28.

 ディンとブネ迷宮へと向かう前日の昼。いつも通りに型稽古を済ませて昼飯を食べていた時、意外な客がクロムを訪ねてきた。


「〈白蜈蚣〉、いや、クロムさん。俺も迷宮探索に連れて行ってほしい…お願いします!」


 驚きと共にパンを飲み込んだクロムの前に現れたのはリュードだった。

 以前に見たときのように溌溂とした雰囲気は鳴りを潜め、目の下に酷い隈をつくり、慣れないような言葉遣いと腰からほぼ直角に頭を下げる姿を前に、他人の心の機微など察せないクロムでもその思いつめたような必死さを感じ取った。

 リュードは探索者に憧れているような節があったが、この願いはそれだけではないように思えた。


「明日、俺は護衛依頼でブネ迷宮に行く。そこでは俺はほとんど役に立たんらしいから、術士は確かに必要だ。」

「そ、それじゃあ…!」

「だが、依頼主はディンだ。生徒が一緒に行くともなれば、拒否するだろう。」

「え?もしかしてディン教授…?」

「うん?ああ、そうだ。恐らくあいつは駄目だというだろう。」


 魚のように口を開閉しながら言葉を紡げないでいるリュードを前に、水と共に残りの野菜とパンを流し込む。リュードの顔色はさらに悪くなっていた。


「じゃ、じゃあ、教授に頼めば…」

「そうだな。望みは薄いがそうしておけ。」


 ディンと以前ロンウェー迷宮を探索したとき恐ろしい速度で周回できたのは、ディンが自分以外をすべて巻き込む無差別攻撃ができたからだ。生徒という、守らねばならない対象が増えることは大規模な魔術を使うディンにとっては望ましくないはずだ。


(……いや、待てよ。目的は魔獣の観察だとか言っていたし、もしかしたら連れていくだけの余裕はあるのか?)


「リュード。」

「は、はい!」

「潜るだけなら一緒に行けるかもしれない。」

「ほ、本当か!」

「浅層だけだったら、護衛の一人…いや、俺の荷物持ちとして同行できるしれない。だが駄目だと言われたら諦めろよ。それから、深層に潜ることになった時もお前は先に地上に出てもらう。」

「あ、ああ、それでもいい、です!に、荷物持ちでもいい!」

「なら、明日の朝に西門に来い。」


 リュードは変わらず顔色は悪いままだったが、クロムの前に現れたときよりも少しだけ表情は和らいでいた。

 荷物持ちは探索者の中でも見習いのような戦力にならない者が主に行う仕事だ。行先の難易度によって払う額は変わるが、迷宮の浅層ならどこも銀貨数枚のちょっとまとまった小遣い程度であり、気にするような額ではない。

 クロムの荷物は〈収納袋〉と〈武器庫〉にすべて仕舞われていて、それもクロムが腰に下げているから運ばせるような荷物はなかったのだが、方便として言ってみれば案外いい案に思えてきた。もし書き変りが起きたときはリュードに押し付ければ、荷物持ちとしての言い訳も立つ。


「一つ聞いていいか?なんでそこまで迷宮についてきたがる?」


 クロムの言葉にリュードは再び表情を曇らせた。しばらく沈黙が続いてから、クロムの顔をちらりと見たリュードは気まずそうに目を逸らした。更に時間が経ってから、ようやく観念したように話し始めた。


「俺の家…オルドヴスト家は、代々男系で、それも武官の家系なんだ。でも、俺じゃ家を継げない。」

「家名があるということは貴族か?」


 ただの平民では家名などまず持てない。家名を持てる者は貴族か騎士、あるいは村の長の様な立場のある者か一部の郷士、有力な商人くらいだと聞いた。


「貴族だ。帝国の傘下に入ってからは伯爵家になったから、立場は弱くはないけど、実際すごく強い権力があるとかいうわけでもない。それでも家自体は今の帝国の三つ前の国からずっと続いてきたから、そのときからの決まりで女は継ぐことができないんだ。」

「ふうん…うん?待ってくれ、お前は男じゃないのか?」

「うん?いや、女だよ、俺。…え、気付いてなかった?」


 目の前の奴は、男じゃなかった。クロムはついに他人の心の機微はおろか、性別すら見分けられる能力すら失ったのかと密かに愕然としていた。


「…いや、すまん。てっきり男だと…。」

「いや、いい。言葉遣いなんか貴族のそれじゃないし…声も低くて髪型とか体格も男に近いからなあ…。

 本当はリュドミラって名前なんだけど、あんまり気に入ってないんだ。だから、これからもリュードって呼んでほしい。」

「わかった。

 それで、リュードは男の兄弟がいるのか?」

「あ、ああ。ランスロッド…兄がいるんだけど、なんというかとんでもないうつけ者でさ。

 魔術や武術、武官の仕事は魔獣や人と戦うのは怖い。

 内政や経理、法務…文官の仕事は結局人と関わるのが怖い。

 部屋の外ですり寄ってくる奴は悪意があるから関わりたくないとかそんなことばかり言って、人の前に立とうとしない。兄に会えるのはせいぜい父上と母上だけで、自分の部屋に引きこもってずっと人形と地図で遊んでるだけなんだ。」


 リュドミラは一息にまくしたてると、少し息を切らしながら深呼吸した。落ち着いたところで、小さな溜息と共に口を開いた。弱弱しい声だった。


「…それでも貴族としての能力はあって、俺を通せば指示は出せるし、それが的確だから内政がからっきしってわけじゃない。

 癖が強い人だけどなまじ優秀だっただけに、誰か気心のおける…要は俺を付ければそれなりに動けるから、兄が家督を継ぐのに問題ないって親たちは考えてるんだ。

 でもそれだとオルドヴスト家は問題なくても俺が自由じゃない。代々当主の側近は居たけど、こんな奴はいなかった。

 そんなのおかしいだろ。当主が一切出張ってこないなんてこと、うちの騎士たちだって忠誠心なんてなくなっちまう。

 さっきも言ったけどずっと引きこもってる兄はいいひとを娶ることも探そうともしないし、父上も諦めてなんとか兄が家を継げるように分家の説得に必死で、母上もそれに同調してる。その一環で俺は分家のいけ好かない奴に嫁いで兄上をしっかり支えるのよ、だって。バカみたい。

 どうせ俺のことなんか見てないんだよ、あいつらは。」


 また感情的になってきたのか眉間にしわを寄せていた。大きく息を吸い、吐いて俯く。何かを諦めた者の表情だった。


「…うん、そう、しきたりかな。うちに生まれた男は当主か武官になって、女は他家に嫁ぐか、独り身で本家を支えるか、文官になるかしてきた。だから、それに従うって考えなんだ。

 父上も母上も頭が岩みたいに固くて、兄妹が逆の道を選ぶのは許さないんだ。

 それで昨日いよいよ大喧嘩して、絶縁した。」

「…絶縁?」

「うん。父上の禿頭をぶん殴って、母上を魔術でびしょ濡れにして、兄上の部屋を破壊して絶縁宣言してきた。」


 リュドミラは鼻息荒く言い捨て、運ばれてきた茶を椀に注いで一気に飲んだ。クロムにとってやや複雑な貴族の話を理解したのは、それからもう一度リュドミラが茶を飲み切った後だった。


(…つまりどの過ぎた喧嘩だな。

 俺もウルクスに鍛冶を仕込まれたとき随分怒られたし反発もしたが、あれの酷い状態と思えばいいかな?少し懐かしいな。)


「そうだな…リュード、一人の探索者として言うが…まあ、それで納得しているならいいんじゃないか。」


 リュドミラの表情が少し明るくなったが、次の言葉でまた曇った。


「だが、そう言えるのは、その石頭な家族がいる間だけだ。」

「ム。クロム…さんだってそうじゃないのか?」


 リュドミラがますます眉をひそめて反論した。クロムは軽く頭を振った。


「最も世話になった男ももう死んでいるし…俺に家族はいない…と思う。」

「歯切れが悪いな。」

「その男に拾われるまでの記憶を忘れてしまったんだ。だから、今は過去の手がかりを探している。」

「…そうかよ。情報屋とかは?」


 言葉にはせず、首を横に振るだけにとどめた。


「俺が思うに、親しい奴と喧嘩できるのも、不満を言えるのも、そいつが傍にいる間だけだ。本当によく話し合ったか?」

「……。」

「リュードがこの先探索者として帝都で活動するなら、貴族の、いや家族のしがらみからは逃れることはできないだろうからな。」

「そんなもの。」

「探索者協会にも顔が利く貴族がいると聞いたこともある。依頼は貴族でも出せるが、それを断るのは難しい。喧嘩別れしたら追ってくると思わないか?」

「…帝都から離れればいい。」

「貴族というのは…俺は良くわからんが、相当手を伸ばせるだろう。それこそ、帝国なら融通も利きやすいからな。」

「いや、だけど。」


 適当に思いついたことを言ってみたが、それらしいことを言った気がしていた。

 クロムが帝都に着いてからのことを思うと、この場所は相当恵まれた場所だと思える。

 帝都は人や物品だけでなく情報も集まってくる。そして金があればそれらを買ったり、雇ったりできるし、人が多い分依頼も多く、受けやすい。流石に討伐依頼は多くないが、迷宮がいくつも周辺にあるから、より深層に潜れば多少は稼げる。

 帝都はクロムにとっても都合のいい場所だった。記憶を辿ることが目的でなかったなら、帝都に拠点を置くのもいいと思えるくらいだ。

 ここしか知らない貴族の娘が一人で飛び出して、果たして生きられるのかと問われれば、誰もが首をかしげるだろう。


「リュード。もし既に絶縁を宣言していたとしても、まだ互いに取り返しがつくと思う。

 最後だと思って話をしてくるんだ。突然魔獣が出てきて殺されるようなことは、この帝都ではないだろうが…それは、俺にはできなかったことだ。」

「…は、話をして、駄目だったら連れて行ってくれるか?」

「……それはその時に考える。

 ところでハルトには頼らなかったのか?」


 リュードとハルトは大体いつも一緒にいたはずだ。迷宮に潜るときも一緒だったし、てっきりこういう時に頼る先もハルトだと思ったのだ。

 リュードは渋い顔をして、首を横に振った。


「ハルトはプルヴェゴ公爵家の人間だぞ。それも知らないのか?」

「へえ。あいつも貴族か。なら、なおの事頼ってはいけないのか?」

「…もしここで俺が頼ったらオルドヴスト家の揉め事に他家が介入することになる。

 他家に頼っている、つまり家が弱っていると判断されれば手塩をかけて育てた騎士や従卒や兵が根こそぎ他家に引き抜かれてしまう。そうなれば質の高い兵力を提供できなくなったオルドヴスト家はいよいよ終わりだ。…そっちの方が幸せかもしれないけど。

 なによりハルトはブランシュ第四王女と婚約中。女の俺が転がり込むと、あの二人の恋仲を裂きたがる奴らや邪推が好きな貴族たちの格好の餌食になる。それは面倒だし、なによりハルトたちに迷惑をかけることになるから嫌だ。」

「良くわからんが、面倒になるから頼れないのはわかった。

 待てよ、リュードにも貴族として婚約者だかはいるんじゃないのか?さっき言っていただろう。」

「いるにはいるけど、油ぎったオッサンの後妻なんかにはなりたくないし、ここで頼ったら婚約確定しちゃうから嫌。女らしくない俺にだって選ぶ権利くらいはある。」


 クロムにはリュードの嫌だと言った理由がよく理解できていなかったが、感情の面で婚姻をしたくないということはリュードのしかめっ面からよく伝わってきた。

 あとからよくよく考えて、あれほど活発で魔術の才能あふれるらしいリュードが、自身とは反対の男とこの先ずっと一緒にいることは確かに嫌だろうなと思い直した。

 ただし、クロムは貴族に対してごく少ない理解はあっても内情など一切知らない。リュードの言う男というのが誰かも知らないから、クロム自身が知る範囲で理解したに過ぎない。


「……貴族というやつは難しいな。」

「……ああ。クロムさんさえよければ俺とパーティを組んでくれてもいいんだぞ?」

「ふむ、だが今はディンもいるから困っていないかな。

 もし帝都を離れるときに…俺が使えない魔術を使える奴がいたら、とは思っている。それは正直なところだ。」


 それを聞くとリュードは少し表情を和らげ、大きく頷いて席を立った。

 それに合わせてクロムも席を立った。この後は探索者協会で、一日で終わるような依頼を受けるつもりだった。

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