9-1.共通点①

 楊家を後にした由羅は、もう一件現場を見に行くことになっていた。

 第三の被害者であるきょう 瑤琴ようきんの屋敷だ。


 だが、宰相である凌空をさすがに丸一日拘束するわけにはいかない。

 そこで姜家の屋敷には泰然が同行してくれることになっている。


「泰然とはここで待ち合わせです。間もなく来ると思いますが……」

「あの、良ければ私一人で待ってます。凌空様はお忙しいでしょうし」

「申し訳ありません。そうしていただけると助かります」


 街歩きなど由羅にとっては当たり前の事だ。

 これが高貴な女性ならば身の危険もあるだろうが、由羅は平民だし、街は慣れ親しんだ場所だ。

 一人で泰然を待つことなど、何の問題もない。


「時間的に泰然もすぐに来ると思います。ではお言葉に甘えて先に皇城に帰らせていただきますね」

「はい、お気をつけて」


 由羅は凌空の後ろ姿を見送り、その姿が見えなくなると、はぁと息をついた。

 侍女として貴族の屋敷に行くのは、潜入捜査で度々やっていた事とはいえ、やはり気を張ってしまう。

 それに細かな点まで漏らすことなく情報を得なくてはと思っていただけに、知らず疲労してしまったのだろう。


 だが、まだ気は抜けない。

 次の姜家での情報も重要だ。先ほどの翠蓮の情報と比較すれば共通点が見えてきて、犯人への手がかりになるからだ。


(頑張ろう!)


 由羅は一度緩んだ体に再び力を入れ、シャキンと背筋を伸ばした。

 そんな由羅の元に、香ばしい香りが漂ってきた。


(こ、これは……葱油餅ネギ入りおやき!)


 香りの元を辿ると、ちょうど向かい側の屋台で売られているのが往来する人々の隙間から見えた。


 熱々の鉄板に流し込まれるタネ。

 ジュウジュウという音。

 そして小麦粉の焼けるいい香り。


 全てが由羅の食欲を刺激する。

 それを意識すると、途端に空腹を覚え、由羅は思わず自分の腹に手を当てた。


(食べたい……でも、これから姜家に行くし……)


 だが腹が減ってはなんとやら。このまま空腹を抱えたまま聞き込みをしても集中できるかどうか。

 そう葛藤していると、突然肩をポンと叩かれ、由羅は反射的に体を震わせた。


「ひゃ!」


 驚いて振り返ると、長身の男が笑いながら立っていた。

 キメの細かい美しい肌に、金糸のように輝くサラサラの髪を緩く括って肩に流し、透き通った水色の宝石のような瞳で由羅を見つめている。


「し、紫釉様!? な、なんでこんなところにいらっしゃるんですか!?」


 初めて出会った時の軽装に身を包んではいるが、まぎれもなく紫釉であった。


「由羅と一緒にいたかったから来ちゃった」

「来ちゃった、じゃないですよ! 凌空様はご存じなんですか?」


 凌空は紫釉が来るとは言っていなかった。もしかして凌空には内緒で皇城を抜け出してきたのではないか。

 そんな恐ろしい不安が頭をよぎる。


 紫釉は由羅の問いに答えず、ただ悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「ほら、早く行かないと姜殿が待っているよ」

「あ、待ってください!」


 そう言って紫釉は由羅が止める間もなく先に歩き始めてしまったので、由羅は慌ててその後を追った。


 ※


 姜家に到着し、案内された瑤琴の部屋はほぼ整理されてしまっていた。


 家具がいくつか残っているだけで、遺品が部屋の隅にひとまとめにされていた。

 一見すると物置か空き部屋のようで、姜家の姫が使っていた部屋の名残は無かった。


「旦那様が姫様を思い出すからと、ほとんどのものを処分してしまわれて……」


 案内してくれた瑤琴の乳母が申し訳なさそうに言った。

 翠蓮の父は、翠蓮が生きていた時のまま遺品は動かさず、掃除をして、まるで時が止まったかのような部屋にしていた。


 対して、瑤琴の家族は、一刻も早く彼女を忘れようとしているかのようだった。


 どちらの行動が正しいのか、由羅には決められない。

 ただ、両者とも娘の死を深く悼んでいることだけは間違いなかった。


 瑤琴の部屋は朱塗りの柱に、窓枠は雷紋らいもんをかたどった意匠が施された華やかな内装だった。

 しかし、奥の部屋には板がむき出しになった寝台がポツンと置かれているだけで、それが由羅には寂しく感じられた。


「さて、どうする? 何から調べるんだい?」

「最初に確認したい物があるんです」


 紫釉の問いに答えると、由羅は部屋を一巡しながら残されている遺品に目を向けた。


(あったわ)


 香炉を見つけた由羅はそれを手に取り、中を確認した。

 白磁の香炉の中には、燃え残った香の欠片がわずかに残っていた。

 それを確認した由羅は、乳母に尋ねた。


「瑤琴様がお亡くなりになった時、香は焚かれていましたか?」

「はい、朝お目覚めになってから焚きました」

「その時、体調に異変のある方はいましたか?」


 乳母は当時の事を思い出すように逡巡したが、緩く首を振って答えた。


「いいえ、いなかったと思います」


 乳母の言葉を聞いた由羅は、香に鼻を近づけて香りを嗅ぐと、翠蓮の香りとは異なっていた。

 翠蓮の香は白檀びゃくだん茉莉花ジャスミン野苺ラズベリーを組み合わせたものであったが、瑤琴のものは梅の香りだった。


 翠蓮の時と同様に、香りからは混ぜ物の香りはしない。

 香りを嗅いでも由羅の体に痺れなどの異変もないし、乳母の証言からも香に毒物が含まれてはいないだろう。


「瑤琴様はこの部屋で亡くなったんですよね?」

「はい、朝にこの寝台で目を覚まされ、すぐ倒れてそのままお亡くなりに……」

「寝台で亡くなったんですか?」


 状況が分からず由羅が首を傾げると、乳母はその疑問を察したようで「ああ」と小さく頷きながら説明を始めた。


「姫様は非常に朝が弱くて、いつも寝台に座ったまま身支度を整えられるのです」

「起きてすぐ亡くなったということは、化粧はまだしていなかったのですね?」

「はい。お顔を洗われて、化粧をする前に亡くなられました」


 化粧前に亡くなったということは翠蓮の状況と合わせても化粧品に毒が仕込まれていた可能性は完全に否定された。

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