第2話

場所は移って、王都郊外の教会の軒先には簡素なバスケットを抱えた人がいる。バスケットに入った赤子にそっと口づけをし、鼻をすすり、泣くのを我慢しているようだ。赤子が入ったままのバスケットを、そっと扉の前に置くと、何度も振り向いては名残惜しそうに見つめているが、やがて諦めたようにため息を漏らすと足早にその場を去る。

誰もいなくなった教会の前に、一陣の風と共に現れたのは革張りのトランクケースを携えた男だった。男はバスケットにそっと近づいて中を覗くと、肩を僅かに揺らす。

「まさか、人の子だったとは思わなかったな」

顎に手を添えて何やら考え込むように赤子を眺めていたが、やがて考えることをやめたのか、赤子の額に人差し指と中指をあてがった。聞きなれない異国の言葉を紡ぐと額が淡く光り始める。指を額から離して光がおさまるのを確認すると、首に下げたペンダントを外して赤子の上にそっと置いた。

赤子はまだ開いたばかりの瞳で男を静かに見つめていたと思うと、急に甲高い声色で泣き出す。

赤子の泣き声で、静まっていた辺りが騒がしくなり、教会の者が気づいたのか扉のすりガラス越しにランプの明かりがちらついたのが見えた。男は素早く身を翻すと闇夜へと姿を消していった。


時は経ち。

「こら、ユーリ!明日は洗礼式ですよ。体を清めて祈る日です!」

「シスター、帰ったら明日の朝までたっぷりお祈りするよ」

困り顔のシスターは、外へ行かせまいと教会の扉の前に仁王立ちをしているが、ユーリは他の子どもたちに交じってシスターの横をするりと通り抜け、外へと飛び出す。抜け出すことに成功したユーリと子どもたちは互いに手を打ち合わせて、軽快な音と笑い声を残して遠ざかっていく。

「まったくもう、あなたたちは!いいですか、丘の塔だけは行ってはいけませんからね!」

遠ざかる子どもたちの背にシスターの声が届いていたかは定かではない。

教会の軒下で泣いていた赤子は今年で十二歳になる。

洗礼式は、十二歳の子どもたちが国にあるいくつかの大教会にそれぞれ集まり、祈りを捧げ、自身の資質を告げられる。魂の資質は主に四つに分けられ、火、水、土、風とそれぞれの魂のあり方が示される。

とは言っても、それぞれの資質ごとに何かを決められて生きる、ということはない通過儀礼の一つだった。

そして、明日はユーリの洗礼式が控えていた。王都郊外出身のユーリは明日の朝一番に馬車で王都の大教会へと発つ。

しかしそんなことよりも、今はこの時期にしか収穫できない森の果実の方がユーリにはよっぽど魅力的だった。

「ねえ、ユーリいいの?大事な洗礼式だよね」

「それよりもこっちの方が大事だろ」

森まで一気に駆け抜けたユーリたちは、りんごの実がなる木に登り、収穫していく。木の下で籠を抱えた、一つ年下のサイモンが思案げに声をかけてくるが、心配するな、というように満面の笑みで、りんごをかじりながら返事をした。

「サイモン、大丈夫だよ。いつも通りの時間に帰れば何も問題はないよ。資質で変わることなんかないし。みんなと教会で大きくなってこの街で仕事に就くようになるって」

「そうさ、サイモン。俺たちは火の資質が少し強いから体が頑丈ってだけだ。街で暮らすからって特に何かあるわけでもない。な、ソール」

「僕は風の資質が強めだからトールよりは器用に生きられるだろうけどな」

昨年、洗礼式を終えた双子のトールとソールが腕いっぱいにりんごを抱えながら寄ってくる。

「だけど、俺たちは前日の清めも祈りもきちんとしたぜ、ユーリ!ははっ」

「それを怠るのはよくないかもね」

不安を煽るように人をからかう二人に、また始まったかとユーリは心の中でため息をつく。怯えたサイモンを慰めるために、木から下りると肩に手を添えて、気にするなと囁いて二人に文句を言う。

「よく言うよ、日々のお祈りをしてないくせに偉そうなことを」

双子を追い払うように手を振ると、ユーリは少し外れた湖の方に足を向けた。

木々の合間を縫って、通いなれた湖の畔にたどり着くと、水面を覗き込み、映り込む自身の姿を見つめる。首元から垂れた鎖が目に入り、服の下にしまったそれを取り出した。

赤子だった自分のバスケットに入っていたそのペンダントは、背の高い木々から漏れる光に照らされ七色に輝いてるように見える。土台の金細工に透かし彫りが幾重にも重ねられ、見たことのない模様の間に小さな石が星のようにちりばめられており、真ん中には大きな石が存在感を主張するように埋め込まれていた。

木漏れ日にペンダントをかざしながら、ユーリはぼんやりと持ち主へと思いを馳せる。

母がくれた物だろうか。

教会で育ったことに、特に不満はない。周りにいる同じ年頃の子どもたちにも親はいないし、ひどいと実の親にも鞭で打たれたり、殴られたりと不遇な者も少なくない中、赤子だったユーリはシスターたちに大事に育てられた。

ほんの少し、自分の母というものに興味がある。それだけの感情しかないが、会えるものなら会いたいと物心がついたころから思うようになっていた。ペンダントを服の中にしまい込むと、湖を越えた小高い丘がユーリの視界に映る。

小高い丘には、さらに高い塔がひとつ建っており、ユーリが教会に預けられた頃に突如そこに現れたという。

シスターたちは、得体のしれないその塔の存在を警戒しており、近づくのを禁止していた。今まで、シスターたちのいうことは極力守り、危険なことには首を突っ込まないように気を付けていたため、あの塔に近づくことはなかった。しかし、生来ユーリはは好奇心旺盛で、一度興味を持つと誰が止めても止まらないという性格だった。

いつもなら、心配性のサイモンと、人をかまうのが好きな双子がユーリにべったりだが、その三人も今は傍にいない。さらには明日が洗礼式という大人への通過儀礼のせいで気持ちも大きくなってたのかもしれない。ユーリは立ち上がって辺りを見渡し、誰もいないことを確認する。遠くから子どもたちの声は聞こえるが、こちらに来る様子はない。

しめた、と思ったユーリは、湖を越えた小高い丘を目指して、足早にその場を立ち去った。

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