第2話 夢の世界でも悪意はあるようです

 キラキラと輝く無数のペンライトが訓練された軍隊の行進の如く連携して動いている。目前に広がる青色に心が昂り、熱が湧き上がってきた。その熱を、溜めて溜めて、サビで一気に放出する。


『嘘つきのラピスラズリ』


 隣のコハクちゃんと声が重なる。彼女の声が燃えるだけの熱が心地よい音へ変化させた。バーチャルの体は疲れないはずなのに、私の心臓は激しく鼓動している。


『コハクの中に眠る想いを』


 儚くて、透き通るように純粋な歌声。私の力強い歌声とは対照的で、でもそれだからこそお互いの良さを引き立て合っている。私たちに当てられたファンたちはさらに熱狂し、ステージのボルテージが一気に上がる。


 私がアイドルを目指した理由はこれだ。こんなふうに人に「熱」を与えたいのだ。


 今の社会で人間らしくあるには情熱が必要だ。


 憧れの人の受け売りだけど、私はそう考えている。でもいきなり情熱を持てって言われても難しいと思う。だから、私はそんな人達の「火種」になってあげたい。私の歌で、ダンスで、笑顔で、みんなに人間らしく生きてほしい。


 傲慢で、お節介で、大きすぎる夢。でも私はこの夢を諦めるつもりなんてない。


『宝石みたいな恋でした』


 最後のワンフレーズを歌い切ると、会場が揺れるのではないかというほどの歓声が上がった。私たちを包み込む音が、観客たちの心に情熱が湧き出たことを伝えてくれていた。


 ○○○


 まとめていたスカイブルーの髪を解いて自由流す。バーチャルだから長い間歌って踊っていたのに汗ひとつかいていない。でも何故かきっちりと疲労感を感じる体に違和感を抱きつつ歩いていたら、ソファに座っているコハクちゃんを見つけた。


「お疲れ様、コハクちゃん」

「お疲れ様です。ルリさん」


 長身の彼女はペコリと頭を下げると、オレンジのロングヘアーがふわりと揺れた。顔を上げた彼女と目があって、緊張が解けた私たちは笑い合った。


 彼女の名前はコハク。まぁ名前といってもバーチャル世界で使うハンドルネームだけど。おっとりした雰囲気の顔に、長身に合わせて大きくした胸や太ももといったセクシー系なアバターを使っている。彼女は私より一つ年下で、同じ時期にアイドル活動を始めた。


「なんだか疲れちゃいましたね。バーチャルなのに」

「わかるわー。なんというか、今すぐシャワー浴びてベッドに飛び込みたい気分」


 彼女の隣に座り、お互いの疲労を共有する。すると、彼女がゆっくりと私の肩に寄りかかってきた。バーチャルの世界と言っても、人に触れていると安心するのだろう。


「あんなにたくさんの人が熱狂してくれてるなんて、夢みたいです」

「夢なんかじゃない。あのステージは、間違いなく私たちの力で手に入れた現実だよ」


 彼女とはアイドル活動を始めた頃に出会った。小さなライブ会場で数人の客が出たり入ったり。熱狂とは程遠い中で彼女は歌っていた。でも、私は彼女を見つけてすぐに確信した。この子の歌はすごいって。


「あの時ルリさんが一緒に歌おうって言ってくれなかったら、きっとアイドルを辞めてました。本当に、なんてお礼を言ったらいいか……」

「それなら私だって、コハクちゃんが一緒じゃなかったらここまで来られなかったよ」


 私の方はある程度客が入るし、固定ファンも何人かいた。完璧とは言えないけど、それなりに順調だった。でも、私の歌は熱が強すぎた。この熱を制御できない限り上にはいけないと考えていた。そんな時、儚く美しい歌声を持つ彼女に出会った。


「コハクちゃんが私をアイドルにしてくれたんだよ」


 私の見込み通り、いや、それ以上の結果を彼女はもたらしてくれた。最初は思うようにいかなかったけど、コハクちゃんにだんだん自信がついていって、本来の歌声をだせるようになった時、私たちは最高のアイドルになった。


「だからこれからも、一緒に頑張ろうね」

「……はいっ!」


 彼女は泣いていた。アバターから涙は出ないけど、彼女の声を聞けば分かる。頭を優しく撫でて、柔らかい微笑みを向ける。この子はちゃんと守ってあげないと。そう思った時、柑奈からメッセージが送られてきた。さっきのライブのことと、裏口で待っているという旨が書かれていた。


「コハクちゃん。そろそろ帰るけどいいかな。カンナが裏口で待ってるって」

「あっ、はい。すみません、時間取らせちゃって」

「大丈夫だよ。それじゃ、また今度」


 ソファから立ち上がり、コハクちゃんと別れた。口に出すたび思うのだが、本名そのままのハンドルネームってどうなのだろうか。柑奈曰く別に問題ないらしいけど、少し抜けてるところがあるから心配だ。


 そんなことを考えつつアバターを外行き用のネコミミ獣人に変えて、柑奈が待っている裏口の方へ急いだ。


 ぎいっと扉を開けて周囲を確認する。アイドルの中の人バレは絶対に避けたいので、ここから出るところを見られるわけにはいかない。別のアバターを使ってるとはいえ、ライブ会場の裏口から出てくる人なんてアイドル本人かスタッフしかいない。その情報を使って特定されるなんて事はザラにあるのだ。


 周囲に人がいないことを確認して外に出る。……そういえばなんで裏口で待ち合わせなのだろうか。私がさっき説明したような事があるから、いつもならライブ会場から少し離れたところ待ち合わせするのに。


「おっ、あいつか?」


 野太い男の声。嫌な予感がしていた私は、勢いよく声のした方に振り返った。そして目に映ったのは、三人のガタイの良い男が、赤ずきんのような見た目の少女……柑奈を手錠で後ろ手に縛り、無理矢理連れられているという光景だった。


「柑奈!」


 私は思わずそう叫んでしまった。柑奈が連れられてる時点で目的は私にあると分かりきっているのに。


「どうやら当たりみてぇだな」


 男たちが獲物を見つけた獣のような顔に変わる。凄まじい悪寒を感じた私が助けを呼ぼうとした瞬間、リーダー格らしき男が柑奈に謎の紫色のチップを刺そうとした。このまま叫んだら柑奈にあれが刺される。そう感じとった私は助けを呼ぶのをやめて手を上げた。


「おお、なかなか察しがいいじゃねぇか」

「……そのチップは何なの」

「デリートチップ。学校で習ったろう?」


 デリートチップとは、第二のセカンド世界ワールドでの犯罪者を拘束するため作られたものだ。これを差し込まれたアバターはログアウト不可と操作不能になる。


「こいつはそれを違法改造したものだ。これを差し込まれたアバターはデータを全て消去される」


 男の言葉を聞いて一気に血の気が引く。私たちは専用の機械を使い、脳波とかそういうのを読み込んで意識を第二の世界のアバターへ移している。つまり、第二の世界のアバターは分身ではなく自分自身と言っても過言ではないのだ。そのアバターを強制的に全消去するなんて危険すぎる。


「そして、脳にダメージを受け、記憶の混濁や消滅……最悪の場合、植物状態に陥る」


 具体的な症状を聞かされ、焦燥が心の中で強くなっていく。


「目的は何なの!」


 震える声が私の焦りと恐怖を奴らに伝える。それを見て柑奈は私の弱点だということ、対処する方法が私に無いことを確信した奴らは得意な顔になって目的を話し始めた。


「お前を削除デリートする」

「な、なんでアンタみたいな奴がそんなことするのよ。私がアイドルしててアンタらに不都合なことでもあんの」

「俺らにはねぇよ。不都合があんのは俺らの雇い主だ。生憎細かい事情は知らねぇが、どうせ金絡みだろ」


 男は何でもない事のようにそう語った。正直、信じられなかった。第二の世界は人々の夢の結晶。現実世界のように人の悪意が蔓延る場所ではないはずだ。


「信じられないって顔してんな」


 私の考えを察知した男はニヤリと君の悪い笑顔を向けてきた。


「ここは夢の世界じゃなくて、仮想「現実」なんだよ。良い人間もいりゃ悪い人間もいる。この世界が夢のために作られていたとしても、結局その世界にいるのは「現実」の人間なんだよ」


 男は語り終えると、隣の柑奈を無理矢理引き寄せて首にチップを突きつけた。


「ほら、さっさとしねぇとコイツに刺しちまうぞ」


 柑奈が恐怖で震えているのに、奴らは楽しそうに笑っていた。その時ようやく理解した。悪意とは何か、今までどれだけ光ばかり見て生きてきたか。夢で誤魔化された悪意が、この世界には蔓延っているのだ。


「わかった。言う通りにするから柑奈を離して」


 コイツらはやるとしたら躊躇いなくやるだろう。奴らの目標は私だ。関係ない柑奈を危険に晒すわけにはいかない。取引に応じて柑奈を解放するよう告げた瞬間、震えるだけだった彼女が叫んだ。


「やめて!」


 泣きそうだけど必死な、悲壮感のある叫びに自然と足が止まる。昔から一緒にいるけどあんな大声を出したところは見た事がない。


「騒ぐんじゃねぇ!」


 柑奈は切れた男に腹を殴られ、腹を押さえてその場にうずくまって咳き込んだ。この世界での五感は設定で強くも弱くもできるけど、確か柑奈は普通のままだったはずだ。男への怒りと彼女への心配で反射的に駆け寄りかけたのを、彼女にまた止められる。


「私は大丈夫だから……るっちゃんは逃げて」

「そんな事できない。コイツらの狙いは私なのに、柑奈を置いて逃げられないよ」

「……本当に優しいよね」


 柑奈は私に笑顔を向けた。あんな奴らに捕まって殴られて、怖いはずなのに、全部心の奥に押し込めて精一杯笑っていた。


「私はるっちゃんに救われたの。ステージの上でキラキラしてて、歌声は心に火を灯してくれるくらい強くて、踊る姿は可愛くて、ストイックに努力するのがカッコよくて……何となく生きてるだけだった私も頑張ろうって思えた。だからるっちゃんのこと支えようって、ずっとステージの上で輝き続けて欲しいって思ったの」


 私の事をこんなに大切に思ってくれてるのが嬉しくて、そんな子を巻き込んでしまった罪悪感に苛まれて、感情がぐちゃぐちゃになった。この世界では涙は流れないけど、現実世界の私の目からは涙が溢れていて、その証拠に目が熱くなった。


「そんな顔しないで。大丈夫。何があっても、絶対にるっちゃんのこと忘れないから」


 柑奈は何が何でも私を助けると覚悟を決めていた。でも私は、その覚悟を受け取って逃げるか、自分を犠牲にして助けるか決められなかった。決められるわけない。だって、私にとって柑奈は親友で幼馴染で……一番大切な人だから。


「さっきから好き勝手にベラベラ喋りやがって。だったら望み通りお前から削除デリートしてやるよ!」

「柑奈!!」


 柑奈は人質としてもう使えないと判断したのか、怒り狂った男はデリートチップを彼女の首筋に突き刺そうとした。このままじゃ柑奈が削除されてしまうのに、手を伸ばそうとしても、助けるために駆け寄ろうとしても、不良品の体は動いてくれない。自分の無力が悔しくて視界がぼやけた。


 その時だった。突然後ろから轟音が鳴り響いて、男たちがぶっ飛んだ。その隙に柑奈は逃げ出して私の胸に飛び込んできた。私は彼女を受け止めて、震えている体を力一杯抱きしめた。


「間に合ったみたいね」


 後ろからの声に振り向くと、深く帽子を被った金髪で小柄な少女が立っていた。そして、彼女の手には拳銃のようなものが握られており、それが轟音の正体だとすぐにわかった。


「あなたは……」

「私のことはいいから、その子を安心させてあげて」


 少女に指摘されて私の腕の中で泣いている柑奈に気がついた。柑奈は元々気が強い人じゃないのに、私が逃げられるよう気丈に振る舞っていた。突然あんな奴らに捕まったのも、怒鳴られて殴られたのも、デリートチップを刺されたら記憶が消えるのも、全部怖かったはずなのに、柑奈はずっと私を逃すことだけを考えていた。さっきまで何もできなかった分、私のために尽くしてくれた彼女を抱きしめた。


「私を助けようとしてくれてありがとう」


 感謝を伝え、優しく彼女の頭を撫でる。


「もう大丈夫。私がずっとそばにいるから」


 私がいると伝えるように強く抱きしめて、彼女の耳元で囁く。


 柑奈は私の胸に顔を埋めたまま私の言葉にコクリと頷いた。彼女の体の震えが止まり、ひとまず安心する。あとは逃げて通報するだけだと思った瞬間、周りに黒い壁が出現して私たちを覆った。


「さっきから気持ち悪りぃ茶番見せつけやがって!ぶっ殺してやる!」


 男たちの凄まじい気迫に私たちは恐怖を植え付けられた。急いでログアウトしようとしたが、何故かできなくなっていた。


「残念だが、この空間内でログアウトはできねぇ。さぁ、決着をつけようぜ」


 男はポキポキと指を鳴らしてにじり寄って来た。私は柑奈を庇って後ろに隠した。相手はガタイの良い男三人。少女の拳銃があるとはいえ、この狭い空間の中で助けが来るまで持ち堪えられるかと考えていたら、少女が前に出てこう言った。


「なら、決闘デュエルで決着つけようよ」


 彼女の言葉に男は立ち止まり、少し考えてからニヤリと笑って頷いた。


「おもしれぇじゃねぇか。いいだろう。受けて立つ」


 男がその言葉を言い終えると同時に、今度は観客のいないステージのような場所に飛ばされた。


「これは……」

「裏の人間の間で決められた絶対のルール、その名も決闘条約デュエルルール。ここでの決闘に勝てば相手に何でも言う事を聞かせられる。破った場合は強制削除よ」


 状況が飲み込めていない様子のわたしたちを見て、少女が説明してくれた。


「大丈夫。絶対に守るから」


 よく分からないうち巻き込まれて不安になっていたのを察してくれたのか、心強い表情でそう約束してくれた。名前も知らない人なのに、不思議とこの人なら信じていいと確信できた。


「その手に持ってるもんを見る限り、テメェも只者じゃねぇようだ

「御託はいいから、早く始めましょう」


 大男三人対少女一人。普通は勝てるのか不安になるはずなのに、少女の背中はここにいる誰よりも大きく見えた。

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