神の盤上と彷徨者

@minamihyuga

 男が薄暮を駆けていた。

 半日近く走ってなおその速さは早馬の如く、他者の追随など許さないと言わんばかりの速度だ。だというのに男を追う影がいくつもあった。距離は駆ける男に追いつかないが、それ以上距離が開くことは無く、まるで猟犬のようにどこかへと誘導しているかのようにすら思えてくる。

 男は込み上げる怒りを抑えながら走り続けた。


―――

 はるか神代、闇の神と太陽の神が争いを始めた。

 闇の神は赦免を、太陽の神は秩序をそれぞれ別に司っていたが、あるとき闇の神が太陽の神の領分を侵してしまった。それが火種となって二柱が争い始めたのだ。それを見た神々は直接の手出しはしなかったが、やがてそれぞれの主義にあわせて二柱へと肩入れを始めた。無論、中立を保った神もいる。争いを好まぬ神もいれば、それに興味のない神、そしてどちらへも肩入れしてはいけない事象を司る神だ。

 争いが激化し始めた頃、中立の立場にいた神々はやがて地で蠢く人間に気付いた。奇しくも姿かたちが神々に近い人間は、やがて知恵と力を付け始めていた。

 二柱の争いが複雑化する中で、主神であった始祖の神が薄明の神に殺された。薄明の神は咎められるより先に何処かへと去った。薄明の神は二柱の妹に当たる兄妹神である。その愚行に二柱は一時争いを止めて主神を喪ったが、再び争いを始めようとした。

 それを見た中立の一柱、調停と秘密の神が最高神の座を争う兄妹に申し出た。

 地上に現れた人間たちは今、知恵と力を付け始めている。しかし彼らは導きもないまま闇を彷徨っており、やがて滅びの運命にある。彼らを導き繁栄を与えながら、その見返りとして幾年かに一度、一柱につき一人だけ手駒となる者―――使徒を選び、使徒同士で争わせよう。争いと言っても、武力だけでは芸がない。

 知と武を含めてあらゆる手段で信仰を集め、三千年後により多くの信仰を得られていた方を勝ちとしよう。

 これまでの争いで消耗していた二柱はその提案を受け入れ、二柱と彼等を取り巻く十二の神々は契約を交わした。以後百年毎に一度、神々は使徒を立て地上で信仰の獲得を争うようになる。


―――

 現世でそう伝えられる神代の話であるが、事実使徒と発覚すれば如何なる使徒でもこのように追われることはまずない。…信ずる神同士に余程浅からぬ因縁がなければ、であるが。

 男は自分を追ってきている者たちに心当たりがあった。男は元々神殿から追われる立場にあった。逃亡中に立ち寄った町で、偶然兵たちと町中ですれ違ってしまった。すぐに追手を送り込まれ、逃走を再開した。

 追手の兵たちの正体も察しがついている。立ち寄った町にあった神殿は光の神を祀る神殿であり、そこが抱えている私兵だろう。まさか、そこに自分のかつての仲間がいたとは思ってもみなかったが。

(くそ、あいつらもいたなんて。顔が割れたから…あいつらはすぐに気付くだろう。)

 行き場のない怒りは男に気力を沸き立たせ、いくらでも走る力が湧いてくる気がした。しかし背後からの怒声で怒りから醒める。追手の連中は怒りに飲まれたまま対峙して勝てるほど易しい相手ではない。

 幾度も山中や背の高い茂みへと入り、あるときは葦原へと誘いこんで火を放ったりしながら引き離しては休み、近づかれては逃げることを繰り返した。時になけなしの魔道具を使って追手の目を誤魔化した。それが功を奏したのか、追手は半分ほどになっていた。どこかで逸れたのか、他に理由があるのかを考えることはできなかった。

 すぐに合流されては手数で勝てず、死が待っている。

 追手は七人いたが、それならまだ戦えると思った。戦う場を作るために、男は再び山へと入る。山中であれば遮蔽物もあり、斜面は上を取れれば非常に有利になる。平地よりも安全に立ち回れる自信があった。

 しかし山へ入ってすぐに追いつかれ戦闘になった。最初に近づいてきた一人の喉を突いて首の骨を折った。とびかかってきた二人目は顎を砕いてから頭を割った。他の兵たちは距離があったから、何とかその場から離脱して茂みへ隠れ休んだ。辺りは既に暮れており、その日はそれ以上の追跡は無かった。今のうちに更に逃げることもできたが、もう少し休んで戦う余力が欲しかった。

 日が射し始めた頃、兵たちが近づいてくる気配がした。気配を殺して近づいてきた敵の首をひとつ斬り飛ばした。乱戦が始まり、どさくさで一人斬り払い、奪った剣でもう一人の喉元を突いて逃げた。殺すに至れなかったが、喉を潰したら呪文を唱えられないからそのまま放っておけば死ぬはずだ。

追手はあと三人のはずだが、今はあと二人しか見られない。最後の一人がどこに潜んでいるかわからないまま、やがて崖の上に追い詰められた。しかし幸か不幸か対峙する二人は勝手知ったる相手でもあり、同時に相手をしても勝算は高かった。

 坊主頭の男が片手剣を、茶髪の男が双剣を構えた。こちらも同じく剣を構える。

僅かな時間無言で睨み合ってから、敵が弾かれたように飛び出し挟撃を仕掛けてくる。躱し、防ぎ、挟まれぬよう適度に距離を取りながら逃げる。攻防の途中でわずかな隙を見つけ、すかさず茶髪の首を刎ねた。坊主頭が剣を突いてきたがこれを左腕で逸らし、こちらも首へと剣を突き立てた。剣は真っ直ぐに坊主頭の首を貫いた。

(予想外の痛手だ、だがあと一人……)

 近くの脅威を排除したことに気をわずかに緩めた瞬間の、背後からの急襲を防ぐことはできなかった。男は後頭部に走る衝撃にあっさりと意識を手放し、木々の繁る崖の下へと落ちた。


―――

(……ここはどこだ?)

 男が意識を戻したとき、辺りは既に闇に包まれていた。遠くに水音と、すぐそばの小さなたき火が燃える音だけが聞こえた。

 起き上がろうとして全身が痛み、すぐに起き上がることを諦めた。そのまま横になってぼんやりとしていれば、徐々に夜目が利くようになってきた。眼だけ動かして確認すれば、どうやら森か山の中にいるようだ。

(なぜ、俺は森の中にいるんだ?)

 記憶を辿ろうとするが、随分と記憶が混濁しているのか何も思い出せない。では、もっと基本的な―――…。

(俺は……あれ…?)

 しばらく記憶を探っていたが自身について思い出すことはできなかった。続いて、何か思い出せそうなものから思い出していく。

 辛うじて思い出せたのは、誰かに追われていた記憶のみ。

 その他のことは思い出せず、頭痛がして口の端からうめき声が漏れた。頭に怪我をしているようだった。

 痛みが少し治まってから男は状況を確認する。頭だけでなく左腕をはじめ全身に怪我があるようだが、どうやら骨は折れていないらしい。動くのに大きな支障はないだろう。今度は痛んだ場所を触ってみると、怪我した場所はきちんと手当てがされているようで身体の数か所と頭には布が巻かれていた。

 そのまま辺りを見ればたき火のそばには上着が広げられ、いくらかの薪が乱雑に積まれている。

(俺は、誰かに助けられたのだろうか?)

 そう思った矢先、茂みがガサリと音を立てた。痛む体を無理矢理起こして眼をやると、黒色のマントを羽織った初老の男がいた。手には弓と、それから頭を落とした鳥を持っており、狩人を思い起こさせた。

「おお、起きたか。起きんかったらどうしよう思うていた。まあ、まずは飯としよう。」

 男は焚火の傍まで来ると、大ぶりのダガーで鳥を解体し始める。その作業を見ていたが、かなり慣れた手つきですぐに骨と皮が外され、木の串で火に焙り始める。

(もし彼と知り合いだったら、自分の事を教えてもらえるだろうか。)

 そんな淡い期待を抱き、一番知りたいことを問いかけた。だが帰ってきた返事は望んだものではなかった。

「お前は俺の知り合いなのか?」

「いいや、知らんな。お前さんはそこの川で拾っただけじゃよ。」

「何?川?」

「ああ。もしやと思って引き揚げたら生きておったんじゃよ、運がいいのう。生きているんじゃあ放っておくわけにはいかんだろうに。

 まずはお前さんの名前を教えてもらえんか。」

 男は首を横に振った。思い出せることが無いのだから伝えようもなかった。

「そうか、全部忘れておるのか。何かの縁だ、儂を手伝うと言うなら少しはものを教えてやる。代わりに働いてもらうがな。」

「なに?なぜ見ず知らずの俺を助ける?お前に何か利益があるのか?」

「鍛冶、狩り、採取。儂の生活には欠かせんが年を取ると少しきつい。手が欲しいと思うとったよ。まあ、食え。」

 そう言って男は焼けた肉を差し出してきた。やけに腹が減っているのを自覚すると、腹の虫が鳴った。肉を受け取り、食いついた。今は少しでも腹に何か入れて、明日を彷徨う覚悟を決めたかった。

「明日、日が昇ったらここを発つ。今日は休め。その状態で山を歩けなかろう。その後は儂の家に来ると良い。」

「良いのか?」

「勿論。だがお前さんの名前を考えないとなあ。呼ぶのに困る。」

「む。そういえばお前は何というんだ?」

「儂はウルクスという。鍛冶師で、狩人でもある。」

「ウルクス…すまない、よろしく頼む。」

 それ以降の会話はその日は無かった。ただ静かに火が燃えるのを見ているうちに男は眠っていた。翌朝、日が昇ったころに目が覚めた。ウルクスは既に起きており、木の実をいくつか男に渡し、その場を後にした。付いて来いということだろう。

 鍛冶師ウルクスの家へと向かう途中、小さな獣や鳥を見つければ弓の使い方を、木の実や植物を見ればその採り方や植物の効能、似た形の毒草の名前を教えられた。日も傾くころに、木々の合間に小さな家が見えた。

「あれが儂の家じゃ。小さいが、まあ寝る場所くらいはある。」

「…世話になる。」

「ああ、その前に。お前さんの呼び方を決めておこう。さてどんな名前がいいか…。」

「何でもいい。お前でも何でも好きに呼べばいい。」

「そうもいかん。…そうだな、クロムにしよう。お前は名前が思い出せるまでクロムを名乗れ。」

「クロム。…わかった。」

 ウルクスは満足そうに一つ頷いて、家の中へと入っていく。クロムもそれに続いて入った。

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