26.
ロンウェー迷宮が攻略された。
その知らせはすぐに広まり、クロムのように追われ兎を探していた探索者たちや、そうでなくてもよくロンウェーへと潜る探索者たちは安堵し喜んだ。
古参探索者の失踪や駆け出しや学生の負傷、近隣での魔獣の出没の報告が増えたこと等、物騒な話題が多い中でようやく出てきた吉報に多くの探索者が湧いた。
ロンウェーの周回をしていた者たちは、今日はしこたま飲むぞとばかりに酒場や探索者協会で酒を撒き散らしながら騒いでいた。
その明るい騒ぎに冷や水を掛けるように探索者協会の戸が大きな音を立てて開いた。
全員の視線は駆け込んできた男に集中した。明るい部屋でよく見れば、男は服も装備もボロボロで、血がこびり付いていた。近くで〈回復〉が仕えた術士が〈回復〉を掛けはじめ、男は息を整えながら職員に報告した。
「二級パーティ〈暁の盾〉、〈帝都酒宴会〉、三級パーティ〈水の祝福〉、〈バリン遊撃隊〉…」
血塗れの男から挙げられた四つのパーティはいずれも帝都を拠点にする、迷宮探索や警護を主に行っている探索者たちだ。依頼の成功率も高く、実力を評価されている以外の共通点は無い。
「二級〈乱れ焔〉フェイジュ、〈枯れ木〉ドストロ、〈綺麗好き〉ニルス、三級〈毒沼〉バーバス…」
続いて挙げられた四人の名前はいずれも一人で活動する探索者で、実際にその級より一段上の実力の探索者と遜色ないため実力派と称される者たちだった。彼らの名が出てきたところで、誰もが一体何があったのかと疑問を浮かべた。前のパーティらと合わせると錚々たる顔ぶれと言ってもいい。
もしや探索者協会への離反かと思った者もいた。しかし目の前の血まみれの男が〈帝都酒宴会〉の一人だと気付いた者はその様子を見てその妄想を否定した。
嫌な予感が一同に過った。
「以上の連合パーティで霊峰山脈、霊峰六合目で…敗走…。」
霊峰山脈。西大陸を東西に二分する山脈。その山脈の中にそびえる一際巨大な霊峰は万年雪に覆われ、自然の壮絶さと美しさを備えた前人未踏の山。
霊峰を取り巻き、連なる山々もまた、一定の標高であれば霊峰同様である。
六合目となると一層険しい地形と迷宮中層や深層と遜色ない強力な魔獣、今の季節では吹き降ろすような猛烈な吹雪が行く手を阻む、難所中の難所。
「いや、なんで冬なんかに?」
「今のほうが全体的に魔獣が少ないからだよ。獣と同じで冬眠してる種類もいるからな。」
「七合目より上は年中雪が舞ってるって噂だ。上に行くなら今のほうが練習になる。」
「わざわざこの季節に行ったんだ、何かそれなりの準備があるはずだ。」
しかしそこに挑むなら、敗走などではなく攻略失敗という方がふさわしいのではないか。現に敗走という単語は文字通り何かに敗れて逃げたことを指す。
誰かがそれを問う前に、他の誰かが先に口を開いた。
「おい、被害は。」
血に塗れた男が苦い顔をした。
最悪の想像をした誰かがいて、言うのはやめてくれと誰かが祈った。
男は〈
「〈水の祝福〉五人中三名死亡。
〈バリン遊撃隊〉四人全員が死亡。
〈暁の盾〉六人中三人が死亡。
〈帝都酒宴会〉も七人中四人死亡。
〈枯れ木〉、〈毒沼〉も死亡。
重症者は〈乱れ焔〉と〈水の祝福〉の生き残りの〈回復〉で一応生きているはず…。
中腹あたりなんだ、助けてくれ…。」
「何があった?何に出会った?」
「……小さくて黒い…オオカミ。」
それを伝えて男は眠りに落ちた。職員は男を揺すって生存者の様子や魔獣の情報を聞き出そうとしていたが、男は相当消耗していたのか目を覚まさなかった。
震えた声で呟かれた答えに、一部の腕利きたちは分析を始める。
「狼の魔獣?霊峰山脈にいたかな?」
「あそこの狼型の魔獣と言えば
他は
「それの幼体じゃないか?」
「だがそれなら危険度は高い方でもないし、あいつらが束で掛かれば倒せるような魔獣じゃないか?あいつらだって強力な探索者だぞ。」
「未確認の魔獣の線は?」
「あり得る。」
「だが、それだと余計に解らん。まさか
「それだと術士が倒してるんじゃないか?〈水の祝福〉に〈乱れ焔〉に〈枯れ木〉が生きていたんだろう?」
「深層の同等か?それなら〈変化〉を使うはずだが…。」
「それも聞き出さねえと。」
翌日、目を覚ました男と共に一級パーティ二組を含めた三十名の救助隊が組まれた。いくら難所の霊峰とはいえ、捜索と救助ならば腕の立つ者がこれだけの人数いれば十分と誰もが思った。実際のところ、同中には魔獣が散見されたが、わずか十日で生き残りたちは救出された。十分な食料を持ってきていたことと、魔獣が少なかったことで生き延びることができたようだった。帝都へ戻った生き残りは全員が満身創痍な状態だった。
生還者の話をまとめれば、一行は一年近く前から霊峰に挑む準備をしていたという。今回もその予行練習で、七合目まで足を延ばそうと霊峰へと登り始めたのだ。
これまで五合目までは何度か挑戦しており、そこまでの魔獣は問題なく倒せることはわかっていたから進みは快調だった。
四合目に差し掛かったころ、過去にこのあたりで相対した魔獣に比べて数段手強くなった。だが実力者揃いの一行にとってはわずかばかり苦労する程度で済んでいた。
「妙に強くなったな。」
「ああ、だが俺達なら対処できる。」
「なあ、この魔獣、もっと上のほうにいた奴じゃないか?五合目くらいかな。」
「…何?」
「餌を探して下ってきたとか?」
「ああ、たまにあるやつだな。迷宮だったら異常だが、ここは地上だからなあ。」
雪に覆われ始める六合目に差し掛かろうとした頃、生き物の気配がなくなった。
どこか異常だと皆が感じていたが、具体的にどこが異常なのか誰も言葉にできないまま一泊した。その次の朝に、誰から言うともなく撤退が決まっていた。
五合目あたりへと戻った時、一番前を歩いて哨戒していた〈毒沼〉が崩れ落ちた。
その時は後ろからでよく見えなかったが、〈毒沼〉の回りには血が飛び散っていた。
〈毒沼〉を攻撃した者の正体はすぐに見つかった。
それは黒い狼のようだった。体高は腰までもなく、探索者たちの知る狼型の魔獣に比べていくらか小柄に見えた。その足元には血が落ちていて、〈毒沼〉の血だと直感した。
〈乱れ焔〉が牽制に魔術を使い、〈暁の盾〉が前進し、〈バリン遊撃隊〉が魔獣へと肉薄し攻撃する。そして〈バリン遊撃隊〉の槍使いの腹が裂かれ、激しく血が舞った。
そこからは誰も正確に覚えていない。確かなことは、武器は確かに魔獣に振り下ろされていたのだが悉く通用しなかった。近付いた者の多くは首や腹を裂かれた。何とか回避できた者もいたが、完全には躱せずに手や足が捥がれた者もいた。
腹を裂かれた〈枯れ木〉が差し違えるかのように魔術で魔獣の左目を貫いたところで、魔獣は一吠えして姿を消した。
この時、探索者協会に駆け込んできた男はすぐさま救援要請が必要だと思い、帝都まで救助を求めに先に下山した。
運よく首を落とされなかった者のうち幾人かは〈回復〉の魔術で命を繋いだが、腹を裂かれた者たちは一様に〈回復〉はおろか〈マルバス万能薬〉の効き目も悪く、何倍もの時間〈回復〉をかけ続ける必要があった。結局止血までに一晩を要し、生き残った者は二十六名のうちわずか七人だった。
満身創痍だった生存者たちは下山を開始し、その途中で捜索隊と遭遇し救助され、一命を取り留めた、というのが事件の全容であった。
この正体不明の魔獣はすぐに〈霊峰山脈の悪夢〉と呼ばれ、噂となった。
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