29.

「あ、クロムさん、早いですね。」


 約束の朝、ディンの呼び声が西門の広場に駆けてきた。まだ朝だというのに往来の多い門の前だったが、すぐに合流できたのは少しだけ運がいいように思えた。


「すみません、今日来る予定だったタイデン教官は来客があるとかで一緒に来れないそうです。」

「タイデンも来る予定だったのか?」

「はい。念のためと思って声をかけたんですけどね。

 なので浅層だけになりますが、ぼくは影獣の観察ができればいいので…。」

「そうか、次の鐘が鳴るまで待ってもらっていいか。」

「良いですよ。誰か来るんですか?」

「…多分な。」


 ディンの了承を得てから、しばらく近くの木陰を陣取った。

 クロムはリュドミラが来ると思っていたから、彼女を待ちながら鐘が鳴るまでディンとはブネ迷宮の話をすり合わせていた。


「…だが本当に俺でいいのか?影獣に物理攻撃は効かないんだろう?」

「え、ええ、それはわかっているんです。ただ、そのですね、本当に通用しないかは試さないといけないと思っていますから。」

「成程。剣でいいか?」

「うーん、クロムさんのやりやすい武器で戦ってください。

 影獣には深層になると魔術攻撃もあるそうですが、浅層では物理攻撃のみです。これはブネ迷宮によく潜っている人たちによる情報ですから、確度は高いです。」

「成程。まあわかった。……む、来た。」

「どうしまし…おや、リュドミラくん。きみも迷宮ですか?」


 クロムたちの前に現れたのはリュドミラだった。相当急いで来たのか息を切らして、疲れたような表情だったが、どこか晴れ晴れしたところがあった。


「来たか。」

「…ハア、ハア、お待たせ。…間に合ってよかったよ。」

「どうだった?」

「…まあ、ちゃんと強い探索者に着いて行くなら…それでもいいってさ。」

「そりゃよかった。」

「ええと、どういう話ですか…?クロムさん…?」


 リュドミラはきちんと話し合って、筋を通したということだろう…尤も、大暴れして絶縁宣言までするような奴だから、本当に話し合ったのかはわからないが。

 リュドミラは息を整えて、神妙な面持ちでディンの前に立つと、勢いよく頭を下げた。


「ディン教授。私もブネ迷宮に連れて行ってください。荷物持ちでも構いません。お願いします。」

「え?ええ?」


 突然のことで、これまでとは違ったリュドミラの態度にディンは戸惑っていたが、視線を彷徨わせた後にクロムのほうを見た。


「え、ええと、ク、クロムさん。どうしましょう?」

「…今日は魔獣の観察が主だと言っていたが、荷物持ちとかで一緒に連れて行ってもいいと思ってな。浅層なら身を守れるくらいにはできる奴みたいだから、俺が雇う。」


 昨日から考えていた言い訳を言ってみたが、随分と雑な棒読みにリュードは顔を顰めた。


「え?うーん?いや、うーん、クロムさんに負担がかかっちゃうのでは。」

「連れて行こうと言ったのは俺が先だからな、それくらい構わん。」

「…クロムさんが良ければ、うん、良いですよ。予定では深くまでは潜らないですから。

 で、でも、リュドミラくん、危ないと思ったら一人でもちゃんと、その、逃げてくださいね。」


 しばらく迷っていたディンだったが、やがて諦めてそう頷いた。


「も、勿論です!ちゃんと逃げます!」

「よし。じゃあ行こう。出て左の方だったか。走ってどれだけだったかな?」

「いえ、馬車があるので、それで行きますよ。」


 ブネ迷宮には影獣オンブロンという狼のような姿の魔獣しか現れない。影獣には物理攻撃は通用しない代わり、魔術への耐性は無いに等しいため簡単な魔術を使えれば戦うことができる。ただし、深層に現れる影獣は魔術への耐性が少なからずあり、倒すのは非常に難しいとされている。

 その事前情報通り、一層の影獣にすらクロムの渾身の一撃は通じなかった。

 攻撃が当たった瞬間はオセ迷宮で会った蜈蚣型の魔獣よりも硬いわけではないと感じた。だが、わずかに皮膚が沈んだだけで断ち切ることができない。

 魔獣の反撃は距離を取って避けた。今度は剣で突いてみたものの、切りかかった時と同じく深く刺すことができず、表面をなぞるように逸れた。剣だけでなくハルバードや鎚で攻撃を試したが、いずれも通じなかった。


 普通の迷宮なら、一層に現れるような魔獣はクロムの敵ではない。思い浮かぶ限り様々な攻撃を試していたところ、魔獣が跳びかかってきたときに変化が起きた。攻撃自体は通じなかったものの、宙にいた魔獣を弾き飛ばすことができたのだ。弾き飛ばされた魔獣は身軽に着地すると、警戒したように低く唸った。


「ふむ?今通じたか?いや、通じてはいない、か?」

「…うーん。物理攻撃ではありましたが、弾かれてはいましたね。もしかしたら物理作用自体は働くのかもしれません。」

「魔術で倒せるんだったら、もう俺が攻撃しちゃダメですか?」

「検証なので駄目です。」

 しばらく戦いを続けて何度か跳びかかってきたときの攻撃作用を確かめたが、確かに空中にいる影獣にはきちんと打撃は作用し、弾き飛んだ。ただし全く傷をつけることはできなかった。


「…ふむ。じゃあ、殺しちゃいましょう。〈脱水ディヒドラティゴ〉。」


 かしゅっと小さな音と共に魔獣が干からびたように細く小さくなって砕けた。


「わあ、すげえ!」

「この魔術に興味がありますか?」

「はい!…あ、でも今はいい、です。今は荷物持ちだから。」


 魔獣は跡形もなく崩れて消え、その後も階層を変えながら同じような検証をした。

 クロムが魔獣を抑え込み、リュドミラが小さな〈フラム〉を魔獣に当てると、魔獣は苦しんで身をよじった。相当に魔術への耐性は低いのだとそれだけでよくわかった。

 結局浅層の影獣に対しては弱い魔術でも十分通じるが、物理攻撃は一切通じない。空中にいるときは弾き飛ばすことはできる。こっそり〈剛力リギテット〉を使って攻撃してみたが、これは物理攻撃になるようだった。剣自体に魔術が及ばないからだろう。

 影獣から距離を取って〈迷彩の鎌〉を構えたとき、この迷宮品の効果である〈迷彩〉は影獣相手に発動していたようで、影獣はクロムを見失った様子だった。〈迷彩の鎌〉で攻撃もしてみたが、この攻撃は通じなかった。攻撃に関する効果は無かったからか、そもそも魔術でないからだろう。

 効果が攻撃に関するような迷宮品は他に持っていなかったため、迷宮品の効果が通じる範囲は検証できなかった。

 ディンの持っていた魔道具で〈ヴィンター〉の魔術で攻撃したときは魔術と同じように攻撃が通じた。

 四層で検証した後、帝都へと戻って夕食を食べていた。迷宮の話になった時、リュドミラがそういえば、と口を開いた。


「影獣に物理攻撃は通じないんですよね?〈グルド〉とかの物理的な魔術は効くのかな?」

「あ。そういえば試していませんでしたね。

 魔道具と魔術でそれぞれ〈風〉を試しましたが、これはどれもよく通じていましたから、通じるとは思いますが。」

「いや、そっちじゃなくて、強化関係の魔術の方。」

「なんだそれは?」

「身体や道具の頑丈さを強化する魔術です。」

「リュドミラくんの言う通り、制限のある魔術が多いですが身体を強靭にしたり、道具を頑丈にしたりします。…うん、いくつかは知っていますよ。」


 ディンに言われて思い当たったのは〈剛力〉と〈鋼鉄カリプス〉だ。何倍にも筋力を上げ、あるいは身体を覆うように硬く丈夫にする魔術はどちらもクロムの身体に作用していると言っていい魔術だ。彼らの口ぶりだと、何種類もあるのだろう。


「一応、ぼくもいくつかは使えますが…それでも、魔獣がすぐそばで戦うのは怖いですね。マルバスで護衛を付けていたのも、それが理由ですから。」

「…慎重になる気持ちはわからないわけではない。俺が抑え込んでいる間に試してみるか?」

「うーん、そ、そうですね、次、試しましょうか。」

「私にも魔術を教えてくださいね。」


 出された肉を行儀よく食べながら、出てきた茶を一気に飲み干したリュドミラは思い出したようにクロムの傍に何げなく寄って聞いた。


「クロムさんも何か魔術を使ってたけど、何だったん…ですか?」


 リュードは何気ないように聞いてきたが、クロムは突然のことに表情こそ変えなかったが衝撃を受けていた。


(こいつ。)

(魔術を使う奴は、こっそり魔術を使っても気付くくらいに敏感なんだろうか。)


「…気にしないでくれ。」


 とっさに呟いた声は喧騒で消えそうなほど小さかったが、リュドミラには届いていたらしく、わかったとばかりに小さく頷いた。ディンは聞こえていたかどうかはわからなかったが、無反応だった。

 クロムも残りの茶を一気に飲み干して、席を立った。まともに使えないということで隠し通している魔術のことで、ましてや魔術に強い執着のあるディンの前で根掘り葉掘り聞かれたくはなかった。

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