1.記憶の無い男

1.

 ウルクスが住まう家の中は、人ひとりが生活するのに十分な広さがあったが、そこかしこに沢山の武器が置かれていた。槍、剣、ハルバード、盾、籠手、弓矢、棍棒、他にも名のわからない武器まで様々だ。

「この武器は?」

「全部ここに来てから打ったもんじゃ。貴族様や騎士様方が大金払って使うようなものに比べれば立派なものではないが……クロム、お前が使うぶんには問題なかろう。」

「使えるだろうか。」

「無論。お前さんの体格でこいつらが使えないというのもおかしな話だ。

 …まあ、今のお前さんにはこいつがいいだろう。」

 そう言って部屋の片隅に立てかけられた手斧を掴み渡してきた。軽くて小さい手斧だった。

「怪我が治るまでずっと寝ていては体が鈍る。運動がてら薪割くらいはせえ。しっかり割れよ。」

「…わかった。」


―――

 ウルクスに助けられてから三ヶ月が経った。

 最初の二十日程は薪割の他はずっと怪我を癒すために寝込んでいたが、ある程度癒えてからは山や森の歩き方を徹底して仕込まれた。四日間、剣一本だけを以持って山中を彷徨ったり、ウルクスが指定した鉱石や薬草を取りに行かされたりもした。当然、入手できるまで家に上げてはもらえない。野宿である。

 だが必死になれば案外なんとかなるもので、剣と弓の扱い、獣の解体、鉱石や薬草の採取の仕方は最初に比べればかなりましになった。ただし、植物の見分けは一向に身に付かず幾度も毒草を持って帰った。何度も探しに行くのは手間だからと、手あたり次第それらしい植物を取ってから帰っていたのである。

「お前山に入ったら獣か鳥だけ食え、植物は絶対に食うな!」

 最初のうちは言い含めるだけだったが、クロムが何食わぬ顔で集めてきたものが毒草ばかりだったとき、見かねたウルクスは激怒し、さじを投げた。それからは狩りと鉱石の採取がクロムの分担となった。

 ウルクスの下での生活に慣れてきた今では、朝早くに薪を割り、その後は山へ入って食料調達。日暮れまでに家へ戻ってウルクスから武器の使い方や戦いを教わり、日が沈んでからは飯を食べながらウルクスから世間の話を教えてもらってから寝る。そんな生活が続いていた。

 クロムがウルクスの家に居候し始めてから、数度来客があった。来客は商人をしているらしく、ウルクスが打った武器を持っていく代わりに食料や日用品を置いていった。

 クロムはいつも狩りや採取に出ていて直接商人と話すことはなかったし、商人も物々交換したらすぐに帰って行ったため細かいことは知らない。ただ、商人から世情を聞いていたウルクスはいくつかの国の情勢について話してくれた。

 今クロムたちがいる場所はシラー帝国という場所にある。シラー帝国は二十年前に西大陸西側諸国を次々に併合して生まれた国だが、併合後はおおよそ善政、優れた政策を打ち出しているのだという。

 大抵、国ごとに信奉する神は違うものだが、幾つもの国が併合されてできた帝国がそのまま行政することは火種を生みそうなものだ。何より戦争は大抵、信仰の対象の違い―――主に二大神のどちらかにまつわる諍いから起こりやすい。

 そこで帝国は主に祀っているものの、どの神を信奉するのも自由とした。如何なる神を信じようとも構わないという姿勢は斬新で、これまでは戦争の火種となっていた奉ずる神の違いも認められている状態では火種として機能しにくい。せいぜいケチをつける程度のものだったそうだ。結局、現帝王が西側諸国の盟主として居座るには反発は少なかった。

 また、西側諸国が帝国としてひとまとまりになるのにそう大きな抵抗が無かったのは、二百年ほど前にも一度併合された経緯があったこと、何より帝国の母体となった国が周囲の国々よりも圧倒的な兵力差があった事も帝国が誕生した理由に挙げられた。

「…ふうん。」

「興味が無いか。まあ、現在の帝国領土…西側はそもそも一つの国だった時期が幾度もあるからのう。闇の神やその陣営の神を祀る国が多いのもその影響もあろうよ。」

「……神ねえ。」

「クロム、お前もそのうちに信仰する神を考えておいたほうが良い。強い信仰を持っていれば、いざという時に助けてくれるかもしれんぞ。」

 神には闇の神、光の神をはじめ元々四十八柱だったというが、主神ははるか昔に死に、主神を殺めた神は追放された。ゆえに今は四十六柱だという。

 ほとんどすべての人は成人の年になると四十六神のいずれかに信仰を奉げる。

 自分の職に関する神を信仰することは良くあるそうで、ウルクスは鋼と鍛冶の神に信仰を捧げている。商人なら風の神や財と商売の神、戦うことを生業に定めた者は戦神に信仰を捧げることが多い、という具合だ。当然ながら職とは関係なく、正義を司る光の神や赦免を司る闇の神を信仰する者も多くいる。光の神と闇の神は主神格として祀られていることもあり、二柱を信仰することは社会的に信用を得やすい利点があった。

(神々への信仰はその人の決めた生き方や性質に近いものを選ぶのか。

 …俺は、以前はどの神を信奉していたのだろう。)


―――

 更に四か月が過ぎた。一か月は四十日、一年は十か月だとウルクスは言っていた。

今は既に雪が深い時期で、山へ潜ることは無くなった。だからと言って何もしなくなるわけではなく、家の周りの雪を適当に掻き分けたあとに剣、槍、ハルバード、弓を練習する時間になった。

 山で生き残る一心で身に着けた武器の扱いだったが、ウルクスに見せると随分と難癖をつけられた。それでもウルクスの言に従って練習するほど上達を感じた。

 ウルクスはやがて、木の葉が落ちるまでに三度剣を振れだとか、斧を台の切り株に当てずに薪を割れとか、細い枝を槍で突いて切れだとか、岩の上に積もった雪だけを矢で打ち落とせだとか、あるいはそれをできるようになったら別の武器でやって見せろ、など次々と要求した。

 ウルクスに見本を見せてくれと言うと、そう難しいことではないと言うように簡単そうにすべてやってのけた。

 一度目はただ見ていた。実際出来ることなのだと見せつけられた。二度目はじっと観察した。ウルクスの動きを見、幾度も思い返しながら真似て、動きを体に馴染ませた。やがて自分の身体に合った動きを模索した。

 冬が終わるころ、クロムはウルクスを師と呼ぶようになった。

「…ところで師よ、弓や斧と比べてハルバードというのは…少し名前に違和感がある気がするんだが。」

「名前ぇ?」

「ああ。物の名前というより、人の名前に近い気がするんだが。」

「…どうでもいいことを気に掛けるなぁ。

 神代に繋がるほどの昔からの言葉の変遷の中で使われなくなった言葉は多い。武器の名前だけじゃなく、言葉を含むあらゆるものが変わってきた。」

「つまり、その頃の名残か。」

「うむ。今風に言うなら戟とか槍斧と呼ばれておるがなあ。冒険者の間では時折古い言葉がそのまま事象や形あるものを指す言葉として使われている事も多い。

 例えば迷宮で得た物品、概念的なものの名前なんかに細々残っているものもある。

 それから、魔獣や魔術だけはずっと同じ言葉だけが使われている。

 もっともどれも同じ人間の言葉。あまり気にせんでもよかろう。

 それとも、そういったことを学ぶ道に進むか?」

「いや、戦う道にしておく。」

「そ、そうか、答えるのが早いの…。」

 日々幾度となくどう振うかをひたすら考え、練習し、反復した。手ごたえを掴んでから技を自分のものにするまではそう時間がかからなかった。

 雪が解け終わる前に四つの技をウルクスへ見せた。続けて別の武器でも同じように振い、見せた。すべてを見せ終えてからウルクスはしばらく黙っていたが、やがて一つだけ頷いた。

「まあ良かろう。

 雪が解けたら、鍛冶を覚えてもらう。それから儂と打ち合いもするぞ。他はこれまで通りじゃ。鈍らせないようよく修練せえ。」

「待ってくれ、俺のやることが多くないか?」

「問題ない、やれる。どうすればいいかはお前が考えろ。儂に見せる必要もない。」

 何度か寝て起きてを繰り返して、答えはすぐに出た。

 ウルクスから罠の作り方を教わって、山の各地に設置した。それからは早朝に起き、山へ走る。数か所に罠を仕掛け直し、近くに鳥がいれば射て落とす。獲物が罠で捕れれば良し、いなければ川まで走って魚を探す。獲物を二、三匹捕ってから急いで帰り、解体して朝食を用意する。用意し始めるころにはウルクスは既に山菜や薬草の採取を済ませている。

 適当に捌いて焼き、朝飯とする。朝食が終わればウルクスと打ち合いをし、その後鍛冶を教わる。実際に武器を使っての打ち合いはウルクスを十分に満足させるものだったが、鍛冶は全く駄目だった。

「下手糞!鉄を叩いて捻じ曲げてどうする、力加減を知れ!」

「ああっお前は!お前は!聖銀がどれだけ貴重な物だと思ってやがる、それをこんなボロボロに…!」

「お前もっと慈しみを以て金属を打て!仇じゃないんだぞ!」

「武器の手入れでどうしてそう壊せる!直すんじゃ!」

 クロム自身もこのころになってわかったことだったが、クロムは恐ろしく力が強かった。そして力の加減は下手だった。これはウルクスの仕事ぶりを見てどうなるというわけでなく、金属をまともに打てるようになるまでに四か月、武器の修理ができるようになるまでには半年以上かかった。

 その頃には武器の扱いはウルクスから教わることもなくなっており、今度は魔術を教わろうとした。だが、クロムは期待以上に魔術ができなかった。

 軽度の魔術ならばほとんどの人間が使えるが、極極まれに全く使えない者がいる。

魔術を使うためのマナと呼ばれる素子があるとされる。どこにでもあり、何にでも宿っている肉眼では見えない小さなものだ。ほとんどの人間は微弱であってもこれを感じ取ることができるというのだが、それができない者は一生かかっても魔術は習得できない。

 クロムは全くマナを感知できないかと言われるとそういうわけでなく、身の回りを漂うマナはわずかに感じ取れるが、ほんの指先一つ分離れた場所のマナは感知できないほどに鈍感だった。

 それでも訓練を重ねて〈フラム〉の呪文だけは発動できた。だが、これもウルクスは拳大の火を発生させるのに対してクロムは指先に小さな火を灯す程度の大きさだった。

「むう…また消えた。」

「ウーム、最低限〈火〉が使えるなら旅で困りはせんか。〈アクオ〉もあれば十分だったが、仕方がない。〈グルド〉も〈ヴィンター〉も使えないなら遠くを攻撃できるのは弓だけか。少し心もとないが、他に教えられるものもない。

 …他も確かめるか?」

「他にあるのか?」

「一応なあ。教えてやるから、明日は谷に行くぞ。狩りはしなくていい。」

 谷はクロムが鉱石を得るためによく行く場所だったが、その日はさらに奥の谷底へ連れていかれた。大きな岩がいくつもあり、岩盤も堅そうだ。

 ウルクスは老いているというのに身軽で、クロムよりも速く岩場を進む。追いつくと、ウルクスの前にはクロムの背丈ほどある岩が目の前に聳えていた。

「離れて見ておけ。〈剛力リギテット〉」

 ウルクスが岩に手をかけて力を入れる。とっさに腰を痛めると思って手を離させようと思った矢先、岩が動いた。

「なっ」

 ウルクスは巨大な岩を持ち上げると、そのまま十歩ほど離れたところに岩を投げた。

「今のが〈剛力〉、通常の何倍もの力を発揮する魔術じゃ。身体の中のマナを強く意識して呪文を唱えるといい。」

 先ほど投げた岩を指し、ウルクスが言う。やれということだ。

「リギテット、か。」

「うむ。習得できるといいのう…」

「できるとは思わんがやってみよう。」

 岩の前へと立ち、この岩を動かすことに集中する。不安定なのか、持ち上げようと力を入れるとわずかに動いた。

「魔術が発動しとらんな。」

「〈剛力〉」

 再び力を込めて呪文を呟くが、うまくいかない。

「〈剛力〉」

 わずかに力に溢れたような気がしたが、岩は動かない。それでも手ごたえはあったような気がして、何度も呪文を呟いては岩を押す。

「〈剛力〉」

「〈剛力〉」

「〈剛力〉」

「〈剛力〉」

「〈剛力〉」

 ウルクスはそれを眺めながら、持ってきていた水を飲んでいた。太陽が真上に来る頃に、ようやく変化があった。

「〈剛力リギテット〉」

 急に力があふれるような感覚があった後、ほとんど動かなかった岩が押され、大きく動いた。効果はすぐに切れ、少しの疲労を覚えた。岩はクロムが押しても動かなかった。

「今のが?」

「ああ、使える兆しはある。要練習じゃ。明日からはここで練習するといい。」

「鍛冶や狩りは…」

「しばらくはやらんでいい。武器の練習と、覚えた魔術の練習だけしろ。特に〈剛力〉、これを使って武器を振う練習じゃ。それから魔術に頼らず体も鍛えるように。…気を抜くなよ。」

「む、わかった。」


―――

 〈剛力〉を教えてもらって三十日が経つ頃には、クロムはすっかりこの魔術を使えるようになった。自分の身体の何倍もの大きさの岩を軽々と運べるようになると、岩を運んで簡単に崩れぬように組み上げて遊んでみたりもした。

 後から聞けば、〈剛力〉は元々さる鍛冶の一族に密かに伝えられていたものだったという。ウルクスはその一族の者から弟子として教えられ、習得したのだという。一族は既に途絶えており、世間では既に失伝してしまっていると教えられた時には驚いた。

(……普通に振っても木の半分も食い込まないのに、これは感覚がおかしくなるな。

だが他に使える者がいないこの魔術は、きっと俺の切り札になる。)

 そしてもう一つ、〈剛力〉を使って武器を振うことについてもなんとか習得した。

 〈剛力〉を発動させたまま武器を振う、そのこと自体はすぐにできた。やがて素振りだけでは飽きて木を相手に武器を振ったとき、クロムの胴ほどある木すらほとんど手ごたえ無く簡単に切れてしまった。調子に乗って幾本も木を切り倒したとき、手元の剣が少し歪んできていることに気付いた。

(うん?刃こぼれに歪みが出ている。

 …もしかして。)

 ふと思い立って剣を構え、〈剛力〉を使ったまま落ちてきた葉を切り裂く。思っていた以上に速く、強く振られた剣は三度目の攻撃が繰り出せなかった。再び〈剛力〉を使用しながら手近な小枝を突いた。真っ直ぐに突いたつもりだったが、剣先は狙った位置に真っ直ぐに伸びず、わずかに枝から逸れていた。

(……師が言いたかったのは、もしやこれか。)

 〈剛力〉を使えば切り裂ける敵もいるのだろう。だが〈剛力〉を使えば技は崩れ、武器を壊す。力と技の両立だけでない。いざという時に武器が無い状態を作らないために使う局面はよく考えろ、と言われているのだと思った。

 更に二十日が経つ頃には、すっかり〈剛力〉を使いながら技を振うことができるようになった。

 そのことをウルクスに報告すると、そうか、と一言だけ返した。

 改めて別の魔術を教わったが、〈火〉と〈剛力〉以外の魔術は一つも発現できなかった。


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