第2話 仲間と傷
人に裏切られたことがある。
もともと僕はかなりのお人好しで、少し騙されたくらいでは、怒ることがなかった。少し笑って、一言、「いいよ」とだけ言う。相手も悪びれる様子もなく、軽く謝って、そしてまたいつも通りの日常に戻る。心底ムカついた時もあったが、それは心に押し留めて、全部微笑って許した。
…………否、本当は、怒ることができなかっただけなのかもしれない。ただ、臆病な性格なだけだったのかもしれない。
小学6年生の頃だった。僕は、学校のサッカー部で副部長を務めていた。そして、僕は部のエースでもあった。それは僕の誇りであった。でも、傲慢にはならず、謙虚に努力してもいた。
部員は、サッカーが上手い人だけがいたわけではない。サッカーが下手な人たちだっていた。でも彼らは、サッカーをしたいから部活に入っているんだ。だから、僕も、部長である親友も、みんなが公平に、楽しくプレーできるような環境づくりを心がけていた。
しかし、その志も、すぐに打ち破られてしまった。アイツは、9月ごろに転校してきて、サッカー部へ入部した。僕は最初、サッカーの上手いアイツを歓迎した。それに、初めの頃は、アイツもみんなとうまくやれている、と思っていた。
…だが、いつからだったのかは正確にはわからない。冬休みに入ってから、僕は部内でいじめが起きていることに気づいた。主犯は、あの転校生だった。アイツは、自分よりサッカーが下手な仲間に、暴力をふるい、暴言を吐き、雑務をさせていた。
なぜ、気付けなかったのか。配慮を怠ったことはなかったはずなのに。1人の部員から事実を聞かされたその夜、僕はただ悔しがることしかできなかった。
そして、親友はただ一言、「知らなかった」とだけ言った。
もちろん、僕はいじめをそのまま放置してはいなかった。その翌日には、現場を目撃した際に、止めに入っていた。主犯は、僕が天敵であるかのような目で一睨みして去っていく。いじめられっ子たちも、何も言わず、逃げるようにしてその場を去っていった。
それからは、猛獣が狩りに飽きたかのように、部でいじめが起こることはなかった。しかしそれは、一時の気休めのようなものだった。
僕の通っていた小学校の生徒は、ほぼ全員地元の中学校へ進学するため、メンバーはあまり変わらない。サッカー部のメンバーもそうだった。
「小学校の頃と変わらず、みんなでサッカーをできる。」僕はそう思っていた。
___でも僕は、あまりにも鈍感だったらしい。
「次の大会のメンバーを発表する。山野、佐々木、相田、……」
呼ばれた先輩や同級生が返事をする。その中にはアイツの声もあった。しかし、僕には返事をする機会は訪れず、ただ奥歯を噛み締め、彼らを遠くから眺めることしかできなかった。この頃には、3年生が引退し、僕ら1年生から試合メンバーに選ばれる仲間もいた。それでも、僕は不自然に試合に出られなかった。
初めの頃は、先輩も、先生方も、小学校からの「エース」として、僕に期待してくれていた。それなのに…。期待に応えられなかったのだろうか。失望させてしまったのだろうか。何がいけなかったのか。申し訳ない気持ちでいっぱいだ。でも、僕は毎日人一倍練習に励んできたつもりだ。練習でだって、それなりに活躍していた自負はあった。じゃあ、なんで僕は選ばれなかった…?
選手発表後の数日間、ずっと同じ思考が僕の中を駆け巡った。それでも、どうしても、理由は見つからなかった。だから、大会に出たい気持ちも、選手選抜の不服の気持ちも、一度我慢した。その代わり、今までよりも練習に励んだ。次こそは、次こそは…!と自身を信じて。メンバーに選ばれていたアイツらは、そんな僕を嘲笑うように、練習にも参加せず、放課後は遊んで帰っていた。
___流石に、おかしい。
「なぁ、お前、いつまでサッカーやってんの?」
大会前の練習中に、アイツは僕に言った。その声は、悪意で満ち溢れたものだった。…いじめっ子に割く時間はない。僕は無視して練習を続けた。
「どんなに練習したって、実力はつかないだろ?それにお前、別に次の大会出るわけじゃねーよな?お前どうせ下手なんだし、サッカー辞めたらぁ?」
「下手」という単語が強調されていた。そして、その声と同時に、忍び笑いの声も聞こえてきた。…わざわざ反応してやる理由はない。そのまま練習を続けようとした。すると突然、僕は背中に強い衝撃を受けた。
「痛っ……。」
ただただ僕は顔をしかめる。アイツに突き飛ばされた?大した怪我はしてなさそうだ。僕は何事もなかったかのように、立ち上がろうとした。しかし、アイツはまた僕を、ドンッと突き倒した。
「…おい、無視してんじゃねぇよ。今の話、聞いてたか?実力の伴ってないやつに、やさしく、さとしてやってたんだろ?お前が、引退するまで大会に出れませんでしたーって恥をかく前に。なぁ?」
アイツはうつむく僕の顔を覗き込んで言った。僕の眼前にあるその瞳孔は、僕を一匹の獲物として捉えていた。アイツの仲間は、ケタケタと笑っていた。
…僕は、いじめの標的にされていた、とやっと気づいた。先輩とも仲のいいアイツは、僕が選手に選ばれないようにしていたのだ。
「………っ」
僕の脆い心に、空しさがしみ込んできた。いや、無理に相手にする必要はない。僕はすぐにその場を離れることを選んだ。
「あれっ、みんな、どうしたの?」
すると、そこへ親友がやってきた。彼は今、次期部長候補だ。そうだ、彼なら、アイツをなんとかしてくれる。だって、中学でも一緒に、平和に、やってきたんだから。
「なあ、ちょっと聞いてくれ、僕は…」
僕は、仲間を得たと思わんばかりにこれまでの経緯を彼に説明しようとした。しかし、彼はそれを全く聞かず、ため息をついた。
「あぁ、そういうね。…君さ、いつまでそんな『楽しく』、なんてやってられんの?遊びたいんなら、それは部じゃなくてそこら辺の公園でやってくれる?」
「………は?」
僕は自分の目を、耳を、全てを疑った。親友の、その、嫌悪に満ちたセリフも、人を馬鹿にするような目線も、全て、僕に向けられたものだった。親友は、僕の知らない顔をしていた。
「えっ、と。いや……お前、何言って…」
「今すぐ部活辞めてくれる?小学生の時も、仲間仲間って、うるさかったけど、一応使える奴だったからエースに置いといたんだし。それを中学になってもまだ続けようとするんだったら……、部の士気的にも邪魔だし、出ていってくんない?」
途端に、僕の視界がひどく歪んだ。目の前にいる親友の顔が、全く知らない人のように見える。
みんな、仲間だろう?そんな考えを持っていたのは、僕だけだったと言うのか…?あぁ、叫びたい、逃げ出したい、死んでしまいたい…!信頼していた、仲間だと思っていた、あの親友が………!
「部活って、試合に『勝つ』ためにある環境だから。ただサッカーが好きってだけで、試合で使えなかったら、意味ないし。…君みたいにそんな甘いこと言ってられないんだよ。」
親友の言葉が鋭いナイフとなって、僕の心の皮を削り取っていく。
「ほぉーら、次期部長様もそうおっしゃってるんですよぉ?もう邪魔なのはお前だけだし、さっさと退部したらぁ?」
…は?……邪魔なのは、、、僕、だけ…?それって、それってそれって、いじめられっ子たちは、すでに、退部させられて、いた……?
どこかでガラスの割れた音がした。
ゲラゲラ、ゲラゲラ
その笑い声の中に、親友の声も混ざる。粗いヤスリとなったその声に、僕の神経は深く抉られる。信頼していた、その声に。
___それから、僕はすぐに部活を辞めた。
…冷静になって考えてみれば、あれで裏切られたと言って人に不信感を抱く必要はなかった。でも、思春期の、悩みの絶えない繊細なあの時期に、些細な傷でも心に負ってしまったのなら、その亀裂を少しでも広げないように、心をガードするしかないのだ。
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