ヒーロー、相手の正体に気づく



「青さんがうちにいるなんて夢みたいです」

「……そうか」


 昨日も訪れたばかりの部屋は前回と様子が違っていた。リビングに青いソファとテーブルが置かれていたのだ。

 ソファに横並びに座り、出された紅茶を飲む。青い花柄のティーカップも昨日までは存在しなかったような気がする。


「最近こっちに来たばかりで、あまり物が無いんですよ。昨日までは必要だとも思いませんでしたし」

「……はあ」


 つまりこの青い家具や食器は何故か昨日必要に思って買い揃えたばかりだということか。一体何故だろう。

 隣に座っている怜央は妙に近く、青が離れようとしても互いの足が密着するくらいだった。


「青さん、キスをしてもいいですか」

「……だ」

「だ?」

「ダメ」


 覆い被さるように接近してきて、唇が触れそうになる。直前で許可を求められるけど思わずぐいと押し返す。


「昨日はあんなにしたのに」

「ダメったらダメ」

「舌は入れないから。それでもダメですか?」


 じいっと見つめられるといたたまれなくなる。

 たしかにキスなんて昨日散々した。でも今の青は正気だ。理性がある状態であんな恥ずかしいことできないし、聞かれたらノーと答えるしかない。

 いっそ許可なんて取ろうとしないで強引に奪ってくれればと思いかけて、慌てて首を振る。奪ってくれれば、何なんだ。奪うな。


「……お前、学校は」

「今日は取ってる講義が無いんです」

「そうか」

「ねえ、青さん。唇以外なら? ほっぺならちゅーしてもいいですか?」


 子犬のような目で見つめられると結局断れなくて、まあ頬にキスくらいならいいかと頷く。


「……青さんのほっぺ、やわらかい」


 ちゅ、ちゅと柔らかな唇が頬に触れる。髪が顔を撫でてくすぐったい。


「青さん、大好きです」

「ん……くすぐったい」


 頬をたっぷり唇で撫でられたかと思うと、それがいつの間にか鎖骨にたどり着いていた。骨の部分に軽く歯を立てられ、ぺろりと舐められる。


「っ、……ほっぺだけって……っ」

「唇以外ならいいって言いましたよ」

「そんな、言ってないっ……」


 頬をくすぐられた時とは違う、明らかに性の匂いを放つ行為にじわじわと体温が上がっていく。ソファにそのまま押し倒され、シャツをたくし上げられる。


「……すご、キスマークだらけですね」

「お前がつけたんだろ!」


 シャツに隠れた部分は怜央のつけた歯型やキスマークでなかなかすごいことになっていた。昨日、シャワーを浴びる時驚いたけど、つけた張本人まで驚くのは納得いかない。

 怜央の残した痕に一つずつキスをされ、慌てて口を塞ぐ。


「……っ、」


 明るいリビングで何てことをしているのだろうか。怜央を引き剥がしたいけれど、今は声を出さないようにするので精一杯だった。


「青さん、可愛い……今日も青さんのこと食べていい?」

「や、だっ……ぁ」

「『やだ』って可愛すぎ。ふふ、全然嫌って顔じゃないですよ」


 自分は今どんな表情をしているのだろう。昨日と違って薬なんてないのにどうしてか怜央を拒みきれない。

 ブルーではなく「青」と呼びかけられる度に体から力が抜けていく。体がソファに沈みこんで、怜央の唇が体のあちこちに触れて。あの薬を飲んでないのに、昨日の熱を思い出す。

 名前なんて教えるんじゃなかった。


 

「大丈夫、ちゃんと気持ちよくしてあげるから。また僕に青さんを食べさせてくれませんか」


 じっと見つめられて、拒もうと思うのに体が動かない。ダメ、と呟けば。首を振れば。怜央の体を押し返せば。それだけで済むはずなのに。


「いい子だね」


 怜央の顔面がまた目の前に来て、反射的に目をつむる。唇に訪れる柔らかな衝撃を覚悟して、ところがいつまで経っても何も触れてこない。


「……怜央?」


 そっと目を開けると怜央が初めて見る、冷たい目をしていた。綺麗な顔でそういう表情をするとやたら怖い。



「……すみません、ちょっと邪魔が入りました。すぐ片付けますね」

「邪魔?」



 怜央が見ているのは青ではなく、その向こう。ソファから頭を起こし、振り返るとそこには――



「魔法少女……?」



 いつの日か大ダコを倒したあの魔法少女が立っていたのだった。

 この状況は、何なんだ?


「……耕平じゃないな」


 魔法少女は青をチラリと見るとそう呟いて、深いため息を吐いた。耕平って誰だろう。

 一方怜央は敵意剥き出しの目で魔法少女を睨みつけている。


「一応聞いておくけど、合意?」

「へ」


 唐突に魔法少女に聞かれ、自分の格好を思い出す。胸元まで捲りあげられたシャツに、無数にちりばめられたキスマーク。子供に見せていいような姿ではなく、慌てて隠す。


「別に僕としては、耕平が無事ならあとはどうでもいいんだけど」


 正義の味方としてそれで大丈夫なのだろうか。

 どうやら魔法少女は『耕平』という人物が襲われていると勘違いしてここに来たが、この場にその人物がいなかったので働く気を無くしている……ようだ。

 でも、正義の味方が出動するようなことはこの部屋では起きていないはずなのに。


「そいつらの星、一夫多妻制らしいよ」


 魔法少女が言うと、何かが爆ぜた。

 魔法少女の姿はもうどこにもなくて、ただ魔法少女が立っていた場所が少し焦げ付いていた。


 ……一夫多妻制の、星?


 怜央の右手は魔法少女が立っていた場所に向けられていて、まるで、怜央が右手から何か魔法のようなものを出したみたいで。


 ふと思い出す。魔法少女が対峙していた大ダコと、それを操っていた謎の少年。

 もし魔法少女の敵があれなのだとしたら……ここに敵がいたから、魔法少女が現れたのだとしたら。


 敵なんて、青じゃないなら一人しかいない。


 バラバラのピースが重なっていく。


 ──僕の生まれ故郷では同性でも問題無いんですが……



「怜央」

「……はい」

「お前の故郷ってどこ」

「…………ここからはちょっとだけ遠いですね」


 バツが悪そうに答える怜央を、殴ってやりたいと思うが、堪える。


「お前、俺の事騙してたのか」

「僕が青さんを好きなのは本当です! たしかに僕の星は一夫多妻制ですけど、僕は青さんとだけ結婚したいんです!」

「……そうか」


 あの嘘を吐けなくなるキャンディの効果はとっくに切れているし、そもそも宇宙人にあれが本当に効いていたのかも疑問だ。怜央はずっと青を騙して、もしかしたら何かに利用しようとしていたのかもしれない。



「…………帰る」


 少しだけ、怜央といるのが楽しいと思っていたのに。


 今はすごく腹が立って、それから、少しだけ悲しい。

 それがどうしてなのか、今は考えたくなかった。

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