3.

―――

 クロムより頭一つ小さな男は、クロムの渾身の拳を掌で受け止めた。硬いものを殴った時のような音が響き、クロムの拳が割れた。すぐに止血して、男から何かを聞いていた。男は何を話しているかはわからなかったが、何かを伝えていたことは確かだ。

 その後、男とクロムは再び組み手を始めた。

 しばらくその様子を見、夢だと気付いたとき目が覚めた。


―――

 ウルクスを埋葬してから四日が過ぎ、商人がやってきた。今回はいつもよりも荷物が多いように見えた。クロムを見ると馬から降りて、いつもの調子で尋ねてきた。

「おお、ウルクスの弟子か。ウルクスは鍛冶場か?」

「いや、ウルクスは死んだ。」

「なに?」

 商人がウルクスの最期を聞きたがったので、掻い摘んで話した。仇も既に取ったことも伝えた。しばらく商人は黙っていたが、深いため息とともにわずかな時間祈りを捧げた。

 男はウルクスの墓へと向かいたいと言い、クロムは谷底に案内した。男はしばらく祈るような格好でじっとしていたが、やがて立ち上がると小屋へと戻った。

 ウルクスが死んだ日に干していた肉は、数日天気が良かったからうまくできていた。二人でこれを無言で食べた。食べ終わることに商人が口を開いた。

「…ところで、お前はこれからどうするんだ。ずっとここに居るつもりか?」

 クロムはその問いに答えられなかった。どうすればいいのかわからなかったのだ。

「わからない。俺には師に拾われるまでの記憶が無い。

これから、どうするべきかも何をするべきかもわからない。」

「じゃあ、俺と来い。ウルクスからは、お前がここに留まるとはっきり言わない限りは連れていけと言われているんだ。」

 その申し出にクロムは驚いた。

「待て、俺が商人に払える物なんかないぞ。」

 商人の男はそんなことか、と言って小さく笑った。懐から帳簿を取り出し、年季の入った手つきで捲る。

「もう貰っている。武具の代わりに食料と二足三文の雑貨ばかりおいて行くわけないだろう。あいつはな、お前のこれからの分を既に払ってんだ。」

 そう言うと書かれている内容を読み上げた。貨幣の価値はクロムも教わっていたが、人ひとりが慎ましく生きれば二年は生活できるであろう額だった。

 ウルクスが残したのはそれだけではない。探索者協会への推薦状を残していたのだ。冬が終わる頃に商人に渡していたという。

「お前さんが困らんようにしてくれているってことだな。あとはこれだ。ウルクスが手に入れて、ここに引きこもるのに要らんとか言って俺に預けていたものだ。」

 商人が取り出したのは小さな袋だった。

「見てろ、まず推薦状だ。」

 皮紙の巻物を袋へと入れる。すぐに袋へと収まった。

「お前がいつも使ってる武器は?」

「壁のものは全部使える。」

「そいつは凄い!すると全部入るかわからないな?」

「どういうことだ?」

「まあ見てな。」

 商人は立てかけてある剣を手に取り、袋へ差し込む。クロムは袋の底が破れると思ったが、剣は小さな袋を突き破ることなく収納された。商人は手を休めずに次々と壁にある武器をしまい込む。摩訶不思議な現象に、クロムはそれをただ呆けたように見つめていた。

最後に残った剣を入れようとして、手を止めた。袋と剣をクロムへ押し付けて、得意げに言った。

「この袋はオセ迷宮から出たものでな、荷物なんかを一定の量収納できる迷宮品だ。名前を〈収納袋〉という。…そのまんまだな。

袋ごとに容量は決まっているが、こいつはそれなりに大きいものになる。

ほら、これがお前の荷物だ。それとこの剣を一本、腰に吊るしておけ。身を守る手段だな。

さあ、支度をしたらすぐに発つぞ。」

 頷いて剣と袋を受け取る。袋にはあれだけの武器を入れたというのに異様に軽かった。

「その袋に入ったものを取り出すときは、すぐに取り出したければ入れた品物の名前を呼べ。名前が出てこないなら、武器とか薬とか食べ物とか、その品物の用途や大きな分類を呼び続けると該当するものが何か一つ出てくる。

忘れそうなときは、入れたものの一覧を書いた紙なんかを入れて忘れないようにするのも一つの手だ。覚えておくといい。」

 説明を聞きながら、ハルバードと呟いて取り出してみる。右手にハルバードが現れた。

 袋の口を開けてハルバードを近づけると、手元にあったハルバードが消えた。次は武器、と言ってみると右手に弓が出た。だが矢筒や矢は一緒に出なかった。もう一度武器よ、と言うと今度は左手に鎚が出た。どちらもクロムが練習に使っていたものだった。

これらを再び仕舞い、何度か武器よ、と言って取り出してから仕舞う動作をした。同じ武器を二度手にすることもあった。いずれもクロムには使った覚えのある武器が出てきた。大きな分類で取り出す時はあまり覚えていないものほど取り出しにくくなるのかもしれない。

「夜にはこの森から出ないと危ない。そういうのは後にして、移動に集中してくれ。」

「む、すまん。わかった。」

「そういえば、まだお前には俺の名前を教えてなかったか。俺はヘルリック、風の神を信仰するしがない行商だ。」

「わかった。俺はクロムだ。しばらく頼む。」

「はは、いいだろう。さあ、行くぞ。」

 ふと屋内を振り返る。なにも無くなった家は空っぽだった。

(師よ、ありがとう。さようなら。)

ここでの時間を取りすぎたために馬を少し急がせているのか、ヘルリックの後を走って追った。

 会話もなく走り続けて、日が暮れる前に森を抜けた。大急ぎで野宿の準備をして、朝になったらまた走った。慌しかったが、魔獣に出くわさないためにはこれくらい急ぐべきなのだろうと納得していた。

 三日後にようやく村を訪れた。ヘルリックによれば、ここがウルクスの住まいに一番近い村だという。食料を買い、村長の家に一晩だけ泊めてもらった。


―――

 翌日の道すがら、目的地はシャデアという都市だと聞いた。このあたりでは最も大きな都市だ。

ウルクスの過去についても聞いた。ヘルリックは元々ウルクスと共にシャデア近辺の迷宮で探索者として迷宮へと潜っていた。ただし二人とも迷宮専門だったわけではなく、ウルクスは鍛冶、ヘルリックは商売とそれぞれ本業を続けるための資金稼ぎが主で、ある程度稼ぎ、しばらく本業へ集中し、資金が尽きたら集まって潜る…そんな生活を繰り返していた。やがて本業だけで生活できるようになってからは、ヘルリックは迷宮へ潜ることはなくなったが、ウルクスはその後も迷宮へと潜っていたという。ウルクスが世を捨てて山中へと籠るようになるまでは、時折酒を酌み交わす程度の交流が続いていた。

今クロムの手に渡った〈収納袋〉は、最後の迷宮探索でウルクスが手に入れたものだ。隠居に際して不要になったからヘルリックに託したということらしい。

 迷宮についても聞いた。彼らが主に潜っていた迷宮はオセ迷宮という人気のなかった場所だった。

オセ迷宮の浅層は多少戦えるものでなくても、余程のことが無い限りは死なない。十層程度からは多少戦えれば大して苦戦しない程度の魔獣が出る。だが二十層近くになると外殻が硬く、より強力な虫系の魔獣が出るようになり、三十層にもなれば夥しい数の魔獣が這い回るようになるという。シャデアで探索者になった者は大抵、オセ迷宮の上層で迷宮に慣れるのだという。

 シャデア近辺にある迷宮は他にも迷路のように入り組んだフォラス迷宮、悪質な罠の多いエリゴール迷宮がある。どちらも中級以上の探索者でなければ深層は探索できないと言われているが、上層だけなら初級者でもそれなりに探索ができる。二人は何度か挑戦したが中層と呼ばれる場所は満足に探索できず、オセ迷宮のほうがよく探索できることに気付いてからは潜る気も起きなかったという。

三日ほど移動し、大きな村へと着いた。ここではヘルリックが食料を買った。更に二日を移動して、都市クリモアへと着いた。宿を取ってからすぐ三日間市場を連れ回された。

この間に商売の仕方や物価や交渉術を教え込まれたものの、それがウルクスに教えられた時からよく理解ができなかったクロムはどれも目も当てられないほど下手だった。

「お前、間違っても商人になるな。破滅するぞ。」

「なる気は無い。」

 四日目には次の都市を目指して歩を進めた。ここでは急ぐ必要もないようで、ゆっくりと進んだ。次の都市マグまでは七日ほどかかると言っていたが、その間に三つ村がある。ここで泊まりながら行商する時間も合わせての日程だった。途中、一日が雨で出立できなかったため村に滞在した。

 マグはクリモアとほとんど街並みが変わらなかった。扱っている物の価格は大体同じだったが、ヘルリックに言わせると食べ物に関してはマグのほうが少しばかり質が悪いらしい。クロムには何が悪いかはわからなかった。

 ヘルリックは既にクロムの商売の能力は勿論、目利きの能力にも見切りをつけていた。こいつは戦わせておいたほうがまだマシ、そう結論付けてもう一度商人になるなと念を押した。

「さて、ここから四日南に進めばシャデアに出る。探索者協会への紹介状はシャデアでなくても使えるものだったが、あいつも活動していたのがシャデアだから、あそこが良いだろう。それから、お前がこれから何をするか、そこで決めるといい。

 俺のおすすめとしては探索者になることだな。それなりの実力さえあれば誰でもなれるが、討伐なんかができる奴は実はそう多くない。

ウルクスに仕込まれたお前なら十分いいところまで行けるだろう。」

「そうかな。まあ、やってみるさ。」

「えらくあっさり言うな。」

「幸い、俺には戦うための力はある。それが一番だろうと俺も思っている。」

「うーん…まあいいか。俺もシャデアで主に活動している。何かあったら俺に言うといい。」

「ああ。」

「その無愛想も直すんだ。せめてもう少し他人と話すようにしておけ、いいな?」

「考えておく。」

「はあ…。」

 ヘルリックは落胆したように溜息を吐いて、仕方ねえな、と呟いた。

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