第2話 そこに星はあるか 2


「曰く、そこに星はあるか。その証明こそが自身に課せられた命題だと、博士は語っていました」

 俺は通信機に背中を預けたまま、床に座り込んで彼女を話を聞いた。

「観測上では、私たちの星の隣にあなた方の星があることは明白だったんです。その星に、人類がいることも、文明があることも。けれど、それを証明する手段だけが欠けていた」

「……この通信ではダメなのか?」

 俺の言葉に、彼女は少し悲しそうに答える。

「交信というものは、双方で通じ合って初めて意味をなすものです。そうでなければ机上の空論に過ぎません。そして、博士の呼びかけに応える声はありませんでした」

 最後まで。それはもしかしたら、聞き逃してしまうかも知れないほど小さな声だった。

「最後までって、それじゃあ」

「はい。博士はもうこの世にはいません。先に、逝ってしまわれました。私に、この装置一つを残して」

「では、君は助手かなにかだったのか?」

「いいえ、違います。私はただの……。お手伝いさんです。家事や、身の回りのお世話をするための」

「つまり」

 俺は多少投げやりな気分で言った。

「君では細かい理屈は分からないと?」

「ええ。それこそ、二つの星を繋ぐ真理は、博士の頭の中にしか存在しませんでしたから」

「まいったな」

 最後の希望すら断たれて、俺は自嘲気味に笑った。

 それくらいしかできなかった。

「俺がそっちの星に行く方法を、考えて欲しかったんだが」

「あの、それは無理だと思いますよ?この電波が通っている隙間は、本当にごく小さなものなんですから」

 それはきっと、それこそ原子とかミクロとかの世界の話になってくるのだろう。どっちにしたって絶望的だ。

「それよりも、何故あなたはこっちの星に来たがるのですか?なにか理由でも?」

「ああ、少しな。こちらも中々に切羽詰まっている」

 ぶっきらぼうに、適当な言葉で俺は言う。

「君は先ほど、こちらの世界に文明があると言ったな」

「はい。時々、アンテナに反応がありましたから。それが、なにか」

「それは間違いだ。いや、間違いになった。いいかよく聞いてくれ」

 自分でこれを言うのは憚られたが、それでも言わなければ進めないと思い、口に出す。

「こっちの文明は、すでに滅んでいる。俺が、人類最後の生き残りだ」

「そんな、まさか」

「事実だ」

 噛みしめるように、俺は吐き出した。

「事実、なんだ」

「ああ、なんて事でしょう」

 やはり緊張感のない声で彼女は言った。それが彼女の性分なのだろう。怒る気にもなれなかった。

「そのどういった言葉をかけたらいいか」

「いいさ、言葉なんかでは何も変わらない。それほど、軽い事実ではない」

 どう言い繕ったって、慰められたって、なにも変わりはしない。

「原因は?」

「さてな、いろんなことが重なったとしか。戦争もしたし病気も流行った。食糧難もエネルギー不足もだ」

 世界の末期に想いを馳せる。誰もが生きようと必死だった。必死で……。

「だが、何より人の心が荒んだ」

 いい奴から死んでいく。俺が最後になったのは、単なる偶然に過ぎない。

「そういう訳だ。俺には異文化交流をしている余裕はないし、俺の世界の文化を、あんたたちの星に伝える気もない。残念ながら、俺は有意義な話し相手にはなれそうもない」

「そんなことはありませんよ」

 彼女はゆっくりと、俺に問いかけるように言葉を続ける。

「私には人間というものを知りたいという欲求があります。それはもう、たくさん。あなたのことを知りたいし、博士が望んでやまなかったあなたの星の話も聞きたい。だから私は、あなたと話がしたい」

「おい、聞いていたのか」

 俺は多少のイラつきを感じ始めていた。

「俺にはそんな余裕はない。今日を生きるための食料だって探さなければならないし、ここに通っている電力だって、無駄に使う気はない」

 総じて、俺にはメリットがない。

 そんな俺に対して、彼女は一言、それは困りました、と呟いたあと、名案を思い付いたとばかりに手を鳴らした。

「そうだ。ではこうしましょう。私が、あなたの心のケアをします」

「は?なんだと?」

 俺は思わず聞き返す。

「私はカウンセラーでもあるんです。正確には、元、ですけど」

「それがどうした。俺は別に……」

「人の心が荒んだのだといいましたね」

 思い返す。

「……確かにそう言ったが」

「では、私が相談に乗りましょう。あなたの心も荒んでいるでしょうから」

 俺は頭を抱える。感傷にあかせて、余計な事を言ってしまったかもしれない。

「言葉は無意味だとも、言いましたね」

「言った、ああ言ったさ」

「そんなことはありません。言葉で、救われることもあるんです」

 馬鹿馬鹿しい。俺はそう思って語気を荒げる。

「いいか、さっきもいったが、もう事実は何も変わらない。そんなに軽い事じゃない。言葉など、相談など無意味だ」

「そう言わないでください。やってみなければ分からないこともありますよ」

「俺はそうは思わない」

 俺は八つ当たりのようなものだと思いながらも、言わずにはいられなかった。

「いいか。あんたは俺を助けられない。触れ合えないのだから当然だ。そんな奴の薄っぺらい言葉など、は、慰めになどなるものか」

「だ、と……して、も、です…ね」

「おい、どうした。急に、声が」

「ぁー」

 彼女の声が、不意に遠くなる。

 鮮明さが消え去り、代わりにノイズのようなざらざらした音が増えた。

「どう、やら、今日は、ここまで、の、ようですね」

「おい!どういう!」

「カウンセリングに、応じる気が、あるのなら、また、明日も、同じ、時間に」

 音がずれて乖離していく。俺はつまみを回して調整をしようか悩むが、結局手が出なかった。

「おい!おい!」

「では、交信、終わります」

 ぷつり、と音がして、それきり声は聞こえなくなった。

 後には、静寂が残るのみである。

「なんだっていうんだ」

 俺は沈黙を続ける電波装置を眺めながら一人ごちる。

 それはまるで、夢か幻であるかのようなひと時だった。

「明日また、同じ時間に」

 あれが真実だったかどうかは、その時なれば分かる。もう二度と繋がらないかもしれないし、あるいはすぐにでも声をかければ彼女は応じるのかもしれない。

 だが、俺は電波装置の電源を落とした。

「ふん」

 何が相談だ、心のケアだ、馬鹿馬鹿しい。

 もう二度とこの装置に触れることはないだろう。

「そうだ。俺には必要ない」

 俺はさっさと後始末をつけて階上へと戻る。ここの電気がどこから通っているのか調べる必要があるのだ。

「忘れよう」

 今あったこと、全て。

 それで、片が付く。

 

 だが、奇妙なことに、俺は次の日の同じ時間に、またしてもその電波装置のもとへと赴いていた。

「…………」

 無言のまま、通信機の電源を入れてじっと待ち続ける。そうすると、昨日と同じように、また声が聞こえてきたのだ。

「ぁー、ぁー、聞こえますか?聞こえたら、返事をしてください」

 俺はその声に応えることはせずに、じっと通信機を眺め続ける。

 俺は、何をやっているのだろうか?

「聞こえますか?聞こえたら返事を下さい」

 それから彼女は、独りで声を出し続けた。応える声などないというのに、ずっと同じトーンで発信を続けて、俺の返事を待っている。

 俺が来ると本気で信じているのだろうか?

 一度つながったことのほうが偶然だとは考えないのか?

 答えは出ない。観察を十分程度続けた後、俺はおもむろにマイク向けて声を発した。

「……聞こえている」

「あ、繋がったんですね」

 彼女は、先ほどまでの自分の発信などなかったことのように言葉を続ける。

「昨日の人で、いいんですよね」

「ああ。もう、俺しかいないからな」

 実に奇妙なことだと思いつつも、俺は彼女との会話を続けることにした。

「よかった。じゃあ、カウンセリングを受ける気になったんですね」

「そういう訳じゃない。昨日は話が途中で終わってしまったからな、やむなくだ」

「そうですか。なら、昨日のお話の続きをしましょう」

 にこやかな雰囲気は昨日と変わりがない。なんだか俺ばかりが損をしているような気分になる。

「そもそも、なぜ昨日は急に交信が途切れたんだ」

 俺の疑問に、彼女はゆっくりと答えた。

「それがですね。私たちの世界のつながりは、ごく不安定なものなんですよ。この電波が通り抜けられるような穴ですら、一日中は開いていないようなんです」

「そうなのか」

「ええ。博士の仮説によれば、長い時でも一日に二時間。短ければ十分も保てないようです」

「なんだ」

 たった、それだけなのか。

「ですから、時間は有意義に使わなければなりません。さぁ」

 なにからお話しましょうか?


 それから、俺にはおかしな習慣ができた。

「元、と言ったが、君は今はカウンセラーではないのか?」

「ええ、それが資格、剥奪されちゃいまして」

 毎日、午後になると、俺は何となく地下の部屋に向かう。

 今はまだ食料にも余裕があるし、一日に長くても二時間程度のことだ。次の拠点に向かうまでの間くらいなら、問題ないだろう。

「けど、平気ですよ。お薬を処方するわけじゃありませんから」

 カウンセリングなど受けたことがないのでわからないが、これがそうかと言われれば、きっと違うであろうことは俺にも分かった。

「ほかの奴とは話ができないのか?」

「はい。現在、この装置の扱い方を知っているのは私だけですし、ほかの方に触らせる気は全くありません」

 彼女は意外と頑なで、彼女以外の者との通信は、決して認めなかった。

 だが、まぁそれでもいい。どうせ暇つぶしのようなものなのだ。

「それで、今日はどんな話をしましょうか?」

「そうだな」

 人間は慣れる生き物だということは知っているつもりだったが、それでも、この異常な事態にもすぐに適応できるとは思っていなかった。

「これは俺がまだ新兵だった頃の出来事なんだが」

 彼女は何が面白いのか、俺の話を熱心に聞いたし、俺は俺で自分のことを適当に話した。

 話は終始、昔の出来事で、世界の末期の時のことは決して話さなかった。

「なるほど、それはきっと」

 俺が話し、彼女が随所で自分の意見をいう。それが主だった会話の流れで、何となく癪だが、俺はそんな関係がなんだか心地よかった。不思議だ。

 彼女は初日以降に、同情的な言葉は口にしなかったし、世界の終わりについても聞いては来なかった。ただ、俺のする話を聞くだけだ。

「興味はないのか?」

 ある時、俺はどうしても知りたくなってそう聞いた。

「何がですか?」

「世界がいかにして終わったかについてだ。君は俺の話をよく聞くが、自分からは質問などはしない」

「そうですね」

 彼女は、少し思案するように間を開けてから、いつもと変わらない調子で言った。

「興味はあります。ですが、私はあなたの全てに興味があります。だから、あなたがしたい話を聞ければ、それで満足なんですよ」

「しかし、それでは」

「第一」

 彼女が、ふっと優しく笑ったのが声だけでも伝わってきた。

「これはカウンセリングなんですよ?あなたがしたくない話なんて、聞く必要はありません」

「…………」

 俺は、何も言えなくなった。これのどこがカウンセリングだ、などと、口が裂けても言えそうにない。

「あ、もう、すぐ、時間ですね」

「そう、か。今日は少し長かったな」

「ええ。安定、するのは、いい、ことです。それでは」

 彼女は、やっぱり少し笑っただろう。

「では交信を、終わります」

 締めくくりは、いつもその言葉だった。


「ここ、か」

 ある日、とうとう俺はあの地下施設に繋がる電力の供給元を突き止めた。

「ふむ」

 あの軍事施設の中にあるものだと思っていたが、意外にもというべきか、発電施設は施設の外に、個別で隠されていた。だからこそ、発見が遅れたのだ。

 俺はいつもの通りの足取りでもって施設内を歩き回る。こちらも、状態は悪くない。そうでなければ電力が生きているはずがないので当然だが。

「よし」

 一通り確認が終わり、俺は安堵する。これならば、壊れて使えなくなるのも当分先のことだろう。それだけ確認できれば十分だ。

 後は。

「やはり、確認しないわけにはいかないか」

 俺が最後に向かったのは、この発電施設の心臓部。燃料倉庫だった。

 この世に、永久機関などという都合のいいものは無い。あれば人類はきっと滅亡などしなかった。ならば、この施設にだって、それの限りはあるのだ。

 いつまで電力が供給され続けるのか、俺は確かめずにはいられなかった。

 だからこそ、覚悟はしていたつもりだった。そこに足を踏み入れて、その光景を見るまでは、ちゃんと考えていたつもりだった。

「そうだよな」

 もう何度目になるか分からない。

 世界がこんな風になってから。

「当たり前だ」

 どれだけ、裏切られたことか。

 目の前には、がらんとした、埃っぽいだけの床が広がっていた。

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