30.

 一日を武器の整備に費やして、その翌日にブネ迷宮一層へと潜った。

 ディンたちとの会話に上がった、影獣に強化魔術で強化したものを当ててみるのはどうかという話。〈剛力〉、そして〈鋼鉄カリプス〉の魔術を纏わせた拳を影獣へ当てて試したくなったのだ。

 最悪、魔術の攻撃を出せる魔道具を二つ買ってあるので、いざという時に使って倒せばいいと考えていた。

 早速一匹の影獣を見つけると、事前の確認として腕力だけで剣を振う。通じない。

 距離を取って、〈剛力〉を使って再度剣を振う。通じない。

 剣の腹で魔獣を押し、〈武器庫〉から出した盾を叩きつける。怯みはしたが、その衝撃は通じてはいない。また少し距離を取る。


(…攻撃の威力が当たった瞬間に消える、というような感じか。押し合いはできそうだが。)


「〈剛力〉」


 右拳に力を込めて魔獣を殴りつけたが、手ごたえは全くない。接触した状態で更に押し出すように突き飛ばしてみると、これはできた。

 身軽な動きで着地した魔獣は、苛立ったようにクロムへと向かってくる。

「〈鋼鉄〉」


 もう一度右拳を意識し、魔獣へと突き出す。そして久方ぶりに攻撃したときの衝撃と手応えを感じた。

 影獣を見れば訳が分からないというように悶えていた。


(これは通じている…?確かに通じているようには見えるが…リュードの《火》より効いていないのか?)


 再び拳を握りこみ、〈剛力〉と〈鋼鉄〉を唱えてもう一度頭目掛けて振う。

 硬いものを割ったときの感触と共に魔獣が大きく身じろぎして、崩れて消えた。

 調子に乗って二層へと移動し、影獣を二匹倒した。先ほどの戦いの通り、〈鋼鉄〉と〈剛力〉を同時に使うと一撃で魔獣を倒せる事がわかった。そこで急に倦怠感と寒気を感じた。魔術を幾度も使ったり、〈剛力〉を二度重ねて使ったときに感じた感覚だ。


(今日はここまでだな。)


 翌日二層へと潜って影獣を倒したとき、書き変りが起きて何かが落ちた。

 それは黒い表紙の小さく薄い本のようなものだった。開いて中を見てみたが、何枚もの紙を閉じたものではなく、表紙と、その内側に文字とは違う複雑な模様が並ぶだけで、何が書いてあるかもわからなかった。懐へ仕舞い、再び別の影獣を探した。


(前にこういう本の迷宮品があるとかディンが言っていたな。開ければ習得できるんだったかな?)

(そういえば、その時にディンが何かに魔術を纏わせていたな。剣に〈鋼鉄〉を纏わせれば、あの魔獣も叩き斬れやしないか?)


 そう思うとすぐに一層へと移動し、見つけた影獣に斬りかかる。


「〈鋼鉄〉!」


 魔術が失敗したときの感覚を覚えながら振り下ろされた剣はただの物理攻撃になった。何度か試してみたが、うまくいかない。

 結局この日は武器に〈鋼鉄〉を纏わせることはできず、素手に〈鋼鉄〉を纏わせて殴り倒した。倒したところで少し寒気を感じたため、その日は引き上げた。

 帝都の探索者協会で拾った本の鑑定依頼を出すと、〈アクオ〉の魔術を使うための魔道具だった。これは椀一杯もないような小さい水球を出して飛ばすだけのごく弱い魔術しか発生しないということだったが、クロムからすれば魔術の使える貴重な道具だ。


「ブネ迷宮でその本型の迷宮品は比較的よく書き変わりで現れますが、〈水〉や〈火〉の魔術はあちことで需要があります。特に浅層の威力の低いものは生活に使うのに大変便利で、それなりの額で売れますよ。」

「いや、自分で使う。ところでどうやって使うんだ?」

「本を開いて、本に魔力を流して〈水〉の呪文を言えば使えますよ。」

「へえ。ありがとう。」


 宿へ戻って早速本を開き、〈水〉の呪文を唱える。


「〈アクオ〉…あっ」


 既に魔術を使いすぎていたことも忘れて発動したせいか急激に寒気と倦怠感が増して意識が朦朧とし、全身の力が抜けた。

 クロムが酷い疲労感を覚えながらも意識が戻ったのは次の日の朝だった。

 魔術が発動した証拠に床には開かれた黒い本型の迷宮品と、乾ききった水の痕が創られていた。



「あ、ク、クロムさん、な、なんかその、お疲れですね?」

「…ああ、ディンか。これがな。」


 クロムは〈水〉の魔術の使える黒い本を取り出した。


「〈水〉の魔術が使えるんだが、どうやら俺が思っているよりも魔力を流し込まないといけないらしい。」

「へえ。…そ、その、見せてもらってもいいですか?」


 黒い本をディンへと渡す。少しの間ディンは目を輝かせて観察していたが、一通り目利きが終わったところで〈鑑定エスティマティオ〉の魔術を使った。


(……こいつも〈鑑定〉を仕えたのか。いや、それもそうか。)


 驚いたように本を見つめてから、少し首をかしげて本をクロムへと返した。


「なんというか、その、す、凄い出費だったのでは…?」


 クロムは〈鋼鉄〉の魔術を使って影獣を倒したが、一部の魔術を使えることは隠しているためクロムはこの手の魔道具や迷宮品を使うしかないと思うだろう。

 少しだけ返す言葉に困ったが、関係ないと押し切ることにした。


「出費?…いや、問題はない。

 ところで、今日はリュードは来るのか?来るとか言っていたと思ったが。」


 やや強引な話題の逸らし方だったが、今日は来なかったという。


「いえ、今日彼女は別の授業で考査があったらしいんですよ。今朝、鬼気迫る表情で教室に向かっていました。」

「こうさ?」

「勉強の理解度や実力を確かめる試験、ですかね。」

「ああ…大変だな、学徒というやつは。」

「ええ、なんというか、その、興味のない事も頑張らないといけないのは大変そうです。」


 二人して肩を竦めてから、どちらからともなく迷宮に向かった。


 一層でクロムが影獣の動きを抑え込み、ディンが〈キラソ〉という皮膚の一部を頑丈する魔術を纏って影獣を倒した。クロムからすればひどくへっぴり腰で、威力の低い攻撃だったように見えていたが、影獣にとってはそうでなかったらしく相当痛がっていた。ディンが弱弱しく殴るたびに影獣が暴れまわるものだから、抑え込むクロムも一苦労だった。


「はあ、はあ、はあ……」

「大丈夫か?」

「え、ええ、その、ぼくはもう無理です…はあ、はあ」


 汗だくで息を切らしながら水を飲むディンを見ながら、やはり喧嘩慣れしていないんだとぼんやりと考えていた。

 いくらクロムが抑え込んでいたとしてもあまりに腰が引けていたし、動きに無駄が多い。それでも魔術の造形は深く、〈火〉ひとつとってもクロムよりはるかに強力で強大なものを使えるのだ。身体の力と魔術の力が釣り合っていないようでちぐはぐさを感じていた。


(いや、それは俺も同じか。〈深淵の愚者〉やリュードたちに慣れすぎたのかな。)

(しかし、俺が殴った時とは随分と違う反応だったな。やはり魔力の量か?)


「と、ところでクロムさん。」

「うん?」

「今後も一人で迷宮に潜るつもりですか?」

「……そうだな。だが物理攻撃の効かない魔獣がいるとわかった今、魔術が使える奴が一緒に潜ってくれるなら心強いと思っている。」

「じゃあ、是非とも術士として紹介したい人がいるんですよ。

 その人は、まあ、生徒としては魔獣や魔術に関する造形が深く、何より迷宮にもこれまで何度も潜っています。迷宮に潜る際の基本的なところはできているでしょう。

 旅はわかりませんが、本人は大丈夫と言っていまして。」

「ふうん。リュードだろう?」

「……その人は学院をあと二月で卒業します。成績も上位三番以内には入ることは確実でしょう。

 そんな彼がクロムさんに着いて行くことが決まれば、安心して送り出せるんですが。」

「……。」

「その、ど、どうでしょう?連れて行く気はありませんか?」

「…それ、リュードの事だろう?」

「…誰とは言いません。その、ぼくたちが信頼できる探索者で、実力があり、その、慎重で決して蛮勇な真似はしない。そ、そして何より、術士を欲しがっている。お互いに良い話、じゃないでしょうか。」

「もしかしてリュードとは違うのか?」

「本人がいいと言っています。そ、それに、クロムさんがいいって言っていたとか、そういうことを聞いていますが。」

「やっぱりリュードの事じゃないか。」


 少し考えてから、そういえばそんなこともあったと思い出した。確かにクロムにはそんなことを言った覚えがある。


「ああ…そういえば……言った気が…思い出した。

 あっもう一匹出たな。あれを倒してから…」


 都合よく現れた影獣で話題を先延ばしにしようとしたが、ディンが魔術一つであっさりと倒した。


「……。」

「その、優秀な学生の就職先の斡旋も学院の仕事なので…受けてもらえるとですね……。」


 クロムはそれに少し考えると言って、その話題は終わった。考えると口では言ったものの、内心では術士の仲間ができることに少しだけ期待していた。


 結局この日やりたかった検証からすれば、体内に作用、発生するような魔術では影獣には通用しない。逆に、皮膚やその周りに魔術が発生していれば攻撃は通じる。

 ディンはその成果で満足したのか早々に迷宮を切り上げ、学院へ帰って行った。

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