43.

 魔獣の身体が完全に崩れ去り、黒い猫の様な魔獣の死骸が残った後、しばらく全員が索敵を続けた。

 しかし魔獣は現れず、死骸は動くことはなかった。


「…死んだな。」

「うむ。討ち取った。」

「…そうだ、ラーダ!無事か!」


 すぐそばに倒れていたラーダは、既に自分自身に〈回復〉をかけていた。


「……死に損ねた。」


 そう呟いたラーダの傷口にフェムトが近寄り、軟膏を塗って治療を始めていた。

 他に怪我を負っていた者たちも、同じように傷薬を塗って血を止めていた。

 骨が折れている者は、順番にミーアが〈回復〉して回っていた。

 遠くに目をやると、サイラスが倒れていた。左足が折れているようだったが、一応は元気そうだ。


「サイラス。助かった。」


 クロムはサイラスを担ぎ上げて礼を言った。

 クロムの前を駆け抜けて魔獣を切り払ったのはサイラスだった。斜面を〈突進〉を使いながら駆け下り、何か魔術を纏わせた剣を抜き放ったのだ。


「あんなにうまくいくものなんだな。」

「…必死なときはそういうものだ。」

「はは、そうだな。」


 サイラスはこれまでどこか焦っていたようだった。しかし今は穏やかそうな様子だ。この数日と今の戦いで何かを掴んだようで、晴れやかな表情をしていた。

 サイラスをミーアへと預け、〈夜叉の太刀〉を拾う。〈頑丈〉の効果の通り、刃こぼれや歪んだ様子もなく白い刃を薄く光らせていた。

 〈夜叉の太刀〉を仕舞い、今度はディンのもとへ歩いた。ディンは膝をついて、荒い息を整えようと必死に呼吸していた。


「ディン、大丈夫か?」

「……は、はい。そ、それよりも、はやく、撤退をしましょう。」


 ディンの言葉に周囲を探るが、何かの気配は感じない。既に〈発光〉の魔術も要らないくらいに、東の空が明るくなってきていた。見える限りは何もいないように思えた。


「…考えすぎじゃないか?ともかく、少し休め。」


ディンは憔悴しきっていてとても長く話せる状態ではなかったから、宥めるように言って水と薬を飲ませた。

 皆多少の怪我こそしていたが、全員が生きていた。


「…全員が生きていたか。」

「ええ。俺も生きています。…足を折りましたが。…いや、かなり痛いですね。」


 全員の治療が終わり、体力を取り戻した頃、ディンの要望通り、皆で肩を貸し合って下山を開始した。皆が皆、死線を潜り抜けた高揚感で、戦いの中で見たもの、何があったのかを話し合った。

 魔獣の腕をガハラとレラが切り飛ばしたとき、コガナとフェムトが動きに合わせて魔術を纏わせたのだという。そのため物理攻撃ではないと判定されたのか斬ることができたのだろう。

コガナたちは同じようにクロムにも合わせるように魔術を使ったが、書き消えるように魔術が霧散したと言っていた。二人は合わせられなくて済まないと謝っていたが、クロムはこれが〈白輝蜈蚣の外套〉の効果のせいだとわかっていたから逆に二人に謝罪した。全て話すことはせず、魔術を無効化する迷宮品を持っていることだけ伝えた。

 クロムの番になり、自分の見たものを話した。


「ふうん。じゃあ、その鏡?のせいってェことカ?」

「ああ。確か、これを手に入れたときに鑑定して、〈変身〉の魔術を解くのに使うとか言っていた気がする。」


 記憶を手繰りながら、覚えている限り〈現世の鏡〉のことを説明した。


「ヘエ。なんにせよそれがなかったら俺たちはもっとやばかったかもな。」

「もっと速く出すことはできなかったのか?」

「無理だな。俺だって今の今まで忘れていたんだ。」

「…はあ。まあ、今更仕方がないよ。もう今更さ。」


 サイラスとラーダは最初から最後まで必死で戦っていて、よく覚えていないという。コガナとフェムトは俯瞰気味に一歩引いたように戦っていたが、どちらも集中することだけを考えて細かい場面は憶えていなかった。


「…俺も、実はよく覚えていない。なんだ。探索者の動きの穴を埋めるべく動いていたつもりだが、もっと前に出ても良かったかもしれんな。」


 ライオネルはそう自省していたが、ライオネルは覚えのある限り適切に動いていたように思えた。

 〈深淵の愚者〉たちは戦闘が始まってからすぐに、自分たちが攻めるよりも魔獣と騎士たちの間に立って攻撃を防ぐ戦い方に切り替えていた。そのためすべてを把握できていない。

 結局クロムたちが戦いの詳細を把握することはできなかったが、話を進めるうちにラーダが首を傾げた。


「しかし…〈悪夢〉もあっけなかったね。私たちが最初に遭遇したアイツは、もっと荒々しかった気がしていたが…。領域を侵されたとか思ったのかね。

ディン、なんで急いで離脱しようなんて言い出したんだい?」


 ディンに意識が集まる。少しおろおろとした後、ぽつぽつと話し始めた。


「……ぼくたちが倒したあれが、本当に〈霊峰山脈の悪夢〉なのか疑問に思ったからです。」

「…何?」


 誰かが小さく呟いたが、皆が黙ってディンの言葉の続きを待った。


「ラーダさん。〈悪夢〉と最初に遭遇した貴女にしか聞けません。

 〈悪夢〉は、〈変身〉しましたか?」


 〈変身〉は影獣の使う魔術だ。ディンが見立て、それを聞いた誰もが確かに影獣の可能性が高いと半ば確信していた。

 全員が、ラーダに期待を寄せた。姿を変えていた、とそう言ってほしかった。


「……いや、待って。……無かった、と思う。

 それに、この傷の治りも…凄く速い。こんなくらいだったら〈水の祝福〉が全部治してる…と思う。」


 一転して周囲の空気が凍った。全員が戦いの後の高揚感を潜めて、警戒し始めた。


「もし〈悪夢〉が残っているなら、今の状態で遭遇するのは危険すぎます。討伐は急ぐべきではありますが、少なくとも一旦退いて体勢を立て直す必要があるでしょう。」

「…我等が討ち取ったのは…まさか、別の魔獣だったと?」

「まあ確かに、今の状態で遭遇したらヤベエな?」

「…一応、気配はなさそうではあるが。」


 誰からともなく、足の進みが速くなった。

 結局麓に着くまでに二度魔獣とは出会ったが、難なく倒した。山の天気は変わりやすい。朝までは晴れていたというのに、既に空は雲が出て雨が降りそうなほどだ。夕方には小雨が降り始めた。最も近い村に寄って、宿を借りた。夜に雨は酷く音を立てて降っていたが、翌日には雨は上がっていた。

 特に怪我の酷かったラーダとサイラスはコガナとミーアに〈回復〉をかけられて、傷を治した。ディンはライオネルとアリシア、パトリオットとずっと会議をしていた。

 クロムを含む他の者たちは武器の整備をしたり体を休めたりしていた。

 二日村に滞在して、全員が再び戦えるような状態になった。再び霊峰山脈へと挑んだ。

 今度は三合目まで魔獣と出会わなかった。


「……いない、ねぇ。」

「ああ。なんだ、嫌な雰囲気にも思えるぜ。まあ、魔獣を狩り尽くしたなんて話だったらそれはそれでいいんだが。」 

「ああ、最近大規模な討伐がされたよ。それでもすべて狩れたわけじゃないはずなんだが。」


 〈霊峰山脈の悪夢〉が明確に出現したとわかったときから、それに伴って魔獣たちが急に活動域を広げた。ディンはこれを魔獣たちが〈悪夢〉から逃げているのではないかと推測していた。

 ディンが恐れているのはこの魔獣たちが帝都になだれ込んでくること、そして追い立てるように〈霊峰山脈の悪夢〉が帝都にたどり着いてしまう事だった。そうなる前に掃討が入ったため、それが起きることはほとんどないと言ってよかったが、更に山頂に近い位置の魔獣が下りてくれば被害はそれ以上になる。

 帝都の探索者たちは総じて実力が高い。実際に個人の三級探索者や有力な二級パーティは多く拠点にしている。もっとも、最近幾つかは壊滅してしまったが、それでも一級パーティを五つ、特級パーティも一つ抱えている。ディンが懸念するような事態にはそうならないように思える。


(…いや、そうでもないか。探索者たちは自由だから、希少種が現れたりすればみんなそっちにかかる。依頼があれば遠出だってする。いつも同じ戦力がいるとは限らないのか。

 だからディンは今焦っているんだな。)


 事実、現在特級パーティは東大陸に、一級パーティも三つは帝国南部や最北の迷宮へと行って帝都にはいないと聞く。すぐに〈悪夢〉が現れたりでもしたら、戦いは難しいかもしれない。

 そんなことを考えながら、四合目を超えた。やはり魔獣は出てこなかった。


「…ラーダよ、ここまで一切いきものを見ていないが、それはあり得ることか?」

「あり得ないよ。いくら霊峰とはいえ、魔獣ならまだしもここまで鼠一匹いないなんて…。」


 ライオネルの問いにラーダが即答した。異様な雰囲気とその答えで、もう直ぐそこに〈霊峰山脈の悪夢〉がいると、察しの良い者はそう思った。


「……!」


 ラーダの息を飲む声に緊張が走った。ラーダの視線の先には黒く小さな狼がいた。

 魔獣は静かにクロムたちを見つめていた。

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