2.帝都の喧騒
16.
帝都センドラーはシラー帝国最大の都市だ。病や傷を治す迷宮品が手に入る迷宮や、質のいい毛皮が手に入りやすい迷宮など、合わせて五つの迷宮が帝都の周辺にある。そのため探索者や商人が集まり、そのぶん金や物もよく集まる。故に金を積めばあらゆるものが手に入る場所とも言われるほど物に溢れている場所だ。
勿論、物品だけじゃなく情報も手に入る。
中央通りと呼ばれる主要な通りから数本外れた、日陰の通りの裏にある薄暗い酒場で二人の男が睨み合っていた。一人は細く小さく、身なりは薄汚い。もう一人は蜈蚣が這うような文様が描かれた黒い外套を羽織った背の高い男だ。
薄汚い小男は空の杯に酒を継ぎ足しながら、溜息と一緒に男へと苦言を呈した。
「いや〈白蜈蚣〉さんよ、確かに情報に対する金は十分だ。だがなあ、兄さんより二回りほど小さくて長い銀の髪。他の特徴は多分女。名前も年齢も住所も所属組織も不明。この情報にどれだけ該当するのがいると思う?
これでもう三十人は挙げただよ。いや、もっと探せばいるんだろうが、俺は知らねえ。他に特徴がわからないから特定もできねえ。姿絵作っても全部違うってぇんだからな。
大体、最近ここに来たばっかだろう?あんたと直接会った女のほうが少ね…ヒッ」
背の高い男が不服そうに眉を顰める。それだけで男の纏う圧が強くなり、身長差もあって小男を威圧しているようにも感じられた。威勢が良かった小男はとっさ目を逸らし、何気ない様子で空の杯を口に運んで怯えで歪んだ口元を隠した。
背の高い〈白蜈蚣〉と呼ばれた男―――クロムが席を立つ。びくりと肩を揺らした男を見下ろして一言発する。
「…残念だ。」
表通りへ出ると冬の冷たい風と、早く傾くようになった太陽がクロムを照らした。眩しさからか、ままならなさからか、空を見上げると目が細まった。
クロムが帝都センドラーへと渡り、二ヶ月が過ぎた。裏通りにたむろする情報屋たちに随分と金をかけた結果として得られた情報は確かに多かったが、すべて空振りだった。先ほどの情報屋も既に聞いた情報しかしゃべらなかった。少なくない金を積んであちこちから情報を仕入れてくれていた情報屋もいよいよ首を横に振った今、別のことをしたほうがいいように思えてならない。
(…どうしたものか。)
探索者協会へと足を運ぶと壁に貼られたいくつかの依頼を見、そのうちの一つを取った。
「ザガン鉱山 採掘現場に住み着いた野獣の狩り 四級以上」
ザガン鉱山は坑道のうちの一つに迷宮の入り口のある鉱山だが、その周辺には野生の獣が住み着くことがあった。
クロムは以前のオセ迷宮の探索で培った実力と、帝都についてからは依頼の成功回数によって現在三級探索者となっていた。受ける依頼の中には今回のように狩りもあれば、帝都近辺の迷宮で特定の素材を入手してくるようなものもあったが、いずれにしても一人で受けられる依頼ばかり取っていた。
「はい、受け付けました。またよろしくお願いします。」
受付係に承認を貰ってザガン鉱山へと赴く。
採掘の責任者は今回やってきた探索者がクロム一人だと知って驚いていたが、すぐに姿を見たという採掘者を呼んで、なにかが出没した場所へと案内させた。
「仕事帰りに、この辺で二度見たよ。最初は十日前で、二回目が三日前かな。大きさは、そうだな、俺の膝より高いくらいだと思う。暗くて良く見えなかったが、そう大きくはないから、少なくとも熊ではなさそうだ。
雪が降る前に何とかしてほしいんだ。」
地面に足跡の様なものは残っておらず、特に何もわからない。
どっちに向かったか尋ねてみると、採掘者男は背のそう高くない木々のほうを指した。
「む…わかった。調べてみるから、しばらく時間をくれ。」
「早めに頼んます。襲われないか気が気じゃねえ。」
クロムは無言でうなずき、早速林へと足を踏み込んで痕跡を探した。
折れた枝に踏み固められた地面と灰色の糞。足跡から採掘者の言っている通り獣がいることがすぐに解った。痕跡を辿り奥へと歩を進めると、小さな泉があった。じわじわと染み出るように波紋を揺らし、細く流れ出て草木に消えている。
(水場か。これを飲みに来ているのかな。…準備をしてから張るか。)
以前の迷宮探索で手に入れた〈迷彩の鎌〉を手に、じっと泉が見える茂みで張り込みを始める。〈迷彩の鎌〉には〈迷彩〉という、十歩以上離れている相手からは見えなくなるという効果持っている。人だけでなく魔獣やただの獣にも効果があるから、ただ隠れるだけなら十分だ。そして獣への不意討ちとしては十歩というのはクロムにとって遠いわけではなく、問題はないと踏んでいた。
張り込んで二日目の夕方に獲物が現れた。採掘者の見立て通り大きな猪であったが、子を三頭連れていた。
弓を構えようとして、いつかウルクスに言われた「子育て中の獣は気が立っているから関わるな」という言葉を思い出した。魔獣でなくても戦わない人間にとっては脅威に違いはないが、しかし獣であっても親子の縁は強く、親は子を逃がそうとする。そのうえ、親兄弟を殺された恨みというものは芽生えるらしく人に対して凶暴になるとも教えてくれた。
(やるなら全滅させないといけないな。四頭…か。)
そう思って弓矢を仕舞い、小さく呟いて剣を取り出す。都市シャデアで誂えたこの 長剣は手元に重心があって素早く振り回すのに適している。
親の猪が水を飲み始め、子猪もそれに従って水辺へ顔を近づけたとき、一息に距離を詰める。左手で剣を振い一頭目の子猪の首を裂く。二頭目は親の陰にいたが、鎌を雑に振り下ろして仕留めた感触が伝わる。三頭目の子猪は襲撃に気付くのが遅れて逃げ出そうとしたが、後ろ足を剣で裂かれて転倒した。遠くに逃げることはできない。
親猪はクロムへと向かって突進したが、躱しざまに首目掛けて剣を振る。親猪は躱すことができず血を撒き散らして倒れた。動きの止まった親猪にそのままもう一度剣を振い、首を落とした。三頭の子猪にも同じように止めを刺した。
(……運ぶか。)
〈収納袋〉から縄を取り出し、子猪は腹を捌いてから木に吊り下げて血を抜いた。親猪は横たえたまま内臓を取り出して放っていたが、ある程度血が抜けたところで木に吊るして残りの血も抜いた。
獣の死体と認識している間は〈収納袋〉に入れることはできないが、肉と骨を分けると〈収納袋〉には入れることができる。解体して〈収納袋〉を近づけて死骸を回収した。
親猪の頭だけはクロム自身が持ち、責任者のもとへと持っていく。責任者はもう終わったのかと目を瞬いていた。簡単な報告と猪の死骸の処遇を確認したが、クロムに任せると言って猪自体には興味なさそうにしていた。
「それにしても頭だけとはいえ結構な大きさだなあ。そうそう見かける大きさじゃないだろう。別の場所から逃げてきたのか。」
「うん?このあたりにはいないのか?」
「あんまりいねえなあ、人が多く出入りする鉱山だから、定期的に探索者を雇って野獣探ししてもらってんだ。だから、こんな大きさはそうそうおらん。」
中々異なことだと責任者はぼやきながら作業へと戻っていった。
その日はそのまま帝都へと帰り、探索者協会経由で猪の死骸を売り払った。
待っている途中、辺りの騒ぎに耳を傾けた。
「最近ザガン鉱山の近くで何か騒ぎがあったかい?魔獣でも出たとか。」
「ええ。昨日、〈豪炎の剣〉が熊型の魔獣に遭遇して、討伐したと報告がありました。」
「もう倒されているのか。なら良かった。」
(…成程。より強い魔獣が出てきたのか。)
獣が逃げる理由は群れを追われるか、別の脅威が現れるかだとあたりを付けていたが、既に騒ぎは収まった後のようだった。
それから数日ほど開けてからザガン鉱山を見回りに行った。採掘者たちにも聞いてまわったが獣の目撃情報は出なくなっていた。あの猪親子が原因だったということで依頼は達成された。
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