9.
探索者協会に着くなり早速受付で迷宮に潜れる人を探していることを伝えた。今日座っていたのは老翁の職員だった。
「探索者証は……初級か。ああ、最近作ったんだな。オセは魔獣が多いが、上層なら暇なのなら手伝ってくれるだろう。何層まで行きたいんだ?」
「三十三層から先だ。」
職員は少しの間硬直し、唸ってから首をかしげた。
「…十三層?いや、二十三?すまんな、近頃は耳が遠くて。」
「三十三だ。頼めるか?」
「お前さん、そこまで潜れる証拠はあるか?そこまで潜れる根拠がないと、ここじゃ嘘扱いになっちまうのよ。」
「証拠?そこに潜れるだけじゃいけないのか?」
「注意深い探索者ほど、共同探索なんて時にはお前さん自身が自分の身を守れて、かつ役に立つところを見せねば組もうなどと思わん。ちゃんと実力があるという情報があるほうが、今よりも集まりやすい。」
「そういうものなのか?」
「命を懸ける以上は仕方ない事じゃ。」
「ふむ。わかった。三十三層まで潜れるという証明ができる魔獣を狩ってくればいいのか?」
「そうじゃの。三十三…ふむ、少し待ってくれ。」
職員は奥へと引っ込み、しばらくして分厚い本を持ってきた。それを開いて、ぱらぱらと捲っていく。
「三十三…三十三…」
「それは?」
「迷宮基準書じゃ。迷宮ごとに作られていて、どこの階層にどんな魔獣が出るか、そこからどんな素材を得られるか。過去にどのような迷宮品が手に入ったかなどが書かれている。」
「便利だな。」
「ここの職員はこれが無いと鑑定も十分にできんのもおるからのう、嘆かわしい。
…ああ、これがいいの。見ろ、
「灰草?」
見開きを見せられると、植物の絵が描かれている。長い蔓の先にぐずぐずとしたような特徴的な葉を付けている。探索中に見たような覚えがあった。
「これは三十層から先で、これが採れる。五、六株取ってきてくれ。」
「採取の仕方は?」
「根に触れるとかぶれるから、地上に出ている根元より拳三つ分くらい上からを切り取る。主に使うのは蔓のほうじゃが、葉がついていれば一目で灰草である証拠になるから葉は残しておくといい。」
「わかった。すぐに行こう。」
「そうじゃ、蟻型の魔獣は殺してはいかんぞ。一匹殺してしまうと百匹は集まってくると思え。全て殺すのは魔術師でも大変じゃぞ。」
「知っている。」
その後写し絵を貰ってから、オセ迷宮三十一層をしばらく探索してようやく絵で見た灰草にそっくりなもの見つけ、言われた通り採取した。その際、蟻の魔獣を遠目に見つけたときにはすぐに退き返した。柱に着くころには六株の灰草が採れた。
(ふう。必要なものは手に入れたんだ。これで一緒に迷宮に潜る探索者を探せるだろう。)
探索者協会へと戻る頃には日も暮れていたが、クロムの相手をした老翁の職員はまだ受付に座っていた。幾人か並んでいたから、クロムもそれに倣った。
「昼に共同探索の依頼をしようとした者だが。」
「…ああ。灰草を取ってきたかね?」
クロムは頷くと〈収納袋〉から灰草をすべて取り出す。
「ふむ、〈鑑定〉。」
職員はすべての灰草に〈鑑定〉をかけ終えると、納得したように頷く。
「…うむ、確かに。それに少し雑じゃが、きちんと手順を守って採取されている。ええじゃろ、受理したろう。ところで、探索者証はあるかえ?
これができるのに初級ではいかん、せめて四級に書き換えてやろう。」
「良いのか?」
「なに、オセはまだ未踏破迷宮。強いのに探索してもらえるならそれが良い。儂の権限では三級にはできんが、初級よりはまだ納得してもらえるじゃろう。
…確か四十五層までなら探索していた連中もいたが、過去の話。今は確か…〈水竜の冠〉が四十七層に到達していたか。」
〈水竜の冠〉はフォラス迷宮の入り口で踏破を宣言していた探索者パーティだ。
生返事をし、四級に書き換えられた探索者証を仕舞いながら探索者協会を後にする。
(しばらくは三十層で探索して…もし共同探索できるような奴がいなかったら、一人でいいかな。フォラスに挑むのもいいかもしれない。)
そう思っていたが、翌日になると何人かが共同探索を申し込んでいた。
「よう、お前が例の新人だな?」
「…例の?」
「何言ってやがる。たった一人でオセ迷宮三十層まで行くなんて話題になるに決まってらあ。それが新人ったら一人しかいねえよ。」
「どうだ、俺達と組まねえか?四十層までならいけるぜ?」
「おい抜け駆けすんな!うちは三十八層だが、あいつらよりも早く攻略してる。どうだ!」
クロムが思っているよりも、クロムの存在は周囲によく知られているようだった。幾人もの勧誘をどうすればいいかうろたえていると、威圧が場を支配した。
「どけ、それは俺たちの獲物だ。」
不意に横からかかった声は不愉快で傲岸不遜な物言いだった。迷宮で出合えば即座に剣を抜かなければいけないような魔獣と同じ様な脅威を感じた。思わず腰に手を伸ばしたが、強い力で剣の柄を握りしめただけでそれ以上のことをするのははばかられた。
声のほうをゆっくりと振り向くと、声の主たちは近くのテーブルで酒盛りをしていた。穏やかに見える光景だが、その集団が発する気配はクロムの回りにいる誰よりも鋭い。
「お前らは?」
心なしか発した声が少し震えたようにも思えた。その六人の主と思われる男が声を発した。
「〈深淵の愚者〉、お前とオセ迷宮へと潜るパーティだ。職員のジジイから正式に契約を取ったんだからな。〈水竜の冠〉より先に深層へ行くぞ。」
その声は周りの言葉よりも強く、大きく周囲に響いた。クロムもその言葉に思わず昨日の職員を探した。昨日の職員は頷きながら、どうじゃろう、と言いたげに笑った。
「…ああ、いいだろう。よろしく頼む。」
その返事を聞いて、〈深淵の愚者〉の主はにやりと笑う。妙に獰猛な笑いだった。
「決まりだ。まあこっちにこい、飲もう。」
僅かな時間躊躇ったが、後ろの探索者たちに押されてから真っ直ぐに彼等の元へと向かい空いていた席へ座った。その主から無言で杯が差し出された。
「え?」
隣に座っていた女が声を挙げたが、クロムはそれを受け取る。
(…確か、ウルクスから聞いたな。無言の杯は度胸試しみたいなものだったはずだ。
大抵は水か薄い酒だから、一気に飲むほうが良いと。)
躊躇うことなく一気に流し込む。苦みと強い酒精が口の中に満たされ、急激に不快感が沸き上がってきた。杯はあと半分もない。
(不味い!いつぞやの毒草のほうがまだ旨いんじゃないか?)
無理矢理にすべてを腹へと流し込み、杯を机に置いた…つもりだったが実際には叩きつけていた。
「…満足か?」
辛うじて絞り出した一言に〈深淵の愚者〉の主は満足そうに頷いていたが、他の五人は唖然とした表情をしていた。
「いい度胸だ、歓迎しよう。俺はガハラ。〈深淵の愚者〉のリーダーだ。こいつらは順に…おい、どうした?」
その獰猛な顔が柔らかくなったのを見届けてから、クロムは膝を付いた。
「ありゃ?」
「ば、馬鹿!今の杯『死霊殺し』だぞ!お前用の!」
「えっ!?妙に準備いいと思ったら…いや、一気に飲む奴があるかよ。」
「普通水で用意するから、そう思ったンじゃねェの?」
「気を失ってる…よな?」
「おい、速く吐かせたほうがいい!おいミーア、〈
「ガハラ、拳固めないで!もう何もしないで!パト、その馬鹿抑えてて!」
「〈解毒〉!…あ、あれ?も、もう一度…〈解毒〉!」
「ど、どうだ?」
「だ、だめ!な、なんで?どうして!?」
「はあ!?」
「やっぱり殴って吐かせ…」
「ガハラは黙っとけ!」
―――
獣の叫び声が山へ響く。何匹目かの猪の首を長剣で叩き切り、首が落ちた。
後ろから追いついてきた坊主頭の男が声をかける。
「大きいな。俺も向こうで二匹狩ったから六匹だ…お、おい、一人で先に行こうとするなよ。」
「〈死体袋〉はお前しか持ってないだろう?」
「いや、そうだけどさ…」
坊主頭は小さな袋を首の落ちた猪に近づけると、生き物の死体だけを収納できる〈死体袋〉に収納された。
「まだいけるな。」
「いや、今日はここまでだよ。はやく帰って猪吊るさないと。」
「…それもそうだな。帰ろう。」
猪の頭を拾い上げ、坊主頭に投げる。
「うわ!なんだよ!」
「適当に放置するわけにはいくまい。」
「…はあ、真面目か。その真面目さをもう少し別の場所に宛ててくれよ。」
「フン。」
剣の血糊を布でふき取って鞘へと仕舞う。山を下りきると、別に猪を追っていた茶髪と銀髪の二人組と合流する。
「どうだった?こっちは五匹だ。」
「俺たちは六匹だよ。…といっても俺は二匹しか倒せてないけど。」
「じゃあ全部で十一匹か。少しの間はそれなりにいいもの食えるようになるな。」
「ああ。だが解体がなあ。」
「大丈夫、俺ができるよ。」
三人の会話を聞きながら、今クロムは夢を見ていることに気付いた。
銀髪は見覚えが無いが、他の二人はどちらも以前の夢に出てきていたはずだ。クロムは銀髪の特徴を探そうとしたが、場面が変わった。
目に入ってきたのは鮮烈な赤だ。正体を認めた瞬間、鉄の匂いが充満した。
十一匹いた猪の九匹は毛皮をはがされ、腹から空洞が覗いていた。
「うわ…身が思ってたよりも少ないな。銀貨何枚に化けるか…」
「…聖職でも金は必要だとはいえ四割は神殿へ寄進するとなると、四人で分けるには少ない。」
「すまん、どういうとりわけだったかな。」
「獲物自体は寄進する必要はないが、金に換えた場合は得た金から四割だ。」
「まったく、俺たちの辛いところだな。」
「ああ。しかしいつだって経営は苦しいほうだから、それ自体は理解できんこともない。」
「使徒がいつ現れてもいいように上が使い込むせいだろ。」
全員が銀髪を見た。銀髪は一見静かな表情だったが、目の奥底には怒りが潜んでいた。
誰もが周囲に誰もいないことを探って、誰もいないことを確かめた。
「やめろ。万一にでも聞かれたら懲罰では済まない。」
「……おかしいと思わないか。ただの民に僧兵、商人、国にいたるところから金を集めておいて経営難だとぬかすんだぞ。」
誰もが銀髪の言葉に黙っていた。
「あいつらの遊楽に使われるくらいなら俺は寄進なぞしない。赦免神が許そうと秩序神が許さん。」
そこまで銀髪が言うと、周りが慌てて制止した。
「待て、頼むから!早まるんじゃない!」
「お前、今疲れてんだよ!いいからもう黙っとけ!頼むよ!」
銀髪は瞳に憤りを浮かべていたが、周囲の言葉でゆっくりと静かになっていく。
銀髪はやがて手を組み、祈る体勢になった。
「…すまん。そうだな、言い過ぎた。赦免神よ、勝手な理由により正道を外れようとしたことをお許しください。」
しばらく銀髪はそうしていたが、さて帰ろう、と言って歩き始めた。その背を見ながら、坊主頭がぽつりとつぶやいた。
「…ああ、きっとあいつは…。」
「……ああ。俺達にはどうもできない。」
―――
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