第3話 そこに星はあるか 3

「あの、どうかしたんですか?」

「…………ん、なにか言ったか?」

 俺は今日も、こうして地下で彼女との会話を続けている。

「だから、どうしたんですか?って聞いたんです。ぼーっとしてるようでしたから」

「いや、何もないさ」

 嘘だった。俺は目の当たりにしたばかりなのだ。この会話も、いつか終わりが来るのだと。

「…………」

 今日、明日にどうにかなる、というほどの惨状では一応は無かった。

 だが、それでも期待はしていた。永久機関は無くとも、とても個人では使いきれないような、無尽蔵な量の燃料があってもいいのではないかと。

 だが、燃料の予備などすでに無かった。

 後は、いつか来る終わりに向かっていくだけだ。

(なんだかな)

 俺はいつの間にか、ここで会話を気に入っていたらしい。終わりが来ると思ったのならば、少しばかり残念に思うくらいには。

「それで」

「うん?」

「今日はどんな話をするんですか?」

 彼女の穏やかな声。

 神様は残酷だ。与えては、取り上げるように奪っていくのだから。

「そうだな」

 努めて、俺も穏やかな声を出す。

「では、俺の子供の頃の夢の話でもしよう」

「あはは、それは面白そうですね」

「なんてことは無い。俺はまぁ、普通の子供だった」

 田舎と言っていいような場所で生まれ、特筆するような病気も、怪我もなく、かといって表彰されるような特別な技能も持たずに、普通に生きていた。

「俺は人よりも、縁という奴には恵まれていたように思う。その中でも、教師には特に恵まれた」

 中学三年の時だ。お世辞にも優秀とは言えなかった俺だが、それでも自分の学力よりも上の高校を受験したいと思い、教師にそう伝えた。

「その人は言ってくれたよ。やってみなさいって」

 それから俺は、必死、とは言えないまでも、それなりに勉強して、その高校には受かることが出来た。

「それで、教師になりたいと?」

「少し、違うな。俺は漠然と、何かにならなければならないならば、教師がいいと、そういう風に思ったんだ」

 大学では教員免許を取るつもりだったし、そのための準備もしていた。

「だが、現実として、俺は兵士になった」

 そして最後はこんなところにいる。

 人生とは、分からないものだ。

「こんなはずではなかったと、何度かは思った。それもすぐに慣れた。そういうものだと思った。だが」

 結局、今から何かになれるなら、俺は教師がいいと思っている。

「ただ、それだけの話だ」

 俺の話を聞き終えた彼女は、少し間を置いて、それから、ゆっくりとした口調で言った。

「なにか、あったんですね」

「ああ」

 やはり、ごまかすことはできそうもない。

「この施設の燃料倉庫を見てきた。あと、数週間はもたないだろう」

「そうですか」

 そう言った彼女の声は、なんだかいつも通りな気がした。

「悲しくは、無いのか」

「悲しいですよ」

 彼女は、やはりいつも通りの口調をしていたように思う。

「とても悲しいです」

「嘘だ!そんなはずがない、あんたは!」

 俺は苛立ちに任せて口を開いたが、すぐに冷静になって肩を落とす。

「いや、よそう。これは、言うべきじゃない」

「いいですよ」

 そんな俺に、彼女は信じられないようなことを言った。

「言いたいこと、全て言って下さい」

 全部、受け止めてあげますから。

「そうか」

 俺は目を瞑った。

 彼女は、どんな顔をした人なんだろうか。

 それを知ることができないことが、何より残念で仕方がない。

「悲しいはずがないだろう。あんたは、俺とは違う」

「はい」

「外にはきちんとした世界が広がっていて、表に出れば誰かが居て」

「はい」

「人類は、滅亡なんてしていなくて、これから先に未来もあって」

「はい」

「俺は、あんたが、あんたらの星が、どうしたって、憎い」

「はい」

「何故、どうして、どうして俺がこんな目に遭う」

「はい」

「俺は、普通に、生きていただけだったのに。それだけで、よかったのに」

「はい、はい」

 なんで、どうして。

 気が付けば、俺は泣いていた。

「俺は!あんたが!あんたたちが!」

 羨ましい!


「すまない、恥ずかしい所を見せたな」

「気にしないで下さい。私は気にしません」

 すべてをぶちまけた後も、彼女の態度はあまり変わらなかった。

 それが、俺にはこの上なくありがたい。

「本当に、君には迷惑ばかりかけている」

「そんなことはありませんよ。私もまた、あなたに助けられているんです」

「そうか」

 お世辞でも、そう言って貰えて嬉しかった。

「なあ、君はどんな人なんだ」

「私、ですか」

「ああ。たまには、君の話を聞いてみたい」

 考えてみれば、俺が話すばかりで彼女がどういった人間なのか聞いたことはなかった。

 けれど彼女は、少し考えた後にこう言った。

「秘密、です。私の話なんて、面白くもないですし」

「……そうか」

 前に彼女は言った。したくない話を聞く気はないと。

 俺も、それに倣おう。

「では、君の言う博士の話ならばどうだろう。俺も、その人物には少し興味がある」

「それならば、喜んで」

 そこからの彼女は、今までにないほど饒舌で、いつもよりも楽しそうだった。

 俺はいつもとは逆の立場になって、彼女の話を聞いていた。

 ずっとずっと、聞いていた。


「私達、触れ合えないんですよね」

 その日の最後に、彼女はぽつりと言った。

「ああ、そうだな」

 相槌を打つように俺も言葉を返す。

「どうやら、そうらしい」

「残念です」

 ひじ掛けに立てた腕に顔を預けたまま、彼女の言葉の続きを持った。

「あなたの言う通りでした。私は、本当の意味では、あなたを助けられない」

 俺は目を開いて、穏やかな心持で言った。

「そうかもしれない。だが、いいこともある」

「それは、なんですか?」

「奪い合わなくて、済む」

 俺がどれだけ彼女たちの世界を羨もうとも、それを奪うことはできない。触れられないのだから当然だ。

「ならあとは与え合うだけだ。言葉で」

「……そうかも知れませんね」

 声が遠くなりつつあった。

 もうすぐ、時間だ。

「それでは、今日、は」

「ああ。終わりだな。また」

「ええ、また」

 いつもの言葉で、彼女が締めくくる。

「交信、終わります」


 それからの日々を、俺は多少忙しく過ごした。

 日に日に減っていく燃料を見ながら、彼女との少しの時間を過ごし、それと同時に食料や装備、情報を集めて次の拠点へと移る準備を進めた。

 以前よりもことがスムーズに運んでいるように思うのは、錯覚なのか、それともよく眠れるようになったからなのか、あるいは日にちというものを思い出したからなのか。結局はわからずじまいだ。

 数週間という時間はあっという間に過ぎて、それまでに出立の準備を完全に整えて。

 とうとう、その日が来た。


「あー、あー、聞こえますか?」

 いつも通りの時間に、彼女は応じた。

「ああ、聞こえるとも」

「よかった。それで、今日は」

「聞いてほしい」

 俺の急な言葉に、彼女はいつも通りに応じてくれる。

「何ですか?」

 少し、ためらってから、やはり堂々と俺は告げた。

「俺は今日、ここを出ることにした」

 発電所はもうすぐ止まる。なら、最後はきちんと終わらせたい。

「そう、ですか。寂しくなりますね」

「そうだな。……俺もだ」

 この交信も今日で終わり。

「君には本当に世話になった。礼を、言わなくてはいけない」

「ふふ、それを言うならば私もですよ。あなたのおかげで私も助かっていたんです。本当ですよ?」

「そうか」

 前にも、彼女はそう言っていた。ならば、それは事実なのかもしれない。

 最後に、すべき話をしよう。

「……俺にとって、生存は義務のようなものだった」

「義務、ですか?」

 俺が話し、彼女が応じる。

 いつものやり取りだ。

「そうだ。人類最後の生き残りとして、生まれたからには生きなければと、ただそれだけの想いでここまで生きてきた」

 そうでなければ、死んでいった者たちに合わせる顔がなかったからだ。

「生き残ってしまったのならば、生きなければならない。そんな義務感から生きるだけだった俺だが、この数か月は、そのなんというか、楽しかった」

 正直に言葉に出すには、なんだか恥ずかしいし、バツが悪い。

 彼女が笑わないであろうことは、すでに知っていたけれど。

「君のおかげだ。久しぶりに、人と話せてよかった。血の通った人間と会話ができて、本当に」

「……ええ、それは、私も」

「なぜ、今になってそんな悲しそうな声を出す」

「……お別れですから、仕方ないんです」

「そうだな。そういうものかも知れん」

 今まで別れなど幾度となく過ごしてきた。もう心を動かされることはないとも思っていたが、だめだな。状況が変われば、人も変わっていくものらしい。

「じゃあ、あなたは」

 彼女が、少しためらいがちに聞く。

「これからも、ちゃんと生きていけますか?」

 それに対して、俺はこう答えた。

「ああ、生きていくよ。ここから先も、ちゃんと」

 声が遠くなり始める。

 今日は、いつもより、少し短めだ。

「もう、行くよ。本当にありがとう」

「それは、よかった、です。あなたの、旅路に、幸、あらん、ことを」

 お互いに、それだけ告げて、あとはしめくくりだ。

「さよう、なら。交信、終わりま……」

 それきり、言葉は聞こえなくなる。

 後に残るのは音の砂嵐ばかり。

「嘘つきめ」

 それだけ言って、俺はそっとマイクをもとの位置に戻す。

 もうこれは、俺には必要ない。

「さて」

 俺は階上に戻り、長らく滞在していた拠点を後にする。

 これほど居心地のいい場所には、もう巡り合えないだろうが、後悔はない。

「生きなければ」

 それが義務だからではない。

 約束だからだ。

 言葉にはしなかったが、小さな約束。

 もう出会うことのない、交わることのない二人の約束。

 数万キロと、大きな隔絶を抱えた二人の。

「さようなら」

 曰く、そこに星はあるか。

 あるともさ。

 俺と彼女は、そこにいた。

 空を見上げれば星がある。

 見ることは叶わないけれど。

 それでも、確かに星はある。

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