27.

 ロンウェー迷宮が攻略されてから二十日が経った。

 クロムのやることは依然変わりなく、朝に鍛錬をし、昼に依頼を受け、日が沈むまでに済ませる。あるいは迷宮へと赴いて、様々な武器で技の見直しをする日々だった。

 すっかり元気になったリュードやハルトにせがまれて模擬戦をする日もあったし、ディンから護衛の依頼を受ける日も何度かあった。


 以前からしていた探し人、夢に出てくる銀の髪の女は一向に見つからないことに多少の焦りを覚えたが、人探しの得意な者を使ってなお手がかりが得られていない。もう少し帝都で探してみるつもりだったが、シラー帝国内にはいないのだろうと思い始めていた。

 ある日、マルバス迷宮三階を探索していた時、大跳蛙サルチラーノに不意を突かれ、のしかかられた。力尽くで振り払って鎚で叩き潰したのだが、不意を突かれた瞬間はクロムは鎚を持っていなかったから、いつ取り出したのかと首を傾げた。とっさのことだったし、そんなこともあるかもしれないと納得していた。

 しかし別の日の依頼中にも同じことが起きた。依頼者の警護中に鹿に襲われ、とっさに武器を欲した。すると今度は剣が手に握られており、クロムはそのまま鹿の首を落として事なきを得た。


(気のせいじゃなかったのか!)


 数日駆けて何が起こったかをひたすら検証した結果、〈武器庫〉に入れてある武器のうち、脳裏に思い描いた武器が取り出せることがわかった。更に何度も試したところ、取り出せる武器と取り出せない武器があった。数打ちの剣や矢は一つも取り出せないが、ウルクスの打った武器のいくつかは取り出すことができた。いずれもよく使うもので、姿かたちをよく覚えているものばかりだ。


 後で知ったことだが、名称を呼ばずとも姿かたちを思い浮かべれば取り出せるという現象は収納系の迷宮品に共通して見られる機能だという。

 それから更に数日間は武器一つ一つの形状や重さ、使い勝手を見直した。名前を呼ばなければ取り出すことはできなかった盾と槍も念じるだけで取り出せるようになった。どちらもクロムがよく使うもので、それ以外の盾や槍は出てこなかった。


(これはいい。そういえば前にハルトと戦ったとき、弓矢と言ったから対応されてしまったな。これでもっと戦いやすくなるぞ。)


 今すぐはできなくても、使っているうちに他の武器も取り出せるようになるだろうと考えると口元が緩んだ。

 検証を終えた翌日にはマルバス迷宮三層へと向かい、鹿型魔獣を倒しながら、戦いの途中で別の武器を取り出す練習をした。鹿型の魔獣は魔術しか使わないので、武器の取り出しに失敗しても〈白輝蜈蚣の外套〉のお陰で取り返しがつく。クロムにとって相性のいい練習相手だった。

 倒しているうちに武器の切り替えも少しは慣れ、剣、槍、鎚、盾しか出せないものの戦闘中でも別の武器を取り出せるようになってきた。


(ふう。まだ安定してできるわけでもないし、しばらくここで練習だな。

 四層にも入ってみたいが…四層は他迷宮の深層相当だという話だったな。流石に一人では無理かな。オセの時みたいに誰か仲間を募ってみるのもいいな。)


 そんなことを考えながら、更に数体の魔獣を倒してからマルバス迷宮を後にした。宿へと帰って〈収納袋〉の中身を整理しているとき、丸薬型の迷宮品を見てふと思うことがあった。


(そういえば結構な数、傷薬や丸薬を手にしたが…傷薬は色が違うからわかるが、丸薬は全く見分けがつかんな。いっそ全部鑑定してもらうか。)


 傷薬は二十五個、丸薬は全部で十八個あって、鑑定料で金貨三枚にもなった。

 丸薬はいずれも〈マルバス万能薬〉で、飲んだ者の身体を正常に近づける〈復調〉という効果を持つ。これは〈回復〉の魔術の作用に近く、特に三層以降で手に入れたものは多少の怪我や病気を負ったときに噛砕いて飲むと、すぐに体が元通りになるほど強力な効果があった。ただし怪我を負う前の状態、例えば手足を欠損していれば手足が生えてくることはない。血が止まるまでだ。また一日のうちに何度も飲んだ場合、効果は発揮されない。

 〈マルバス傷薬〉は複数の種類がある軟膏の様な迷宮品だ。その色ごとに切り傷、打撲、薬傷、火傷等に特効のある効果だった。聞けば三層で手に入る〈マルバス万能薬〉がそれらをすべて治せるから、それがあるなら〈マルバス傷薬〉は不要だという話だった。

 この〈マルバス傷薬〉はすべて売却したが、金貨二枚と銀貨五十枚になった。効果は〈マルバス万能薬〉の一部とはいえ、迷宮に潜らない一般市民からすればまさに魔法の薬なのだ。


「あ、ク、クロムさん、こんにちは。」


 探索者協会を出たところで声をかけられた。振り返ると探索者のようには見えない、武器の代わりに大量の紙と本を持った男…ディンがいた。


「ディンか。こんなところで珍しいな、何か依頼か?」

「いえ、情報収集に。〈霊峰山脈の悪夢〉って呼ばれる狼型魔獣って知ってますか?」

「いや、知らん。」

「ぼくたちがロンウェー迷宮を周回していたころに霊峰の山中で発見された魔獣です。聞けば遭遇した一団は二十六人のうち…」


 場所を一旦茶屋に移して、ディンの話を聞いた。今辻で話題だという〈霊峰山脈の悪夢〉と呼ばれる魔獣についてのようだった。

 噂話の情報を一通りをあれこれと話しながら、その正体の可能性として挙げたのが、ブネ迷宮で見られる影獣オンブロンの存在だった。


 ブネ迷宮は二十六層から成る迷宮だが、狼の姿をしていることが多い影獣のみが出現する。なぜそんな曖昧な言い方かと言えば、実際に狼の姿をしているものの、中層からは黒い靄が全身を包んだとき、靄の一部を残して別の獣の姿に自在に変わるためだ。これは〈変身〈サンガス〉〉の魔術を使っているのではないかと言われている。

 影獣は物理攻撃の一切が効かないが、魔術に対しての耐性がほとんど無い。特に上層は駆け出しの術士であっても少し威力のある魔術を使えば簡単に倒せるほどだ。ただし下層に行くと多少魔術に耐性のある個体が出るようになる。

 この影獣の特徴が霊峰山脈の狼型魔獣の特徴に一致するとディンは言った。

 ただし靄に包まれて姿が変わったという証言は無い。

 実際にその魔獣に遭遇した〈乱れ焔〉フェイジュは無茶な魔術の使用が祟って療養中であり話は聞くことができず、利き手を失った〈綺麗好き〉ニルスは既に探索者を引退し、故郷の村へと帰った後だった。他の生存者たちも〈乱れ焔〉と同じく療養中だったり、パーティの立て直しや他パーティへの迎合の交渉をしたりと忙しく動いているようで、話を聞くどころではないのだという。

 クロムは帝都に来た時、最初に探索者協会の職員からブネ迷宮のことを教えてもらっていた。自分には縁のない迷宮だと思って、一度もブネ迷宮には近付かなかった。


「…ということで。で、でで、で、ですね、その、クロムさんにちょっとブネ迷宮に潜ってもらいたくて。」

「…はあ?待て、待ってくれ、話が見えない。なんでそこに繋がるんだ。」

「いえ、その、ホンモノの影獣を研究したいなあ、なんて、思いまして。調べた限りちょっと他の魔獣とはその、一線を画すでしょう?物理無効だなんて言う特異性が気になって。

 上層からできれば深層まで、ちょっと、その、行って色々試してみたいなあ、と。」


 ディンがきらきらとした笑顔で語る。ろくでもないもの―――いや、ディンにとっては大変素敵で興味深い研究対象を見つけた目だった。


(しかし物理攻撃の通用しないという敵じゃ、そもそも俺じゃ警護も何もできないんじゃないか?)


 そんな懸念を浮かべていると、どこからともなく鳥が現れて喋った。


「ディン教授、そろそろ講義のお時間です。戻ってきてください。繰り返します。ディン教授、そろそろ講義のお時間です。戻ってきてください。」


 鳥の正体は以前タイデンが使っていた連絡用の魔道具だった。鳥がそう伝えるとディンははっとした顔で「すぐ戻ります」と鶏に向かって喋った。鳥は再びどこかへ飛んで行った。


「あ、その、もうすぐ講義があるので失礼します。で、では、四日後、西門のところでまた。何かあったら学院まで来ていただければ…。」


 広げていた紙束をまとめると、それだけ言い残して大慌てで出ていった。


(…あいつも忙しいな。……ブネ迷宮。一応、調べておくか。)


 迷宮や魔獣の情報は他の探索者や専門に取り扱う情報屋からも多少の金を払えば聞くことができる。個人の集めた情報故珍しい情報があるときもあれば、時に間違った情報が含まれる場合もあり情報の質のむらが大きい。

 その点探索者協会では迷宮や各地の危険性のある場所の情報を体系的に取り扱っている。情報の領も質も均一で、探索者から実際に得た情報の他に裏取りもしていることが多い。

 職員から聞いた話は結局ディンとほとんど変わらなかったが、一つ興味深い話を聞けた。


「ブネ迷宮最奥である二十六層は一人しか入れない、人数制限のある迷宮です。

 過去にわずか二度とはいえ踏破されてはいますし、迷宮主は影獣であることはわかっているのですが、その詳細は未だ謎のままです。

 踏破した二人の術士はどちらも同じような証言しました。

 迷宮の主は影獣だったから、手始めに強力な魔術を使って攻撃した。すると信じられないことにそれを耐えて、相手も同じ魔術を使ってきた。そこからは魔術の応酬で、必死に迷宮品や魔道具や薬をいくつも使い潰してようやく倒した。

 …この二度の攻略情報を基に最下層に挑戦した探索者は多くいましたが、一人として戻って来ていないんです。稀代の術士じゃなければいけないのかもしれませんね。

 協会としても被害者が出るのは忍びないので、最奥には行かないよう注意を促すしかできませんが毎回言っているんですよ、実力のある人ほど潜って戻らないけれども。

 影獣に物理攻撃が通用しないのは常識なんですから、クロムさんみたいな魔術の使えない戦士にはなにがあっても絶対に立ち入らないでくださいよ!

 絶対に入っちゃダメですからね!」


 いくつもの情報を合わせれば、ディンの言う通り霊峰山脈に出現した魔獣と影獣は確かに共通するように思える。


(そんなに単純に考えてもいいんだろうか…?)


 一抹の不安を覚えたものの、クロムにそれを判断する知見は無い。他の職員や魔獣に詳しい情報屋に聞いてもそれ以上の情報は得られなかった。

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