そこに星はあるか
エル
第1話 そこに星はあるか 1
その二つの星々は、隣り合っているが、決して触れ合うことはない。
そう、決して。
荒廃した大地を踏みしめて、俺は進んで行く。
水も食料も残り少なく、後は気力の勝負と言ったところだった。心を殺すようにして、荒野となった世界を歩き続ける。
不安から地図を広げるようなことは辞めた。どうせ地形が変化しすぎていて参考にならないし、コンパスの確認を怠らなければ大抵は目的地に着けるからだ。
それに、駄目でも構わない。
と、俺は思っている。
……俺の生存は、半ば義務めいている。懸命にやった結果、それで終わるのなら問題は無い。
と、そう思っていると夜の帳の向こう側に、巨大な建物が姿を現した。
「…………」
そいつを見上げて、俺は小さくため息を漏らした。どうやら、ここが目的の場所らしい。
また、生き残ってしまったのか、俺は。
鍵を銃で壊して、扉を蹴倒すように開けてそこに足を踏み入れる。もとは軍事施設だったようで、今でも原形がしっかりと残っていた。こういう場所は、今や貴重だ。
懐中電灯で辺りを照らして、扉に掲げられているプレートを一つ一つ確認していく。兵士の宿舎、食堂、訓練室、教練室、資料室。地下に降りる階段……こっちではない。
俺は踵を返して、さらに探索を進める。工廠に繋がる通路、守衛室、ごみ置き場、それと、上りの階段。
「ふぅ」
俺はその階段を一段一段丁寧に昇っていく。そこから先は、少しばかり重用そうな部屋が並んでいた。電算室、作戦会議室、士官用のサロン。無論、どれも荒れていたが、比較的損傷は軽微だ。
「…………」
その中で、一際目立つ扉を見つけ、俺はその部屋に足を踏み入れた。
予想通り、そこは高級な調度品や勲章で飾られた誰かの執務室で、恐らくはこの場所で一番偉い奴が使っていたであろう場所だった。
俺はさっさと戸棚や机の中を引っ掻き回して、そのたびに舌打ちをする。成果、無しだ。
最後に、面倒だからと放置していた金庫に手をかける。大抵の場合、上質な酒や食料はお偉いさんが抱え込んでいると相場が決まっているのだ。だから金庫を漁ればそれらが出てくることも多々あったが。
「外れか」
かなり乱暴な方法で開けた扉の向こうには、いくつもの貴金属が仕舞い込まれていた。こんなものを最後まで後生大事にとっておくなんて、ここの主はよほどセンスのない奴だったのだろう。
金庫の中を全て検めるが、ワイン一本出てくることは無かった。一応はこの施設で使えるであろうIDカードだけは拝借しておくが、もはや意味があるかどうか。
「アホらしい」
さて、それはここの元の主に言ったのか、それとも自分に言ったのか。
どうでもいいことだ。
俺は中身を元に戻すこともせず、金庫を足蹴にする。小さな腹いせだ。
……これ以上、ここに居ても無意味か。
「?」
そう考えていた所で金庫の天井に何かが張り付けられていることに気が付いた。
俺は大した期待もせずにそれを手に取って。
「……本当にセンスを疑う」
今度こそ、本気でため息をつくことになる。
そこに描かれていたのは、この基地に秘密裏に存在する地下の実験室の見取り図で。
その場所で研究されている最新兵器に関しての資料だった。
階下に降りながら、俺はつらつらと考える。
何故、自分のような人間が、人類最後の一人になってしまったのだろうかと。
その最期の一人になってしまった者の感想は、たったひとつだけだ。
「幸運なものか」
錆びついた階段を一段一段慎重に踏み降りながら思う。
そう、幸運なものか。
この荒涼たる大地を最後まで歩くことを義務付けられたことの、なんと不幸なことか。
だが、生きなければならない。生まれたからには生きなくてはいけない。生き残ったからには生きるべきだ。理由は何でもいい。ただ生きなければならない。
なんのために?
「意味などない」
これも、いくらでも繰り返してきた自問自答だ。
どれだけ繰り返そうと、答えは同じにしかならない。
「意味など、ない」
乱暴な仕草で食堂、兵舎、配給倉庫と食料のありそうな場所を順々に回っていく。その中で、一応いくつかの食えそうなものは手に入った。
どれも見飽きていたり、味の悪そうな品々ばかりだったが、仕方がない。まともなものが残っていただけましだ。
これらを補給できなければ、息をつく暇もなく次の目的地に向かわなければならない所だった。また、その先でも補給が出来なければ……。干からびるだけか。
比較的損傷の少ない部屋に食料を集め、そこを仮の拠点として寝具を広げ、横になる。
今日は、疲れた。移動にも探索にも労力を割いたし、緊張の糸が途切れたのもある。なにより、数日ぶりのまともな寝床だ。
俺はするりと微睡に身を任せて、明日の予定を軽くそらんじつつ、ゆっくりと意識を手放した。
「人類は、このまま滅んでしまうだろうか?」
気が付けばそこは酒場。雑多で、粗野な、身に慣れた場所。
ああ、なんて懐かしい。もう戻れない場所で、俺たちは未来についての話をしていたんだ。
「まさか、そんなはずがないよ」
仲の良かったそいつは、笑いながらそう言った。
「どこかで誰かが妥協するさ。そうしなければ、理屈に合わない」
そうだ、俺たちはどこか楽観視していただろう。この長引く戦争も、いつか誰かが終わらせてしまうだろうと。だから、俺たちはその日を待つために酒でも飲んで生きるのだと。
「それまでの、この糞ったれな世界に、乾杯」
彼のいた世界が、あの安っぽい酒場が、どれだけ幸せだったことか。
俺の郷愁をよそに、周囲が炎に包まれていく。俺は持ちなれない銃を持って走り回り、混沌なる世界を進んでいく。思うように体が動かせないのは、何かから逃げることも、殺して貰うことも出来ないのは、ここが現実ではないからか。
俺は恐れを抱えて、溶けていく友人を置き去りに、ただただ暗闇の中を進んで行く。不思議と、呼吸だけは苦しくなかった。
(嫌だ)
赤く染まった道を、避けなくなったのはいつからだ?いや、そもそも、何故最初はそれが嫌だった?
(嫌だ!)
どこかで躓いておけばよかったんだ。そうすれば、ここにはたどり着かなかった。
少なくとも、こんな場所には!
(嫌だ!!)
怒り、恐怖、畏怖、そしてその先には。
(……嫌、だ)
虚無だけが、ぱっくりと口を開けて俺を待ち受けていた。
「うぁぁぁぁぁぁ!」
叫んで、飛び起きて、荒く呼吸をしながら両手で顔を覆う。
「はぁ、はぁ」
荒い呼吸を抑え付けて、なんとか壁を背に座り込む。べったりとかいた汗の感触が、俺に現実感を与えてくれる。
「く、そ」
まただ、また、悪夢。
体は疲れ切っているのに、眠ることすら満足にできない。
外はなお暗いまま、月明かりだけが部屋に差し込んでいる。そしてなにより、無音。
俺のする呼吸の音以外、一切の音が感じられないことが、俺を不安に……。
「やめだ」
思考を断ち切って、目を瞑る。もう眠る気にはなれなかったが、それでも休まなければ保てない。
俺は座ったまま、夜が過ぎる去るのをじっと待ち続ける。
いつまでこんな日が続くのかと、ただ怯えながら。
「ふむ」
そこを訪れたのは、単なる気まぐれだった。
俺は例の執務室にあった地下の見取り図を手に、隠し階段を探す。
「このあたり、か」
図を頼りに大方の位置にあたりを付け、その周辺をくまなく捜索する。なにか怪しいものはないか、或いは、小さな違和感等は?
手探りで壁を探っていくと、ある一か所に小さな継ぎ目を見つけることが出来た。
その場所をナイフで裂いていくと、ビンゴ。壁はあくまで偽装で、表面を剥がせば、そこには扉がしていたのだ。
扉に、取っ手のようなものはない。どこかに連動したスイッチでもあるのだろうが、探すのが面倒だし、そもそも電力が生きてはいない。
俺は少し悩んで、その扉を爆薬で吹き飛ばすことにした。それが一番簡単だったからだ。
現地で調達した爆薬を仕掛け、爆破。扉が頑丈で壊れていない可能性も考慮したが、有難いことに扉はちゃんと吹き飛んでくれていた。
その残骸を踏み越えていくと、その先には地下へと階段が続いていて、さらにその先には扉が一つ。
またか、という思いを胸に、俺は階段を降りて行き、その扉の前に立った。
特殊な金属で出来ているらしいそいつは、見るからに爆薬では歯が立ちそうもない。
「さて…………」
扉の横には認証用のカードリーダーが設置されている。俺は駄目で元々と思い、指令室から拝借してきたIDカードをかざすと。
「お」
反応が、あった。ロックが解除され、自動で扉が開く。
……ここだけ、電力が独立して存在している?
まあ、秘密の研究施設なのだから、さもありなん、か。
俺はその新兵器とやらの開発室に足を踏み入れる。その場所は、驚くほど状態が良かった。計器が壊れている様子も無ければ、資料が散乱しているということもない。まるで現役の施設のように、理路整然としている。
地下にあったことと、一般の兵士は存在すら知らなかったことが主な要因だろう。
電源を入れると、照明すら使うことが出来た。この場所だけ電力が生きているのは確定で、何かに利用できるかもという期待も持てる。
俺は棚に並んでいたファイルの内一冊を適当に抜いて、眼を通した。
……どうやら、ここで研究していたのはなにやら全く新しい特性を持つ電波装置のようだ。
曰く、そいつは他とは一線を画する波形をしていて、他の軍では一切の解析が不可能、という代物らしい。さらに、これを使えば相手の電子兵装の乗っ取りさえ可能になるという。ただし現状ではおかしな交信が発生するため、その原因を解明しないことには実用化には……。
俺はそこまで読んでそのファイルを閉じた。実際の所、概要には興味などなかったからだ。
ファイルをきちんと棚に戻し、俺はその先の区画へと進んで行く。そこには件の電波装置とやらが置いてあり、貞淑に主人の帰りを待っていた。
かなり巨大な装置だ。俺は好奇心からそいつに電源を入れてやる。
ブオン、と、小さな音がして、その装置に命が吹き込まれる。計器と連動したモニターを確認すると、オールグリーン、未だにこいつは問題なく動くようだ。
俺はそれを眺めて、ただ何となく備え付けのマイクを手に取り、あーあー、と声を出した。
「ハロー、ハロー。こちら、あー、なんでもいいか。とにかく、生存者、誰かいないか」
当然、反応はない。
当たり前だ。人類は、滅びてしまったんだから。
「……アホ臭い」
俺はマイクを元の位置に戻して、肩をすくめる。
「こんな怪しいモノに手を出すなんて、俺も末期だな」
すわり心地の悪くない作業用のチェアーに背中を預けながら思う。
(だが、この場所そのものは悪くない。ここからはここを拠点に……)
その時だった。ジ、ジジ、と俺の耳が何かを捕えたのは。
音に敏感になっていた俺はびっくりして飛び上がり、その拍子に椅子ごと背後に倒れ込んでしまう。
今、なにが。
「ぁー、ぁー」
遠く、それはひどく遠くの方から響いた、声のようだった。
声の、ようだった。
「こ…ら、……せい、…………ター、きこえ、……すか?」
か細く、途切れ途切れで、意味も伝わらない、けれど確かに、意志ある声。
「おい!誰かいるのか!そこに、いるのか!」
俺は通信機にかじりつくように、再びマイクに向かって叫んだ。
「俺以外に!生存者がいるのか!」
言葉をまくしたてたいのを必死で抑えて、俺は返事を待った。数秒か、数十秒か、あるいは数瞬なのか。俺は永遠にも感じられるような時間を。
だが、一向に反応は、ない。
まさか、そんな。
「頼むよ……!」
勘違いだというのか。それか、俺の心が聴かせた幻聴だとでも?
……もう、それでもいい。
「幻聴だっていいから、声を、また」
「あの……待って、く……い。い、ま、チュー、ニング、を」
俺は顔を上げる。それは、確かに聞こえた。
機械を通した声特有の、ザラついた手触りをした、けれど涼やかな、女の声。
「はい、これで、聞こえますか?」
「……ああ、聞こえる!聞こえるぞ!」
俺は歓喜の声を上げた。もうとっくに諦めていた、人間との会話だ。
「お前は、いや、あなたは誰だ?どこにいる?一人か?それとも……」
「あの、そんなに一気に喋らないで下さい。その、混乱してしまいます」
「そうか、すまない」
俺は興奮を必死で押し殺して、呼吸を整える。
まだ、誰か生きていてくれたのか。
それに、だ。相手の声音から、俺は一つの推論を立てていた。
「君は」
「はい」
「一人じゃないんだな」
「……はい。私は一人ではありません」
そうだ。彼女が俺と同じ境遇ならば、こんなに冷静でいられるはずがない。まだ、どこかに生存者のキャンプがあるのだ。彼女はきっとそこの一員なのだ。
「では、俺もそちらに合流しようと思う。場所はどこだ?もちろん、前の世界図での話だが……」
「あの、それは無理だと思います」
「……なに?」
俺は困惑する。無理、だと?
「なんだ、余程遠いのか?絶海の孤島か何処かなのか?なに、それでも問題はない。時間ならある。星の裏側でも行ってみせるぞ。なんなら、生涯を掛けたって……」
「そうではなくて、ですね」
彼女は、歯切れ悪く言う。
「あの、なんといいますか、それはとても説明しにくいのですが」
「はっきりと物を言ってくれ。こちらは真剣なんだ」
「ええと、はい、実は」
俺の苛立ちを感じ取ったのか、彼女はわたわたと説明を始めた。
「宙、なんですよ」
「そら?まさか、宇宙、なのか。この星の外に人口のコロニーでもあると……」
絶望的な気分になる。星の裏側どころの話ではない。ロケットなど、個人で作るのは不可能だ。
ましてや、自在に目的地に飛べる宇宙船など、文明が生きていたとしても。
だが、それもまた違うと、彼女は言った。
「えっと、宇宙、というのはそうなんですが、私たちがいるのは宇宙船でもコロニーでもありません」
「宇宙船でも、コロニーでも、ない?」
それこそ馬鹿な話だ。人類が居住できる惑星など、この星系には存在しない。あったとしても、技術的に到達しようもない。
「いいですか、よく、聞いてください」
彼女は、混乱する俺をよそに説明する口調で言った。
「私たちの住む星は、あなたたちの住む星から僅か数万キロの距離にある、小さな惑星です」
その話を聞いて、束の間俺は呆けて、そのすぐ後には怒りに支配され、怒鳴り声を上げていた。
「そんなはずがあるか!」
数万キロの距離に、星だって?そんな話は聞いたこともない。第一、そんな近くに惑星があったら肉眼で見える、どころの話じゃない。お互いの重力が干渉し合い、衝突を起こしてしまうだろう。
だが、彼女は大真面目に続けるのだった。
「……信じられない気持ちは分かります。ですが、これは事実なのです」
「だから!そんなはず……」
「いいですか」
ぴしゃりと、俺の言葉を遮る。
「私たちの星々は隣り合ってはいても、お互いに干渉することはできません。位相が、違うからだそうです」
「…………」
俺は絶句する。
意味が分からない。
位相?俺がおかしくなったのか?それとも、この通信機で繋がっている女の頭が狂っているのか?
「位相が違えば、触れ合うことも、見ることも、こうして話すことも、本来は敵いません」
「では、なんだ」
俺は頭を押さえながら、その女の言い分を聞く。
「何故、こうして話が出来ている。お前の言う理屈では、俺たちはお互いがお互いを認識できないはずだろう。違うか?」
「ええ、その通りです」
何を満足したのか、こちらの無理解を尻目に、彼女は嬉しそうな声を上げる。
「ですが、何事にも例外はあります。私たちを繋げているこの特殊な電波が、その一つ」
俺は振り返って、棚に収まったファイル群を見る。
「このピカエリと呼ばれる特殊な電波だけが、二つの世界を超えて繋がることが出来るのです」
これはまったく新しい特殊な波形を持つ電波であるということ。
正体不明のおかしな交信が発生するということ。
まさか、本当に……?
「ご理解いただけましたか。……あの、聞いてます?」
俺はそのあまりの事実に絶句するしかなかった。
それしか、この理不尽さを呑み込む術を知らなかったのだ。
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