17.
マルバス迷宮は帝都の西、馬車で時間のそうかからない場所にある。入り口は葉の文様が彫られた石塚が目印で、わずか五層からなる小規模の迷宮だ。
三層以降の魔獣は他の迷宮でいう中層以上の強さを持つが、その魔獣らを倒すと〈復調〉という病を治す効果を持つ〈マルバス万能薬〉が時折手に入る。この丸薬型の迷宮品は名前の通りこの迷宮からしか現れず、一つで金貨二十枚に化けるような薬だ。三層からはこの他にも〈解毒〉の効果のある〈マルバス毒消し〉や〈解呪〉の効果のある〈マルバス呪い消し〉、〈回復〉の効果のある〈マルバス回復薬〉などの丸薬型の迷宮品が現れることから実力の高い探索者たちは何度も立ち寄る迷宮だ。
この話をクロムが最初に聞いたとき、なんと都合のいいものが手に入る迷宮だと興味を持った。
帝都に来てからというもの、情報屋を探したり、帝都を歩き回って夢に見た銀髪の女を探してみたりしながら、情報屋に落とす金を工面するために実入りの良い商人の警護依頼や鉱石類の採取依頼ばかり受けていた。それでもまだ探し人の情報はまだ入っていない。
気分が鬱屈してきていたクロムは二か月ぶりに訪れる迷宮に心を躍らせた。
早速入り口で〈
一層目は広い草原だ。視界を遮るものが無く、遠くに巨大な石塚が見えた。マルバス迷宮はあの岩が転移できる場所になる。
石塚にたどり着くまでに三度、鹿型の魔獣と遭遇した。いずれも一刀に伏したが、そのうちの二体が丸薬型の迷宮品へと変じた。クロムのよく知る迷宮はオセ迷宮だけだったが、こんなに簡単に魔獣が迷宮品に変じるとは思ってもみなかったから驚いた。更に二度鹿型の魔獣を倒したが、それらも丸薬へと変じた。
(…もしかしてここでは相当いい確率で迷宮品に変じるのかな。)
二層へと移動すると林の中だった。一瞬、ここがオセ迷宮の中層のように錯覚した。ここでも鹿型の魔獣を倒したが、切り伏せたときの手ごたえが違った。一層と違い明らかに頑丈だった。
その後も探索を続けたが、鹿型の魔獣に六度、蛙型の魔獣に二度遭遇した。蛙型の魔獣はクロムの膝ほどまでの高さがあり、茂みから突然目の前に跳躍してきたときはその大きさにわずかに怯んでしまった。ともあれそれらを倒してから、この階層で最初に感じた通り、この迷宮の魔獣は一層毎に急激に強くなっていると結論付けた。
三層は二層と同じく林の様な場所だった。すぐに蛙型の魔獣と遭遇し、蛙型の魔獣はクロムの姿に気付くと二層よりも素早い動きで跳びかかってきた。
とっさに避けて剣を突き立てたが、ぬらぬらした表面に滑って浅く傷をつけただけだった。魔獣の姿は二層にいたものと変わらないように見えたが、その攻撃力や頑丈さは何倍にもなっている。
再び跳躍しそうなところを抑え込むように、力いっぱい頭に剣を叩きつけた。跳躍に失敗した蛙型の魔獣が地に伏したところを勢いのまま首を落とした。死骸はすぐに丸薬へとその身を変じた。
(…また剣が滑った。)
虫型魔獣の節のように明確に柔らかい部分があるならともかく、表面が滑る魔獣相手には打撃武器のほうが良さそうだと思いながら鎚を取り出す。
その後鹿型の魔獣に会い、鎚を振って応戦しようとした。警戒したのか鹿型魔獣はクロムから少しの距離を取ると、青の燐光を発した次の瞬間、魔術を行使した。いくつもの水の弾がクロムの頭部を襲ったが、〈白輝蜈蚣の外套〉が魔術を弾いてかき消した。振るった鎚が魔獣の足を砕き、再び振り上げた鎚は動けなくなった魔獣の頭を砕いた。
「……驚いた。この魔獣は魔術が使えるのか。」
〈白輝蜈蚣の外套〉の能力〈魔力遮断〉で魔術は遮断されると聞いていたが、外套に覆われていない箇所まで遮断されるとは思ってもみなかった。
その後は鹿型の魔獣を探し、〈白輝蜈蚣の外套〉の性能を検証した。この鹿型の魔獣はいずれも魔術攻撃をしてくるもののその内容は異なっていて、水や火を飛ばしてきたり、土を盛り上げたりと一体ずつ異なる攻撃をしてきた。更に数体と戦ってみたが、一体に付き一種類の魔術しか使えないようだった。
十数匹と戦ってわかったことは、〈魔力遮断〉は〈白輝蜈蚣の外套〉に当たらなくても、クロムに当たれば効果を発揮すること。つまりどこに当たろうと、魔術である以上クロムには通じない。
〈白輝蜈蚣の外套〉を着ていると〈火〈フラム〉〉の魔術は使えないが、〈剛力〉〈鋼鉄〉は使えること。
魔術で打ち出された土塊や金属片のようなものは〈魔術遮断〉で防げるが、わずかに何かが当たった感覚はあった。〈火〉の魔術が顔に当たった時、怪我は無かったがこれもわずかに熱は感じた。戦いに支障はない程度だが魔術を完全に遮断するわけでなく、衝撃や熱は通るようだ。
また魔術で巻き上がった砂や石などがクロムに当たった時はかき消せなかった。直接魔力で形作られたものでないためだろう。
もう少し検証しようと思っていた矢先、ぞわりと背筋が凍るような感覚と同時に叫び声が聞こえた。
「ちょ、た、たす、助けて!」
声の方へと駆けつけると、蛙型魔獣にのしかかられ、何とか抵抗している男がいた。クロムは魔獣の横腹を蹴り飛ばし、仰向けになった魔獣の腹に鎚を振り下ろして仕留めた。
「ひ、ひい、はあ、誰だか、知らないけど助けてくれてありがとう、はあ。」
倒れている男は汚れの無いきれいな革鎧を身に着けているだけで、まるで初めて迷宮を探索していたら偶然迷い込んだように見える。
「すすす、すみません、今その、お礼はできませんが、その丸薬はあげます。」
「ああ。ところで、お前は探索者なのか?」
「え?いいえ、違います。」
「なに?」
魔獣に襲われていた男は名をディンと名乗った。ディンは探索者ではなく魔獣や迷宮品、魔術などの研究をするのが仕事で、今回は二層で魔獣を観察するつもりだったという。勿論護衛は雇っていたのだが、二層へと到着するなり鹿型の魔獣の群れと出会ってしまったという。
「…それで、急いで岩の下に辿り着いたら、その、地上に出るつもりが、間違えて三層に入ってしまって。はあ、その、情けない限りです。」
そういいながら溜息を吐くディンと名乗った男は、地面に落ちた荷物を大事そうに抱えた。年はクロムよりもいくつか上だろうが、身体の線は細くまったく強そうに感じない。だというのに強者の様なピリピリとした空気だけはありちぐはぐな雰囲気を持っていた。
「護衛から離れるべきじゃなかったな。警護を専門にしている連中ならもっと警戒する奴が多くいるから、それを当たるのもいいかもな。」
「ま、まったくもってその通りで…詳しいですね。」
「探索者だからな。」
「と、ところで、そのですね、緊急依頼ということで、地上まで送っていただけませんか?報酬なら後で払いますから。」
このディンという男は随分と切り替えが早いというか、肝が据わっている。死にかけた後だというのにすぐに落ち着いて交渉までしてくるし、何ならクロムが駆け付けるまで蛙型の魔獣に殺されなかった。むしろ抵抗はできていたのだから、探索者にそれなりに向いているようにも思える。
「…わかった。とはいえ俺もこの迷宮は今日が初めてだから、しばらく彷徨うことになるがな。」
「は、はあ。それで大丈夫、です。きょ、今日は色鹿〈コロロカーボ〉を観察できればよかったので。」
「鹿の魔獣か?」
「はい。この迷宮固有種である色鹿はなんとみんな一様に同じ見た目なのに別の系統の魔術を使うんです。他の魔獣だと体毛や瞳の色に多少の変化が起きることがあるんですよ。だというのに色鹿は全く一緒。不思議ですよねえ。」
「あの魔獣以外の魔獣でも魔術を使えるのか?」
「えっええ、魔獣は魔術を使います。その、身体を強化するとか、飛ばして攻撃する魔術とか、珍しいところだと治癒とか。そう派手じゃないにしても、何かしらは。」
クロムは適当にこの男を迷宮の外に送り出して終わりにしようと思っていたが、考えが変わった。ディンという学者から、魔獣や魔術についていろいろと聞けそうだ。あわよくばその中でクロムでも使える魔術があるかもしれない。
「よし、まずはこの迷宮を抜ける。護衛の報酬として、魔獣や魔術の話を聞きたい。」
「え?そ、そんなことでいいんですか?」
「金は要らないから、魔獣や魔術で知っている事を教えてくれ。」
「いいい、いいんですか?それならいくらでもしますよ。」
「よし。」
簡単な口約束だったが、彼が約束を破ることはないだろう。しばらくの休憩をはさんで、再び歩き出す。普段通りの歩調のクロムとおっかなびっくり辺りを警戒しながら追ってくるディンでは距離ができ始める。追いつくのを待っても良かったのだが、〈迷彩の鎌〉を渡した。
「遠くの魔獣が気になるならこれを持って歩け。十歩以上離れた場所からはよく見えなくなる。」
「これは?」
「〈迷彩の鎌〉という迷宮品だ。」
「うわあ、珍しいもの持ってますね。お借りしていいんですか?でもぼく鎌とか使えなくて。」
「戦いは俺がやる。魔獣を見かけたらすぐに茂みにでも身を隠していろ。」
「わかりました。お願いしますね。」
その後二度〈色鹿〉と遭遇した。一度目は遠方にいるのを発見し、気付かれない間に弓で一方的に攻撃した。二度目は出会い頭に剣で首を落とした。
「観察する前に倒されてしまいました。折角三層の〈色鹿〉が見れると思ったのに。ここの三層って他の迷宮よりかなり強いはずですが、それ以上にクロムさんが強いのか。」
ぶつぶつと後ろで独り言をつぶやくディンに、クロムは先へと進むように言う。
その後すぐ、跳びかかってきた蛙型の魔獣を倒し、ふと気になったことを聞く。
「ところで、この蛙の魔獣にも名前はあるのか?」
「ええ、
「そうか。希少種というのは?」
「迷宮でごくまれに見つかる種類の魔獣ですよ。階層に見合わないくらい強いですが、倒せれば貴重な迷宮品に変じたり、素材の一部を武具の材料に使うと後から新たに能力が付与されたりします。まあ後者はごく稀なほど低確率ですし、この迷宮ではほとんどが迷宮品に変じるんですけど。」
「へえ。良いことを聞いた。」
「え?まさか探すんですか?探して出会えるものじゃないですよ。だから希少種なんて言われるんですから。」
「いや、なんだ、別のところで心当たりがあっただけだ。」
クロムが以前オセ迷宮五十六層で戦った青白い蜈蚣の魔獣。あれもきっと希少種だったのだろう。迷宮品に変じなければ、どのような防具や武具になっていたのだろうとありもしない妄想を少しだけした。
「あんたも希少種とかいうのと戦ってみたいと思うか?」
「いえ、ぼくは戦いに行くわけじゃないのでいいんです。近くで観察したいのはそうなんですが、実はそういうのは、ちょっと、気が気じゃないので、はやく行きましょう。」
「あ、ああ。」
更に数度、〈剛力〉を使い一撃で倒す戦いをして、ようやく目的の石塚―――次の階層の階段を見つける。クロムも後ろに護衛対象がいる戦いは何度か経験したが、いつも精神的に疲れるものだ。探索をこれ以上続ける気は無かった。
「ディン。今度は間違えるなよ。」
「勿論です。あ、この鎌は返しますね。…では、〈階層〉〈転移〉」
地上へと戻ると、少し離れたところにいた探索者らしい三人が駆け寄ってきた。最初にディンの言っていた護衛だろう。ディンの姿を見かけて、今度は間違えずに脱出できていたことに安堵していた。
「クロムさん、助かりました。ぼくはすぐ研究室に帰りますが、絶対にセンドラー魔導学院の研究棟を訪ねてください。今日のお礼も用意しておきますから!」
「まどう、がくいん?」
「はい、ぼくそこの教授なので。そ、それでは!」
「忙しい奴だな。」
言われたことが何一つわからないまま、ディンは颯爽と去って行った。残されたクロムは無駄な脱力感に襲われ、動けるようになったのはディン達の姿が見えなくなった後だった。
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