19.

ディンに案内されて別の棟へと移動し、そのうちの扉の一つを叩く。


「フレイア教授、失礼します。」

「どうぞ。」


 ディンが扉を開けると安楽椅子に腰かけている老婆がこちらを見た。フレイアと呼ばれた老婆は小柄で人のよさそうな笑みを浮かべていた。しかし、この老婆からもぞわりとした何かをクロムは感じ取った。


(ここの人間は必ずその予感をさせるな。なんだ、ここは化け物術士の巣窟か?)


「ディンのぼうやを助けたのがそちらの黒いぼうや?」

「ええ、こちらが、クロムさんです。ええと、用件は先ほど伝えた通りでして、測定器を貸してください。」

「ああ、そっちにあるから。起動は任せたよ。それにしても今日は随分と活舌が良いねぇ。いつもそうしておくれ。」

「え、ええ、まあはい。か、活舌は、その、善処します。

 では、これ、使用させてもらいます。クロムさんはこちらに来て。」


 ディンが用意したのは大きな水晶玉の乗った台座だった。ディンが言うには、これが先ほど言っていた、その人に操れるマナ―――魔力の測定器らしい。


「この水晶玉に手を当てて、魔力を送り込んでください。小さな魔術を発動する感じで大丈夫です。」


 言われるがまま玉に手を当て、心の内で〈火〉の魔術を使うようにマナを動かす。水晶玉が光り、いくつかの文字と数字を出した。それを見たディンは信じられないものを見たかのように目を見開いて叫んだ。


「反応なし?そんな馬鹿な!」


 その様子を見ていたフレイアは、じっとクロムを見つめた後、穏やかに話かけた。


「…クロムのぼうや、何か魔術を阻害するようなものを装備しちゃいないかい?外してからもう一度触っちゃくれないかね。心配しなくても人を害するようなもんじゃないよ。」

「フレイア教授?どういうこと、ですか?」

「…いくつかの分析系の魔術をかけさせてもらったけどねぇ、一切わからなかったよ。しかも時間系の〈過去視〉も弾かれるなんて思ってもみなかった。絶対に何か持ってるだろう?

 まあ、勝手に魔術をかけたのは悪かったよ。」


 悪びれることなく言いのけた老婆は穏やかな表情で、しかしその目だけは爛々と輝かせてクロムを見ていた。獣が大好物の獲物を見つけたときの様な目だとクロムは思った。


「その、フレイア教授、勝手に魔術をかけるのは失礼ですよ。この間も…」

「ディン、構わん。もう一度試そう。」


 〈白輝蜈蚣の外套〉を脱いでからもう一度水晶玉へと手を伸ばし、同じように魔力を流し込む。再び球は光り、文字を示した。


「反応しました!…体外魔力、三?体内魔力は十?…ええ?」

「…どういうことか説明してくれ。」


 フレイアは黙って〈白輝蜈蚣の外套〉だけを見ていた。迷宮品であることがわかっているはずだが、どのような能力が付与されているか気になって仕方ないという目だ。


「ええと、まず魔力反応っていうのは、体外魔力量、身体の外で操れるマナの量です。例えば攻撃に使われる〈火〉や〈風〉の魔術のように身体の外で生じる魔術を使う時にこの数値が低いと魔術をうまく構築できません。

 逆に体内魔力は、体内にあるマナの量です。身体強化系魔術とか分析系魔術のような体内で生じる魔術に適性があると、こちらの数値が高い傾向にあります。」

「うーん、つまり俺が魔術をうまく使えないのはその、外部のマナをほとんど感じられないからか?」

「そうなんですか?でも、そうですね、その通りです。普通、魔術が使えないとしてふるいにかけられるのは三十からです。なので、ここまで少ないのは…ごく珍しいですね。

 クロムさんがそういった、迷宮の中層や深層で役立つような魔術を使うのはその、ほとんど無謀ですね。」

「そうか。じゃあ、体内魔力の基準はどうなんだ?」

「これも三十です。ただし、体内魔力は体外のマナで補えるので…基本的にそれ以下でも魔術を使う上で問題ありません。」

「わかった。俺の体内魔力も、普通より少ないんだな?」

「普通の人たちは二十から四十くらいで、探索者の術士で優秀な人や学院の優秀な子でも八十から百くらいです。」

「そうか、じゃあディンやタイデン、それからそこの…フレイアはどのくらいになるんだ?」

「ほとんどの場合体内魔力の数値はそう高くなくて、ぼくでも六十五くらいなんです。反面、体外魔力だと百八十あります。普通の人より、かなり多いほうになります。

 お二人もぼくと同じ様な数値になっていたと思いますよ。」


 クロムは説明を聞いて、ふと納得した。頭の中に、ミーアやタイデン、フレイアそしてディンと会ったときに感じたのは魔力面での実力の差だと急に浮かんできた。


(そう考えれば、妙に強そうに見えたことも納得がいくなあ。)


「ふうん。この体外魔力や体内魔力を使い切ったらどうなる?」

「ええと、体外魔力は近くにあるマナを操れる量ですから、環境に依存するというか、使うほど周囲のマナを消費するので、その場所にマナがある限りは強力な魔術も使えますが、使うほど、どんどん使い辛くなっていきます。基本的にあまり気にしなくてもいいとは思いますが。

 体内魔力は周囲の環境に依存しません。ただ、使いすぎると身心に不調が表れます。例えば激しい頭痛、悪寒、脱力、睡魔が表れ、更に使うと気絶します。ただ、気絶できるのは最初の数回程度です。その気絶に慣れてくるころ、限界を間違えたときに死にます。」


 体内魔力の消費後の減少で起きる不調はクロムにも覚えがある。〈剛力〉を何度も使ったり、二度重ね掛けしたときだ。背に少し冷たい汗が伝った。〈剛力〉の重ね掛けは本当にいざという時の手段だったのだ。


「ただ、体内魔力は不調が表れてから少しのところまで絞ることでその総量が増えることがあります。」

「なに?俺でも伸ばせるか?」

「恐らく。ですが、やりすぎなくても死ぬ危険がある以上勧めることは絶対にできません。」

「…そうか。」


 どうやってもクロムでは満足に魔術が使えない。それだけわかったところでクロムは魔術をすっぱりと諦めた。〈白輝蜈蚣の外套〉を身につけたとき、フレイアが声を出した。


「クロムのぼうや、その外套はもしかしてどこかの迷宮の希少種を倒したときのもの?」

「フレイア教授!また勝手に…」


「構わん。〈鑑定エスティマティオ〉でも何でもいいが、これを見たなら〈調伏〉〈災禍〉という二つの能力は知っただろう?それがどういう効果なのか、知っていないか?」


 ディンがフレイアとクロムを交互に見て、諦めたように溜息を吐いた。


「まず〈調伏〉というのは希少種を倒したとき極まれに付与される能力ね。何かしらの条件を満たし、希少種に認められた証と言おうかしら。

 その効果は、正道に在れば更に力を得られるという内容ね。」

「わからん。正道とはそもそもなんだ。」

「わからないことをわからないと言えるのは、とても良い事よ。

 正しい道理というような意味だけれど、要はその希少種の意に大きく反しない限りは力になってくれるってことね。」

「もっとわからなくなった。あの魔獣が何を良く思っているかなんかまったくわからんぞ。」

「まあねえ。でも手放さなかったのはいい判断だったわ。」

「これをか?」

「手放したらぼうや、その希少種に呪われていたかもしれないわ。」

「フレイア教授、どうして、そ、そんなに詳しいんですか?」

「そりゃ私も同じ効果のものを持っているもの。この杖よ。」


 そういって懐から小さな杖を出した。焦げ茶色で、何度か不自然にねじ曲がった造詣の杖で、中ほどに赤く丸い目玉のような紋様の出た石が埋め込まれている。不気味さと異様さを備えており、見ているだけでも不安を覚えさせる杖だ。


「これはね、〈陰梟の賢杖〉という迷宮品。その昔、あの魔獣とは仲間と共に死闘をしてねえ。とどめを刺した私がもらったの。」

「それに同じものがあるのか。」

「話が速くていいわねぇ。そう、この杖の能力は魔術の補助をしてくれる〈魔術補助〉、移動する〈転移〉、そしてさっき言った〈調伏〉。これを見ていたから知っていたわ。

 それで、もうひとつの〈災禍〉だけどね、読み取れたのは困難や難敵を呼び込むという効果になるわ。こういった迷宮品を手に入れることは、伝え聞いただけだから、本当にそうかはわからないけれど、ぼうや、きっとまだ何かに試されているから気をつけなさい。」


 面白そうに笑いながらフレイアは言い、面白いものを見せてくれた礼と詫びだと言って机にあった錠をクロムへと渡した。


「私が作った、〈守護の錠前〉という魔道具よ。守りたいものがあったらこの錠を閉めて、その後で魔力を流すことで対象を守れるわ。魔力を流した者が触れれば、また錠は開くようになる。少しの魔力でも動くからぼうやでも使えるはずだから、うまく使いなさいな。

 私はこの後講義があるから失礼するわ。ディンのぼうや、用事が済んだら部屋は鍵かけておいておくれ。」


 それだけ言い残してフレイアは〈転移〉とぽつりと言ってどこかへと消えた。


「ええと、クロムさん。ぼくの塔に戻って、講義の続きをしましょうか。」

「ああ。魔術は満足に使えない事がわかったし、もう十分だ。次は魔獣とか魔道具について教えてくれ。」

「うーん、はい、わかりました。」

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