20.

 ディンの研究塔へと戻ると、茶を淹れなおして一息ついてから講義が再開された。


「さて、では次は魔獣について話しましょう。

 探索者のクロムさんから見て、魔獣とはそもそもなんだと思いますか?」

「迷宮や、あるいは人里離れたところにいる、人間にとって危険な相手。探索者にとっては命を懸けて戦う脅威で、同時に貴重な恩恵だ。」


 その回答にディンは探索者らしい、と小さく呟きながら笑顔で頷いた。


「はい。もっと言えば、魔術を使う、獣に近い姿を持った生き物です。」

「うん?魔獣はどんな種類でも魔術を使うのか?」

「はい。その出力方法は例えば〈色鹿〉のように見てわかりやすい魔術から強化のように目ではわかりづらいものまで様々です。

 そういえばクロムさんはかつてオセ迷宮にいたと言っていましたが、蟻型の魔獣は見たことがありますか?」


 蟻型の魔獣はかつてクロムが誤って斬り、大量の仲間を呼び襲ってきた苦い記憶がある。渋い顔を作りながら、あると答えた。


「オセ迷宮の蟻型の魔獣、フォカロル迷宮やエリゴール迷宮の鼠型の魔獣、アミー迷宮の蛇型の魔獣…死ぬ直前に周囲から仲間を呼び寄せる魔術を〈狂乱〉といいます。発動すれば最後、標的にされた獲物が死ぬまで周囲の同型の魔獣に感染します。だから通常倒してはいけない魔獣ということですね。」

「そういう能力じゃなかったのか。」

「はい。人間がまだ再現できていない魔術なので、巷では能力と呼ばれています。一応、やっていることは精神系魔術に分類されます。

 ああ、他にはオセ迷宮だと上層に蛾型の魔獣なんかいませんでしたか?」

「……ああ、最初の階層のほうにいた気がする。」

「ではそれらは〈浮遊〉やごく弱い〈突進〉か〈念動〉、〈硬質〉なんかを使っていたかもしれません。覚えはありますか?」

「ない。だが、やけに速く飛んでいたのもいた気がする。思いのほか硬い奴もいた。普通の虫と同じというわけじゃなかったのか。

…そうだ。発動した魔術を消すような魔術はあるか?」


 ふとオセ迷宮の希少種相手にミーアが大技の魔術を使ったとき、魔術がかき消えるように消滅したことを思い出した。

 〈白輝蜈蚣の外套〉にある〈魔力遮断〉の能力は希少種が魔術を掻き消したものと一緒ではないかと気になった。


「……うーん…確か、バエル大火山迷宮の竜種と思われる魔獣がその咆哮で魔術をかき消したという話があります。命からがら逃げてきた探索者がいましたが、その竜種相手には何もできずに壊滅したとも伝わっています。魔術をかき消した咆哮は便宜上〈魔術消去〉と呼ばれています。」

「竜種…」

「まあ、迷宮で生まれた魔獣は迷宮から外へは出ることはありませんから、野外でこの魔獣に合うことはありません。また一級や特級のパーティにでもならなければバエル大火山迷宮に入ることは叶いませんから、ほとんどの探索者には縁が無いかもしれませんね。

クロムさんはその限りではないと思うので、遭遇しないよう二大神に祈りましょう。

 それよりもその竜種ですが体表は黒く、どうやらバエル大火山迷宮にいる既存の種とは特徴が一致しないことから、この黒鱗の竜は変異種だと思われます。」


 そう言うなりディンは他の迷宮で発生した希少種の例を話し始めた。それを聞きながらクロムはぼんやりと、希少種はあの魔術をかき消す能力を持ちやすいのかな、と考えていた。


(いや、でも魔力遮断とかいうのは〈剛力〉を受け付けなかったし、体内で起こる魔術は遮断しないのか?もうわからんな、考えないでおこう。)


 そう決めている間もディンはこの魔術は本当に奇妙で云々、恐らく魔術の構築を崩して云々といろいろと喋り、その途中途中で思いついたようにああだこうだ言いながら紙に走り書きをしていた。


(…学者とはよく考えるものだなあ。)


 ディンはしばらく走り書きを見ながら考え込んでいたが、ふと正気に戻ったように顔を上げて講義を再開させた。


「ごめんなさい、希少種の話ばかりしてしまいました。話を戻しますね。つまり魔獣と獣の違いは、魔術を使うことができるか否かで魔獣かどうか判断します。

 もう一つ、魔獣は人間に対して強い敵意を持ちます。」

「敵意?なわばりを荒らされたからじゃないのか?」

「理由はわかりませんが、他の魔獣や獣がその縄張りを侵したときは気にするそぶりは無いんです。ただ人間が侵したときだけは別で、過敏に反応します。迷宮だと特にその傾向が強いそうです。

歴史をさかのぼってみると…」


 それからディンの話は過去へとさかのぼり、神代の話まで持ち出してきて、魔獣と人間の関係の仮説を説明していた。このときクロムはそれを聞き流していた。結局昔から、魔獣は人間に対して敵意を示すこと以外は良くわからないことだらけだ、という話らしい。


「…ということで魔獣と人間の関係は古来から変わらず、魔獣と人間は相いれることはないことだけはわかります。

 それから、地上にいる魔獣の生態は獣とそう変わらないことだけはわかっているんですが、迷宮ではどうやら違うみたいですから。わからないことだらけですね。」

「あ。そういえば、迷宮では魔獣を倒したら迷宮品に変わる場合があるが、あれはなんでなんだ?」


 ディンはその問いに少し固まってから、冷めかけた茶を一気に飲み干す。溜息を吐きながら気落ちしたように口を開いた。


「…迷宮内の魔獣の生態のひとつとしか言えませんね。血肉を持った生き物が、なぜ全く別の、剣をはじめとした武器や道具になるのか…倒した際のその変化に法則性があるかどうかも、長年研究されている事象ではありますが一向にわかる気配がありません。」

「そうなのか。」

「もっとも、迷宮品自体は少しずつ研究が進んでいます。迷宮品の中でも、いくつかの道具……例えば百年前、〈浮き灯り〉というランタン型の魔道具が引退した探索者から魔導学院に寄与されました。〈浮き灯り〉の効果は宙に浮く〈浮遊〉、光を発生する〈発光〉、それから起動させた者の動きを追う〈追尾〉の効果がありました。

 曰く、中央の台座を注意深く見ると、薄く小さく複数の紋様が刻まれている。これが何か調べるよう依頼があったそうです。その際、時間をかけて紋様を描き取り実際に紙などに写して、魔力を流してみたところ〈発光〉の効果が現れました。」

「つまりその紋様を解明さえできれば、迷宮品は作れるということか?」

「はい。しかしこの魔法陣が迷宮品の効果に関与するなら、ほかに〈浮遊〉〈追尾〉の二つの魔法陣も在ってしかるべきですが、当時の学者たちは見つけることができませんでした。」

「成程、他の迷宮品からもその紋様というのは見つかったのか?」

「はい。まれに紋様が入った迷宮品が手に入ることがあり、幾つもの紋様が発見されました。現在は三十種類ほど見つかっていたと思いますよ。

その文様を写し取り、道具に刻んだものを魔道具と呼びます。対象の値は張りますが魔導協会で販売しています。」

「魔道具…ああ、そういえばあの鳥みたいになったやつか。」

「鳥…ああ、〈伝言鳥〉ですね。あれも〈変化〉、〈記録〉、〈探知〉を掛け合わせたぼくの傑作です。

魔道具の用途は多岐にわたるとしても、基本的な使い方は魔力を流すだけですから魔術が使えない者でも疑似的に魔術が使えるようになります。」

「便利そうだな。」


 どこからか鐘の音が聞こえた。ディンはその音を聞いて少し目線を彷徨わせた後、何かを思い出したように叫んで立ち上がった。


「つ、次、その、ぼくの講義があるので、すみません。」

「ああ、よくわからない話もあったが、知りたいことは大体知れた。ありがとう。」

「…へへ、ど、どういたしまして。」


 ディンは先程までの学者然とした態度や流暢な話し方が鳴りを潜め、すっかり出会ったときのようにおどおどとした態度になっていた。


「ではこの辺で俺は出ていくとしよう。」

「…クロムさん。も、もしよかったら七日後、ロンウェー迷宮に一緒に潜ってくれませんか?」

「ロンウェー…たしか帝都から一番近い、東北のほうの。それは構わないが、あの三人の探索者とはどうなった?」


 ロンウェー迷宮はクロムは場所は知っていたが、どのような迷宮かまでは知らなかった。これまでの経験から、どの迷宮でも自分の実力は通用すると思っていた。


「その、六日後から当分の間は別の依頼を取っているそうです。」

「成程。じゃあ、七日後だな。また会おう。」

「あ、ええと、朝に東門を出たところでお願いします!」

「わかった。」


 ディンは塔に鍵を掛けて、そのまま別の棟へ走っていった。

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