第19話 適度な距離感が生むモノ

 黒い猫の顔をした細身の男。どこからどう見ても人間とは一線を画した形相を持つ男との対峙。

 剣呑な空気が路地裏で正対するガルドと男の間に渦を巻く。



「姿を変える魔物……」

「怖気づいたか人間? 人間の馬鹿みたいな困惑顔を見るたびに――」

「ウッヒョォォォアアアァァォーーーッ! ラッキィィィィィ!!」



 そんなシリアスをぶち壊すガルドの歓喜の声に、正体を現した闇討ち犯は怪訝そうな表情を浮かべた。



「いやいや、まさか闇討ち犯の方から来てくれるとは願ったり叶ったりだぜ! 俺ってば最近ツイてるし、モテ期|(モテてはいない)も来てるし、もしかして今なら何やっても上手くいくんじゃね!? もしかすれば彼女も夢じゃねぇ!?」

「……お前今の状況分かってんのか?」

「目的の魚が餌に引っかかったってんだろ? そら喜ぶさ、人間だもの」

「格言っぽく言うんじゃねぇ。ま、この状況を見て楽観視出来る程馬鹿な奴がコロシアムを勝ち残ってるなんて、所詮食い殺して来た雑魚共と同等か。食っても大した力は得られなさそうだが食い殺してやるよ」

「雪豹のナリに変化してる時点で想像はしてたが、魔王軍の手先ってところか……人間じゃないなら躊躇はいらねぇな」



 とはいえガルドの気がかりは、耳を澄ませば聞こえてくる喧騒。

 初日のコロシアムを終えた市民達の存在だった。



(騒ぎを聞きつけて路地に来られると能力もまともに使えねぇし、下手すら巻き込んじまう危険もある……レロを使って近付けないようにするか……)


「レロ」

「お呼ばれしたにゃー」



 市民への二次被害を危惧したガルドはレロを呼び出し、レロは影から飛び出してガルドの肩に乗る。

 しかしそんなレロの出現にピクッ、と闇討ち犯は反応を示す。



「……レロ?」

「ん? レロの事知ってるの?」

「そうかそうか、くははっ! 妖怪界のクソ雑魚恥晒しが憑き物として人間に仕えて恥の上塗りだなんて笑えちまうな!」

「あ? 別にレロが弱いのは事実だし笑うのは構わないけど、お前がレロの何を知ってるって言うの? 返答次第じゃ旦那が黙ってないよ?」

「いや、別に何言われようと黙ってるけど?」

「ちょっと! レロと旦那は相棒でしょ!? レロのために怒ってよ!?」

「労力の無駄」

「レロの扱い酷くないっ!? レロは旦那のために色々働いてるんだけどぉ!?」



 肉球で主人の頬を叩くレロと一切意に介さないガルドを前に、闇討ち犯はドンッ! と地を鳴らす。

 幾度の闇討ちを手掛けて来た犯人を前にお気楽の空気を纏う二人に、闇討ち犯は渾身の苛立ち、殺気を露わにした。



「腐った末に人間と馴れ合うだなんて、やっぱりお前には『王の器』なんてなかった。正しかったみてぇだ、兄様の俺がクソ不出来な妹の『呪力』を奪ってもなぁ!」

「兄、様……?」

「俺の名はロロ。お前の兄だ――が、不出来な妹に兄妹意識なんてねぇ。だから俺はお前が産み落とされた瞬間、俺はお前に宿った妖王の資質『呪力』を奪い取ったんだよ! 全ては俺が妖怪の頂上に君臨するために!」

「奪った……? 兄様がレロの力を……?」

「理解も及ばねぇなんて、思った通りの無能だな。この世は強い奴が全てを得る! お前は俺のための生贄だったんだよザマアミロ!」

「あ、ああ……ああああ…………」



 兄妹の偶然の再会とは非情に。

 レロの困惑は肩を通じてガルドにまで伝わっていた。



「よがっだぁぁぁぁぁあああぁあ……」

「「は?」」



 レロの安堵の泣き声に疑惑の声が二つ上がる。

 一つは困惑を感受していた筈のガルド、そしてもう一つは当然兄のロロ。



「レロは生まれつきの無能じゃなかったんだ……レロは兄様の助けになれたんだぁ……よかったぁぁああぁ……」

「お前、何言ってんだ……? 俺がお前から力を奪わなけりゃ、お前は妖怪の王になって魔王様の配下に加わる可能性だってあったんだぞ……? 力が全ての世界で虐げられることもなかったんだぞ!?」

「……確かに虐められて辛かったことはあるし、その度に力があればなぁーって思ったりもした。でもレロは猫又、のんびり自由に生きたいだけ。魔王様の配下とか、自分の配下とか、そんな地位は別に望んでないもん」



 レロの切望は日常に転がっていて、それでいて妖怪であるレロにとっては遠い代物。

 地位争い、人間の殺戮、同族達への配意。そんな柵の無い自由な世界で生きる事をレロは望んでいる。



「だから力を奪われたからって憎んでも無いし、今更返して欲しいとも思わないよ」

「性根が欠陥品じゃ救いようがねぇよ! クソ恥晒しがぁ!!」

「別に何とでもいうにゃ~。レロはいずれガルドの旦那を殺して本当の自由を――あ」

「ん? 相棒ってどの口が言ったんだっけ?」

「ご、ごめん旦那違うんだにゃ!? 今のは言葉の綾って言うか!?」

「どう見繕っても言葉の綾にはなんねぇよ?」



 口を滑らせたレロはわたわたと弁解しようとするも、ガルドの凍えた半眼がレロの心拍を駆り立てる。

 しかしガルドはふっ、と笑い、ずり落ちそうになっているレロを頭部へと乗せて安定させた。



「はっ、レロが俺を狙ってることくらい完全服従にしなかった時から知ってるよ。それぞれに想いが、願いがあって当然だろ? 俺だってシルフィさんが目的で、全く別の女の子を誑かしてるわけだしな」

「……。へへっ、理解ある旦那で良かったにゃ。それじゃあ帰ろう、旦那」



 レロの心の蟠りも溶け、一件落着。



「いや戦人を狩ってるコイツを放置して帰れねぇよ!?」

「チッ……このまま兄様と戦わなくて済むかもって思ったのにぃ」



 とはなる筈も無く。

 標的にされてガルドの目の前にいる以上、眼前の脅威は排除しなければならない。



「舐めやがって……! 殺してやる……! 人間も、クソ妹も喰わずに殺してやるッ!! ――呪力解放」



 発せられた言霊によって周囲にはどす黒い靄が立ち込め、ロロは闇に溶け込んだ。



「なんだこの黒い靄――重っ!? 纏わりついてくるし、気持ち悪ぃ!?」



 体に纏わりつく靄を振り払おうと藻掻くガルドに靄を斬り裂く爪撃が迫り、ガルドは辛うじて回避した。



「飛ぶ斬撃っ!? つうかアイツの気配が微塵も感じられねぇ!?」



 爪による攻撃ならば接近は然るべきだが、斬撃が迫ろうともロロの気配が一切感じられなかった。

 全方位から的確にガルドを狙って飛来する爪撃を、全神経を注ぎながら回避に専念するしか許されない。



「陰キャ戦法なんて汚ぇぞ! 出てこいオラァ! っうわっち!? あぶっ――ちょ、待っ!?」

「旦那がこのまま殺されるのはレロとしては好都合なんだけど、兄様、レロにもブチ切れてるからなぁ……」

「悠長な悩みだな!? ってかマジで見えないと何も出来ねぇ……! あぐっ!?」



 一閃の爪撃がガルドの脚を掠めて鮮血が吹き出す。

 しかしガルドは次撃を警戒して痛みに悶絶する暇さえ作らず体勢を立て直した。



「いってぇ……あいつも見えてねぇ筈だろ!? 何でこんな的確に俺を狙って来れるんだよクソ猫がっ! ……猫? もしかして猫の嗅覚か!? だったらレロ、お前の嗅覚を頼りに――」

「ごめん旦那。どうやらこの靄はレロの嗅覚をも封じてるらしいから追跡は無理にゃ」

「だぁー! 視界阻害、嗅覚阻害、このままじゃなぶり殺しだぜ!? チートだぜ呪力ってやつぁ!」

「……いや、そうでもないよ。呪力ってのはが付き物。レロの嗅覚を妨害してるってことは、恐らく兄様も嗅覚が効いてない――いや、嗅覚を失ってる可能性まである。さっきもレロの名前を聞くまで影にいるレロに気付かなかったしね」

「……んじゃ、アイツは視覚も聴覚も効かない状態でどうやって俺を……」



 ビュンビュン飛来する爪閃がガルドの胴体薄皮一枚を掠める。

 カマイタチの痕を残すように晴れ行く靄。

 僅かに緩まる攻撃の手。



「もしかしてこの靄か……? この重苦しく纏わりつく靄が俺の位置をアイツに示してんのか……!?」



 本来ならば攻め続けるべき攻勢は、ガルドの付近を掠めた際に一時の滞りを見せている。

 敵の現在地を示す印が無ければ正確性を失い、自らの盲目を露呈することとなるのだ。困惑に乗じて狩りきりたいロロとしては優位性を崩されたくはない事も道理だった。



「っつーことはこの靄を何とかすりゃ、この状況は打開できるってことだな……! この靄から出れりゃ万事解決なんだけど、方向感覚もわからなけりゃ範囲すらも判然としねぇ。何より他の住民が――」

「…………」



 ぶつぶつと策を呟いては己で却下していくガルドを横目に。



「ガルドの旦那は、こんなクソ雑魚で主の命を狙うようなレロでも信頼出来る?」



 レロは魔物――妖怪としてはあるまじき問いを尋ねた。



「何言ってんだお前? 出来る訳ねーだろ」

「……そうだよね。ごめん忘れ――」

「でも信用はしてる。それはお前を憑き物として傍に置くと決めた時から何も変わってない」

「旦那……」

「だから何か策があるってんなら、乗ってやらないでもねぇぜ? ――相棒」



 信頼と信用。一妖怪であるレロにその違いは分からなかったが、ガルドが自我を奪わずに傍に置いてくれていることが何よりもの証だと悟るのに時間はかからなかった。



「全くノせるのが上手いね旦那はっ。それじゃあここらで一つ旦那に信頼を売っておくとしようかな――レロの変化の力でね!」


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