僕と彼女、花火と向日葵
天海湊斗
第1話 僕と彼女
「人は、人間不信にはなれない。」と彼女は言った。
「そうでなければ、人は生きていけないから。」
まだ夏休みに入ったばかりなのに、最近は猛暑が続いている。時折吹く風でさえ生暖かい。こんな日は、ずっと家の中で猫のように涼んでいたい。けれど、僕のそんなささやかな願いは叶わなかった。
「好きです。」
「………え?」
高校2年の夏。学校の裏の、向日葵の公園。ここで遊ぶ多くの子供たちとは対照的に、未だに友達もおらず、独りぼっちで暇をしている僕は、突然、彼女に呼び出された。
僕とクラスメイトである彼女だが、今までほとんど会話することはなかった。むしろ、僕にとって彼女は、どんなに背伸びをしても手の届かないであろう、別世界の人間であった。彼女は才色兼備で社交的な、いわゆる優等生だ。しかし、先生からも生徒からも人気の高い彼女だが、全国の同年代の中でも飛び抜けて頭が良いのに、中堅程度のこの高校に来た、という不可思議なところもある。
一方、僕は、どんな才能も持ち合わせてなんかいないし、友達もいない。前に出ることはないし、全く目立たない。僕は、教室の隅に忘れられた、ホコリのような存在であった。
だが。
___好きです。
彼女の用件は、たった一言で済まされてしまった。
植えられた大きな向日葵の間を通り抜けて吹く風が、彼女の長い髪を舞わせる。微かに、甘酸っぱい香りが漂う。部活で騒ぐ生徒の喧騒も、公園の数少ない遊具ではしゃぐ子供の声も、まるで最初から存在しなかったかのように耳に入らなくなった。まるで、この世界に、彼女と僕の二人しかいなくなってしまったみたいだ。
長い時間のようでたったの数秒だけが過ぎ、蝉が大音量で鳴き始めたことで現実に戻され、僕の頭はやっとまわり出した。
一度僕は彼女の顔を見る。彼女の顔に照れは見受けられない。むしろ真剣な顔をしている。彼女のまっすぐな視線に気圧され、僕はうつむいてしまった。それから、僕の頭の中で混乱が生じた。
「好き」。誰が?誰を?周りを見渡してみても、彼女の目の前には、僕しかいない。
…つまり今、異次元の存在が、僕に「好き」と言ったのか?
……いや、そんなこと……。
そうか、これは罰ゲー、、、
「本当のことだよ。信じられない?」
彼女はニヤッと笑う。僕の鼓動が少し速くなるのを感じた。
なんだ?からかっているのだろうか。それなら…、と僕はごちゃごちゃな頭の中を整理しようとした。しかし、それよりも速く、彼女の口が開いた。
「そもそも君、人を信じてないんでしょ。いつも見てたからわかるよ。」
「………っ⁉︎」
不意打ちだ。心臓が一瞬、跳ねたような感覚がした。だが僕は、できるだけ平静を装うことに努力した。
「…は?いや、でも君は…」
「もとから答えなんて期待してないけどね、君のことだし。それでも、付き合ってもらうから!ね、今から時間あるでしょ?行きたいとこあるの、一緒に行こ!」
「えっ、いや、ちょっ…。まだ僕はっ…」
近くの木々から僕らの様子を見ていた小鳥たちが一斉に羽ばたいた。彼女は僕の腕をグイグイ引っ張っていく。彼女の手はさらさらしていて、掴まれているところがなんだかむず痒い。それでも彼女は手を離すことなく僕をどこかに連れていく。僕には反論の余地すら与えてくれないらしい。彼女の真意も測ることもできず、勝手に話を進められてしまった。
そうして、僕は断るタイミングもなく、彼女と付き合うことになった。
その翌日から、彼女は僕を家から引っ張り出すように、毎日一緒にどこかへ出かけるようになった。その度に僕は家族に揶揄われたが、彼女はそんな僕を見て、いつも楽しそうに笑っていた。
初めは気づかなかったことだが、彼女の『デート』に付き合わされる度に、彼女の笑顔が、学校でのものよりも輝いているように見えた。僕の目に、フィルターがかかるようになったのかとも思ったが、実際、彼女は僕との『デート』の時、いつもより声が明るかった。
「ねぇ、明日の夏祭り、一緒に行こ?」
拒否権のない誘い。彼女は目を輝かせて僕に提案する。いや、提案じゃない、命令だ。どうせ僕が行こうとしなくても、家に押しかけてくるくせに。そう思って、僕が何も言わないでいると、
「うん、じゃあ決まり!明日の15時待ち合わせね!楽しみにしてる!」
そう言い、彼女は笑顔で手を振って去って行く。
はぁ……。彼女が見えなくなってから、僕はいつの間にか緊張して強張っていた肩をほぐす。…いったい僕は何をしているんだろう。全然彼女を拒めない。むしろ振り回されている。本当に、付き合う気なんてなかったのに。あの日の後、彼女が「嘘だった」と言ってくれることを望んでいた。彼女が本当に、本気で「好き」だと言っているなんて思ってなかった。信じて、なかった。
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