022 唐突な冬の日

「さむっ‼」


 目覚めると、痛いくらいの寒さに急速に意識が完全に覚醒した。お布団から起き上がって、秒で布団に潜り込むくらいには覚醒した。

 吐く息は白く染まり、外から音が聞こえてくることもない。すべてが静まり返った眠りの季節――冬。


 おかしい。今は夏なのに。

 ガチガチと歯を鳴らしながら、何が起こったのか考える。


「……ああ! 久しぶり過ぎて忘れてたな。次元震か」


 私のこの「マヨヒガ」はユニークスキルから派生したスキルだが、「鍵」を介しているためか、そのときの私自身のいた場所――扉を固定させた空間座標――の影響を受ける。正確には近隣のダンジョンの自然魔力放射の影響だ。



 ダンジョンでは時折、内部の魔力が大きく乱れてしまうことがある。これは実際の大地の影響で……要するに地震の影響だ。

 生活している上では地震計でなければ観測できないような小さな地震であってもダンジョンには確実に影響を与えており、その蓄積が一定を超えるとダンジョン内の魔力が乱れるという仕組み。地震がないときは累積されているダメージも少量ずつ解消されていくが、閾値を超えてしまえば外部への自然魔力放射量もにわかに増える。

 こういった現象を魔力震動と呼ぶ。


 そして魔力震動の起こったダンジョンでは通常では起こり得ないナニカが起こる。それが何になるのかを正確に予測するのは難しい。

 どれくらい難しいかというと、予測する魔道具のレシピはスターマイスターの中にあるのだが、私がその材料をひとつも知らないくらいには難しい。

 もっと深層で神霊クラスを倒さないと無理なやつでは……?


 話は戻って「マヨヒガ」である。近隣ダンジョンが魔力震動によって魔力放射量を上げると、マヨヒガにもその影響が出る。

 とはいえ別次元に位置するため、特殊ダンジョンのマヨヒガに与える影響は軽微なものになる。……が、時折次元の揺らぎと重なることで、むしろ影響が強まることもある。小波と小波が合わさって大波になる感じ。これが次元震。

 こちらもまた、何が起こるのかわからない——今回の場合、マヨヒガの季節が厳冬期のそれに変わってしまったようだ。




「うわー、寒い」


 顔を外に出すのも痛い。肌が張り詰めてパリパリしそう。少しずつ空気が冷えて透明度が増して言って……と身体が慣れていってからの冬なら大丈夫だけど、つい昨夜まで夏だったのだ。身体がびっくりしちゃうよ。

 ソイたちは大丈夫だろうか。いや、体調ではなく、毛量の心配だ。冬毛から夏毛に生え変わるときの抜け毛の量たるやすごいものがあるのだ。ポテンシャル高いファンタジー生物だから、一夜で生え変わっていてもおかしくないんだよね。


 そんな感じでつらつらと別の心配をしていると、パタパタと廊下を走る軽い足音。バシーンと襖を開け放たれた瞬間、さらに冷気が押し寄せてくる。それを防ごうと布団を掴み、カメのように丸まろうとする私と、布団を捲ろうとする何某なにがし――というかコウちゃんの争い!

 根負けというかお互いの力で布団が破れそうになったので、諦めて力を弛めると、すかさず捲られて一瞬のうちにコウちゃんが潜り込んできた。で、正面からひしっと抱き着いてくる。


「ぎゃー⁉ 冷たい冷たい! コウちゃん冷たい!」

「~~~~、……♪」


 私の胸に顔を埋め、スーハーと呼吸をするコウちゃん。それも冷たい。ちっちゃな手足は氷のようだ。


「うううう……出たくないけど、仕方ないか」


 布団に包まっていたいが、出ないことには暖房器具を設置することもできない。でも寒いから出たくない。こ、これが「イソップ物語」におけるネズミの相談か……。誰かが貧乏くじを引くしかないんだなあ。

 覚悟して布団から出ようとするとコウちゃんは剥がれた。半眼で睨むも、グッドラックと言いたげにサムズアップされた。座敷童子然とした見た目幼女にやられるとすごく微妙。


「さっっむ! うえっ⁉︎」


 布団から恐る恐るにじり出てあまりの寒さに硬直していると、後ろからコウちゃんにお尻をどんと押され、一気に外気に全身が曝される。そしてシャットダウンされるお布団。無情にも程があるよ⁉


「ひええええ!」


 水風呂にでも落とされた気分だ。慌てて「蔵」からランプを取り出す。つるりとした艶消しの陶器の白色に見えるが、そう見えるだけで金属製。


 この「アイスランプ」はアラビアンナイトなどで出てくるような形状のランプだ。カレーソースを入れるソースポットに似ているといえばわかりやすいだろう。

 けれど、当たり前だけど違う。そもそもランプなのである。


 アラビアンなランプは中にオイルを入れており、そこからあの注ぎ口っぽいところまで芯紐を通す。で、そこに火を点けて灯りにする。

 アイスランプもランプなので、火を点けなければならないが、専用のものが必要だ。それがひょうマッチ。


 冰マッチはカラーリングが白と蒼で氷海をイメージするものである以外、使い方は普通のマッチと一緒。

 重さ的にアイスランプの中にオイルは入っているので、さっさと冰マッチを擦って火を点け、点け、点け……手が震えててうまくいかない!


 やっとの思いで火を点ける。普通のマッチの火と違い、冰マッチによる火は寒々しささえ覚えるLEDの白色に酷似していた。

 ダンジョン素材で作られたアイテムなので、この火の色と温度や炎色反応を起こす元素はまるで関係がない。冰マッチの火はなんか知らんけど漂白した白色なのだ。


 その火を消えないよう慎重な手付きでアイスランプの芯紐に移す。移された火は即座にその色を菫色に変えた。

さらに色は濃くなり、紫色へ。同時に部屋の気温が上昇していく。


「ふー。これで一息つけるかな……あ! コウちゃん! さっきはよくも!」


 布団からひょこっと顔を出してきたコウちゃんを叱りつけようとするが、逃げる。どうせこの私の部屋から外に出られないんだから、諦めて捕まるがよろしい!




 そうしてどたばたすること、十分少々。


「うわ、滅紫けしむらさき色になったよ……。どんだけ寒かったんだ」


 捕まえたコウちゃんを膝の上に乗せ、もちもちほっぺをみょんみょんしながらランプの火を見ると、その色が非常に濃い紫色——滅紫色に変わっていた。

 そして今ではシルキーやミケも私の自室へ集合していた。サラちゃんやその他、ウチに入るのを許可した上で寒さに弱い子も集まっている。


 風鈴とかたいへん。氷が浮かんだ模様に変わっていて、金魚たちがすし詰めになってる。

 仕方ないので隣に三個くらい、形の悪い失敗作を並べてあげた。それでも十分金魚の数は多いのだが、さっきの出勤ラッシュの満員電車状態よりはマシなようで、金魚たちもどことなくホッとした顔をしているように見える。


「シルキー、他のみんなは大丈夫そうだった?」


 私の質問に首肯するシルキー。彼女はタイプ的にはゴーストなのだから、物理的な寒さとか関係ない気もするのだけれど……まあみんなと一緒に行動したいのならそれはそれでよしとする。

 普段から家事を手伝ってくれているだけで大助かりなのだから、こういった状況で都合よく働けなんて言えない。


 アイスランプは熱を奪う魔道具だ。普通の火なら冷房器具になり、冰マッチによる鬼火なら暖房器具になる。熱を吸えば吸うだけ火の色が濃くなる仕組みだ。


 つまり滅紫色の火になったということは、それだけ冷気に満ちていたということ。色が明確に変わるには摂氏10度ほど必要なのだから、部屋の温度は氷点下10度以下だったということになる。


 うん、普通に凍死してもおかしくないな。こっちは夏仕様の薄着だったのだし。

 現在はアイスランプに加え、既製品のカイロを配ったり色々と暖房器具を置いてなんとかしている。それでも隙間風の吹き込む和風建築では寒い。

 たぶん、今は氷点下でこそないものの、部屋の気温は5〜6度といったところではなかろうか。


 服も着込んだ。普段使いの服は家に置いているけれど、一応「蔵」にも替えの服はあるので、ジャージの上に半纏を着た。

 コウちゃんにも半纏を着させてあげたのだが、私用なのでサイズが違い、半纏というよりどてらになってしまった。


「うーん、ぶかぶかだね。まあかわいいからいいか」

「♪」

「シルキーもキレイだよ」


 私が伝えると、シルキーは和風ではなく洋風の礼をした。カーテシーというやつだ。しっかりしたカーテシーは足の筋力をものすごく使いそうなのだけれど、空中に浮いてるから関係ないのかな。

 彼女には霊体でも着られる薄緑の長羽織を。薄桃色の糸を使って、浮かび上がるかすかさで彼岸花模様も差してある。


「サラちゃんもいいね。火事を起こさない程度にくつろいで」


 長火鉢も久しぶりに出した。「蔵」に収納していたから別に埃っぽくはないのだけれど、なんとなく気分的に雑巾で乾拭きはした。そこにサラちゃんは潜り込んでいる。


 火鉢部分に入れておいた灰も別の灰と入れ替えた。最初に入れようとした灰はサラちゃんから抗議が入ったので別の灰にした。灰ソムリエか君はと思うが、別に大した手間でもないので。さながら砂浴びする動物が、自分の好む砂を希望する感じだ。


 選ばれたのは世界樹の灰だ。超高火力で一気に灰にしたやつが最もランクの高いものになる。ちなみに燃やす火も聖火を使うことで「世界樹の聖灰」へ素材の名前が変わる。スターマイスターの素材鑑定での見極めなので間違いない。私が今回ぶち込んだのは聖灰じゃないけど。


「世界樹の灰のこんな利用法があるなんてね」


 世界樹というとすごく貴重そうに思えるが、実はそう大したものではない。本物の世界樹が相手なのではなく、そこから伸ばされた根っこのさらに端部分でしかないからだ。ダンジョンの中であちこちに生えている木のうちのいくらかが世界樹の端子なのである。

 木を隠すなら森の中作戦を世界樹が取っており、周りにある木に擬態する性質がある。そのため魔力なりなんなりの感覚で違いを感じ取る必要があるが、一度理解してしまえばどんな木の中にあっても察することができる。


 そういうわけで深い階層の世界樹の枝葉ならともかく、これは浅い階層の根っこの端の灰でしかないので、冗談抜きで大したモノではない。そう思っていたけれど、火鉢の中に入れておく灰として有用らしい。サラちゃんがご機嫌なので、まあ好きならそれを使おう。私の手間としては何も変わらない。……ビーズクッション的な感じなのかしらん?


「ミケ~ェ? コウちゃんのとこから出てこないし……」


 薄情なネコである。コウちゃんのどてらの中に引っ込んでから出てくる気配がない。私にも撫でさせろそのネコ毛を。お腹をワシワシさせろワシワシ。


 悲しいので長火鉢の端っこらへんに五徳を置いて、その上に鉄瓶を乗せる。

 この鉄瓶は見ていて思わずうっとりするような黒錆色。古物商のところで一目惚れして衝動買いしたものだ。数万円したが、高価たかくはない。鉄瓶帽子も付いているし。


 使い込まれた細かな傷やこびり付いた錆なんかも含めて、芸術品ではなく実用品として長い年月を生き延びた証拠を身に纏っている。

 もちろんその造形自体も美しいのだが……どちらかというと機能美に満ちた鉄瓶。けれども、纏っている汚損こそがそこに侘び寂びという美の品格を与えているのだ。


 蓋を開ければ赤く汚い錆のようなものがいくつもあるが、これは湯垢といってより錆にくくなる、良い鉄瓶に育っている証拠でもある。

 おかげで白湯もよりまろやかな味わいになっていく――気がする。私の舌では正直違いがわからない。でもプラシーボ効果ってあるし……。


「シルキー、これ」


 渡したのは茶葉。ダンジョンで摘んできたやつ。別に深い階層でもないのだけれど、何故か誰も回収しようとしない不思議。

 コンビニなんかで買えるペットボトルのお茶みたいな二番茶三番茶より余程美味しいのに勿体ない。ヘタな一番茶よりも美味しいかもしれないくらいだ。

 大して荷物を圧迫もしないのだし、摘んでいけばいいのに。


 ギルドが冒険者・探索者たちからアンケートを取った結果、ダンジョンを探索するときの最大の敵はストレスとされている。私も同意見である。

 そういうときの対策として、一番なのが甘味を口にすること。カロリーも摂取できるし、良い意味で意識を弛めることができる。

 私の場合はそこに美味しいお茶を加えたい。水分補給にもなるし。


 ……みんな、ダンジョンで水を汲んだりしないのかな。結構安全な飲み水ポイントあるけどな。あくまでも一度沸かしたら安全というだけの話ではあるが、荷物に重たい水を詰めていく必要性がかなり下がるんだけど。最低限でいいわけだし。


 沸かす必要があるのだから、ついでにお茶も淹れればいいと私は思う。ダンジョンの茶葉は摘んでからちょっと手を加えるだけで最低限の味のお茶として使えるのだ。

 もちろん、持ち帰ってきちんと作った方が美味しいのは間違いない。シルキーに渡したのも茶葉としての加工品である。


 しゅんしゅんと音を立てる鉄瓶。つるを素手で触れば、常人なら火傷待ったなし。シルキーはゴーストなのかフェアリーなのかよくわからない存在なので問題なし。触れないという問題は、私がかつてあげた手袋で解決済みである。


 急須もまた一目惚れして買ってきたやつだが、たぶん特別なところはない。3000円くらいだったし。本当に直感で「これいいな」と思ったものだ。百均の商品じゃないだけ、私の買い物としては比較的優秀な方である。


 さらに湯呑。これらでお気に入りのものは台所にあるので、これらは量産品だ。

 むしろ急須や鉄瓶が購入したものなのに、思い入れのない量産品の湯飲みは私が手順を覚えるために死んだ目で作ったダンジョン素材製という謎具合。この温度差、部屋の内と外の温度くらいあるなきっと。

 ミケ用に水受け皿も出しとこう。白湯を入れてくれるだろう。水は「マヨヒガ」の自家製だから準ダンジョン素材みたいなものかな? お風呂の湯と同じ成分。


 湯呑を渡してシルキーがお茶を淹れてくれている間に、私はおやつの準備をしなければならない。朝ごはんも食べていないけど、まあそういう日もあるさってことでひとつ。


「コウちゃん、おやつは何がいい?」

「!」


 おやつと聞いて目を輝かせ、立ち上がるコウちゃん。そのせいでどてらからぼてっと降ってくるミケ。こっちにやってきたので抱っこしてやろうとしたら、わざわざ躱して部屋の隅に畳んでおいた私の布団の上で丸まりやがった。おのれ、今日は意地でも撫でさせない気か……!


「まずはどらやき」

「♪」


 食べ応えたっぷりの分厚い生地のどらやきだ。その代わりにひとつずつのサイズはちいさめにしてある。マカロンより一回り大きいくらいの枠を使った。

 私は都会で流行っているような生地があまり好みでなく、田舎の素朴なやぼったい生地が好みなので、重曹やベーキングパウダーはほとんど使ってない。あと砂糖を生地に入れると甘過ぎに感じてしまうので、みりんとはちみつだけにしている。


 小麦粉はダンジョン素材だが、みりんとはちみつは地上のもの。間に挟む粒あんも生地の小麦粉に負けないようダンジョン素材だが、こちらも和三盆糖などは地上産だ。

 調味料系もダンジョン素材製に揃えられるけれど、そこまでやると自己主張激し過ぎる不協和音になってしまうので。……とはいえ、好みといわれれば、それはそう。


 他にもカスタードを挟んだものも用意。このカスタードはむしろこれが主役なので、素材はすべてダンジョン素材。一番パンチあるのがこいつだ。カロリー的にもこいつだ。女子の敵。でも私は許される。朝ごはん食べてないからね!


 最後の一個が変わり種。ベーコンエッグどらやき。作ってみたけど食べてないから実はわからない。

 まあ不味くて食べられないということはないと思う。好みに合うかどうかはわからないが。


「以上の3種です。いかがでしょう?」

「…………。♪」


 コウちゃんジャッジは無事通過できたようだ。よかったよかった。やはりベーコンエッグどらやきで怪訝な目付きだったな。

 コウちゃんは和菓子に関してはオーソドックスを好む。洋菓子とかでは割と挑戦的なものもトライするガッツがあるのだが。

 ただ、昔は断固拒否だったのに今では食べてもらえるようになったのだから、変わるものである。なおカスタードどらやきを普通の和菓子カテゴリに入れていいのかは微妙。


 けどほら、ロンドンではベーコンエッグうどんが朝ごはんで人気らしいから、それなりに勝算はあった。

 それにどらやきは見方を変えればパンケーキみたいに見え——無理かな。自分を誤魔化すにはどらやきの主張が強過ぎる。なんか調子に乗って焼印作ってまでして、銅鑼模様付けちゃったし。


 ではでは、お茶の用意もできたようなので。

 いただきます。

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