭を掻いたユーリはごまかすように笑うと、少女は頬をほんのりと赤らませて返事を返してくれた。
「さあ、次の子たち、前に。」
簡素に声がかかり、ユーリが座る長椅子の子どもたちが立ち上がり、大聖堂の前方に列をなしていく。気づけば、シスターは傍には居らず、周囲には同じ年頃の子供たちばかりだ。前方には、年老いた白髪の男、それよりも少し若い男が両脇に控えていた。子どもたちは、その三人の前に一列に並ぶ。頭に手をかざされた後に、白髪の男の声が紙に写し取られ、それが子どもたちに渡されていく。
列の中腹でそれをぼんやりとながめているとあっという間にユーリの番になった。白髪の男と目が合う。一瞬、手が止まったように感じたが、気のせいだったかもしれない。今までのように変わりなく頭に手をかざされるが、一向に紙を渡されない。
「ああ、これは珍しい。四つの資質がバランスよく混ざっている。それに、資質に刻まれているのは、妖精の偏愛…偏愛?」
へんあい?って何だ。突然のことに、頭がついていかず白髪の男性を見上げる。他の子と同じようにすぐに済むと思っていたのに、自分の目の前で全てが止まっている。思ってた通りに進まないことと一刻も早く帰りたいという思いが込み上げる。街の喧騒や不躾な視線、足を止めてしまった目の前の老人、全ての煩わしさから逃れたい。ユーリは森でのことを思い出したかのように、咄嗟にペンダントを握りしめ、この場から助けてくれと請うと、目を固く固く瞑った。
閃光が放たれたと思う。
目を閉じていたユーリにはその眩い光は、眼の裏に淡い光として届いただけだった。閃光が放たれたのが分かったのは、昨日出会った塔の主人の声が頭上から聞こえてきたからだ。
「また、呼んだのか」
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