8.

―――

 クロムはどこかの庭園にいた。色とりどりの花が咲き誇り美しく見れば忘れないような場所なのだが、クロムには覚えのない場所だった。

 一つ、白銀色の尖った花弁を持つ奇妙な花が目を惹いた。他の草木に比べて、少しばかり異質に思えた。

ふわりと飛んできた蝶がクロムの躰をすり抜けたとき、ここが夢の中だと気付いた。

「よう、どうだった?」

 背後からの声に驚いて振り返ると、坊主頭の男が親しげに話しかけてきていた。口元がいつも面白そうに歪んでいるのが気に食わなかったが、なぜか憎めない印象だった。坊主頭は珍しい服を着ていた。どこかで見た覚えはあるが、思い出せない。

(誰だ?)

 声が出ない。だというのに、クロムの身体は懐を探り、何かの文様が描かれている札を取り出してひらひらと振った。クロム自身も、坊主頭と同じ服装をしていた。

「いや喋れよ。でもよかった、お前も次の――――――を受けるんだな。」

 聞き取れない単語があって聞き返そうとしたが、やはり声を出すことができずにいて戸惑う。クロム自身がしゃべり、体を動かしているわけではないことにも気付いた。

 気付いたときにはクロムとその男の距離が開いていた。

「俺は容赦しない。」

「勿論だ、今度こそ這いつくばらせてからな。」

「俺に勝ったことが無い奴がよく言う。」

「何を!」

 わずかな時間睨み合って、互いに笑っていた。険悪な中というわけではないようだった。

「あとは―――だけだな。」

「ああ、あいつもきっと来る。」

「違いない。みんな俺よりも優秀だからなあ。……お、―――だ。」

庭園に茶髪の男が入ってきた。この男も坊主頭と同じ様な服装をしていた。

 茶髪もこちらに気付くと、手を振って近づいてきた。

「やあ、君たちもまさか?」

「ああ、どうだ、俺と組んでこいつをぼこぼこにしないか?」

「二人だけじゃだめだね。昔二人がかりで倒しに行って惨敗したじゃないか。」

「昔の話だ、俺は強くなってる!」

 坊主頭と茶髪の会話を黙って聞いていた。聞き取れない単語がいくつもあった。

(…ああ、そういえば俺は今宿で寝ていたんだった。ならこれは夢か。だが、それにしては…)

 坊主頭に叩かれたときも、通り抜けていった風も、音も、体験しているような明瞭さがあった。

 不意に、ごおん、と鐘が響いた。

「時間だな。俺は先に行く。」

「そうだな。―――も行こう。」

 三人は庭園を離れ、建物へと入っていく。少しだけ見えた装飾は、茶髪が取り出した札に描かれていた文様に似ていた。

 クロムもその後を追おうとしたが、前を歩く二人の姿がぐにゃりと曲がり、次の瞬間場面が変わった。

 薄暗い部屋だった。視界はわずかに見えるのみだったが、衣擦れの音やわずかに立つ物音で気配を探ることができた。自分の他に何人か立っていたが、気配は激しく動いていた。

 気配の一つがクロムを襲った。近くに気配がするのはわかっていたから、返り討ちにした。拳は襲ってきた者の体に深く刺さった。感触からはあばら骨が砕けたのだろう、苦悶の声が漏れた。うずくまる者に容赦なく蹴りを加えた。気配を消してその場を離れた。

 うずくまっていた者は今別の誰かに襲われているようだった。悲鳴が聞こえていたが、血の匂いがしてすぐ静寂に包まれた。

(なんだ)

 やがて物音ひとつしなくなった。複数の気配がある空間でじっと気配を探った。相手も同じように気配を探っているのがわかった。位置まではわからないが、気配は三つあった。

(何が起こっている?)

 不意に重苦しい音を立てて扉が開かれ、まぶしい光が目を貫いた。二人、誰かが立っている。表情は見えないが、声は喜びを隠せないでいた。

「蟲の試練を終わる。…今回は生き残りが多いな。」

「は。前回からもう百年が経とうとしていますゆえ、この結果は喜ばしい事です。」

「うむ。さて、この扉をくぐった五名を合格とみなす。通るが良い。」

 二人が扉を通れるよう、左右に避ける。光に向かって走っている間に、扉の近くにいた三人は我先にと潜っていった。クロムは四番目に扉を潜った。庭園で見た茶髪は出ているようだが、坊主頭がいなかった。

 扉を振り返ると、後ろから別の男が片足を引きずりながら歩いてきていた。男が扉を潜ろうとしたとき、突然首を刎ねられた。扉の両脇に立っていた男の片方がやったのだ。

「貴様は不合格だ。」

憔悴しきった坊主頭が這いつくばりながら、足を引き摺った男よりも先に腕だけを扉の外へと出していた。

「合格者諸君。次の試練は追って伝える。一先ず休むと言い。

おい、この這っている五人目を治療院へ連れていけ。」

 興味なさそうに片方に言い残して去って行く。坊主頭を引き摺りだして、扉は固く閉ざされた。

 去って行く彼らを、夢とわかっているといえ状況が解らないクロムはただ見送るだけだった。


―――

 目を覚ますと太陽は既に高かった。

(…随分寝たな。それにしては妙な夢だ。)

 夢の内容は美しい庭園だけが唯一思い出すことができたが、その他の記憶は既に抜け落ちていた。

(俺がいた庭園。随分手入れされているみたいだった。どこかの貴族家にでも奉公していたのだろうか?いや、ただの夢か、過去の記憶かはわからない。

 すぐに確かめることはできないな。)

 身体を起こすとまだ倦怠感が残っていたが、凄まじい寒気は既に無くなっていた。体を伸ばすとまだ全身が痛んだが、動かせないほどではなかった。

(この調子じゃ、迷宮はしばらく行けないな。)

 迷宮に棄ててきた剣のことを思い出す。迷宮に置いてきて、すでに半日以上過ぎているのだから既に消失しているだろう。別の剣を取り出して、以前と同じように腰に差した。同じような感覚だったが、動いて見れば少しばかり違和感を覚えた。

(…慣れるまでに時間がかかりそうだな。簡単に武器を捨てるのはやめよう。)

 宿を出て人通りの少ない道をゆっくり歩く。朝からやっている飯屋はそう多くない。開いていた店へと入り、いくつかの料理を注文した。パンと野菜、水、鳥の肉を串に刺したもの。出てきたものを片っ端からすべて平らげた。

(そういえば武器の手入れをしないといけないな。昨日回収した武器は戦ったときのままだった。)

 金を払って店を出て宿へと戻り、武器を広げたところで手入れのための道具が無いことに気付いた。

 面倒に思ったが武器はすべて〈武器庫〉へと仕舞った。

 探索者協会で職員に武器の手入れ道具がどこで手に入るか聞いてみると、ここでも取り扱っているというのでいくつか買って宿へと帰り、改めて武器を広げた。

 その日は武器の手入れだけで終わった。

 身体から倦怠感が無くなり、調子よく体を動かせるようになれるまでは三日かかった。すぐに迷宮へ行くつもりではあったが、この日はリプリン工房へ鎧を取りに行く日になっていた。

 昼になる前にリプリン工房へ顔を出す。奥からやつれた顔のリプリンが顔を出し、クロムの姿を見るとやり切った表情で話しかけてきた。

「来たか。出来てるぞ。まず各所に付けてみてくれ。」

 足、腕、二の腕、腹、胸と着けていく。一人でつけるにはやや大変だが、慣れればすぐに付けられるだろう。すべて装着して動いてみたが、想像以上に軽くて動きを阻害しない。クロムの要望通りだ。関節までは守れないが、〈鋼鉄カリプス〉があるから問題はないとクロムは考えていた。

 胸にも同じような鎧を付ける。こちらも体にぴったりだった。

「問題ないな。」

「そうだろう、足のこのあたりかなり苦労したんだ。」

 鎧の工夫した個所についてあれこれと話してくれるが、クロムはそのほとんどを聞き流した。鎧の装備の仕方や動いてみたときの感覚も問題なかった為クロムとしては満足いく品だったことには間違いない。

「俺も満足いく品だというのはわかった。後払いの分、受け取ってくれ。」

「確かに。今後魔獣素材の加工が必要なら、ぜひウチを利用してくれ。」

「ああ。」

 鎧を付けたまま工房を後にし、都市を出て人気のない荒地へ出た。

 剣を散りだして振り回す。様々な動きをしてみてから、今度はハルバードに獲物を変える。これでも様々な動きをしてみる。槍や弓でも幾つも動きを試したが、どの武器を使ってもやはり鎧は動きを阻害しなかった。

(うん、この鎧は良いな。付けたまま戦う練習は二十五層あたりでしよう。)

 今すぐに三十三層以降には近づきたくなかった。また蟻の魔獣に遭遇すれば反射的に斬り殺してしまいそうだったからだ。もうしばらく先の階層まであの蟻の魔獣が現れると思うと、うっかり斬り殺さない自信はなかった。少なくとも、ここから先を一人で潜る気にはなれなかった。

(…そうだ。一緒に迷宮に潜れる奴を探そう。)

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