第7話 約束と嘘


その翌日、僕は彼女の家を訪ねた。昨日の今日で、顔を合わせてくれるかもわからなかったが、実際のところは、彼女は何も言わず、僕を家に上げてくれた。


一人暮らしのアパート住まい。元々狭い部屋だが、彼女の机に積まれた参考書や、本棚にぎっしり詰まった問題集が、さらに僕の居心地を悪くさせた。机の上には、何冊か参考書が開かれていたりもする。邪魔してしまったのなら悪いな、とも思ったが、彼女は何も話さず、ただじっと、床の一点を見つめているだけだった。


「……昨日は、…」


「やっぱり、言わなきゃよかった。」


僕が覚悟を決めて話そうとした時、その一言が、彼女の口からこぼれ落ちた。


「君だったらって、思ったんだけど……。」


その声色には、失望、いや、絶望に近い感情がのせられていた。


「本当に、昨日はごめ…」


「約束は破られたけど…、直接、謝りに会いに来た、っていうのは、本当は、ちゃんとした彼氏だってことだから…、みんななら、許せちゃうんだろう、けど…。」


みんななら…?それって、どういう…?


「君なら、君だったら、大丈夫だって、信じてたのに…。」


彼女はそれを、独り言のようにこぼした。


「でも…くだらないんだもんね、もう、君にとっては…。」


「く、くだらないって、どういうこと?僕…そんなこと…」


そんなこと言った覚えはない。そう言おうとしたが、僕にとってくだらないこと、それに思い当たるものを思い出してしまった。


「え…?じゃあ、君も……」


「私にとっても…!『信じる』ってことは、辛いことだったの…!人間不信だっていう君なら…私の気持ち、わかるでしょ?たった少しの『裏切り』が、ほんの些細な『嘘』が、怖いの…!」


叫ぶように話す彼女の瞳が潤い、頬に向かって雫を流していた。閉じたカーテンの隙間から見える空には暗雲が立ちこみ、今にも雷雨になりそうだ。


「本当は、人は人間不信にはなれないの!人を信じれなかったら、生きていけないの!」


彼女はあの夜の言葉を繰り返して言った。そして、「その…はずなの……!」と、小さな声で付け足した。


「だから、私は君を信じたかった…!信じることに難がある君なら、仲良くできると、恋愛できると、思ったの…!」


「っ!それって…あの最初の告白は、嘘だったってこと…?」


嘘をつかれたら怖いと、僕も思う。ただ、人を信じられない僕らは、その気持ちに反して、嘘をつかないとうまく他人に馴染めない。でも…僕を人間不信だとわかってて…嘘を言っていたということか…?


「う、嘘って言うほどじゃない……。元から気になってたのは本当だし、あの時から君を少し好きになったから…。でも…うん、告白した時は別に好きとまでは思ってなかった。ただ、私でも、君だったら、好きになれるんじゃないかな、って。」


「……僕はそもそも恋愛なんてする気はなかったし、君と付き合う気もなかった。…でも、僕だって、今は、君のことが好きだ。」


君に、その言葉が響いてほしかった。その言葉だけでも、信じて欲しかった。でも、彼女は暗い顔をして、僕に言った。


「うん…ありがとう。でも、もう人を好きになれるようになったのならきっと、君はもっと、良い彼女が作れるよ。」


「…え?何言って…」


君が教えてくれたんじゃないか。世の中の信頼ってやつを。君がいなきゃ、今の僕はあり得なかったというのに…。


「もう、雨降りそうだから帰ったら…?それに、受験生だし、勉強したいんじゃない?ね?ほら……。」


まだ話したいことはたくさんあった。だが、無理やり話を切られてしまった。そう言われてしまっては、僕はもう帰るしかない。後ろ髪を引かれたが、仕方なく荷物を持って、席を立った。


「いきなり、お邪魔しちゃってごめんね…。…次会えるのは9月の学校かな…?」


「うん…、そう、だね。…バイバイ。」


本当にこのまま帰ってしまっても良いのか。そんな考えが頭をよぎった。少し、嫌な予感がする。そう思って、再び彼女の顔を見た。


「__________。」


「………!?」


彼女は僕に向かって何か呟いたように見えた。


「待っ!」


だが彼女はそのまま家の中へ消えてしまった。…戻ったほうが良いだろうか。いや、これ以上彼女の勉強を妨げてしまうのは、良くない。それに、今にも大粒の雨が降ってきそうな黒い雲が空一面に広がっている。あまり遅くなると僕が家に帰れなくなる。日を改めた方が良さそうだ。僕はそのまま、自宅へ歩き出してしまった。




___僕はもう彼女に会うことがなくなった。

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