第50話
花束を手にして、穏やかに微笑むアルゼン。
しかしリテリアは、目が廻りそうであった。
この感じ、この雰囲気。どこかで見たことがある。
(あぁ……そうだ、いつもこんな感じだったわね……)
聖癒士は全員が女性だ。それも年頃の若い娘が多い。基本的に聖癒士は純潔であることが求められる為、リテリアの同僚には当然、恋人など居ない。それはリテリアも例外ではなかった。
その一方で異性に心奪われ、聖癒士を引退する者も決して少なくない。
彼女達がどこでどの様な出会いを得たのかはリテリアもよく知らないのだが、時折、経験豊富でも何でもないリテリアに恋愛相談が寄せられることがあった。
そんな時リテリアは、恋愛小説で読んだ付け焼刃のセオリーを、さもそれらしく語ってきた。そうでもしないと、彼女達の期待に応えられなかったからだ。
そして何とか口先だけで押し切り、恋する同僚達の背中を押してやったことはこれまで幾度と無くあった。
更に、彼女達の告白の場面に付き合わされることも、一度や二度では無かった。
そうだ、今のこの瞬間、アルゼンとリテリアの周辺に漂っているのは、まさにあの時の雰囲気によく似ているのである。
(え、でもでも、アルゼン様が、私になんか、そんな……)
はっきりいって、自分には勿体無い、と思った。
リテリアはただ特級聖癒士というだけの存在に過ぎない。生まれは平民、それも孤児だ。
とてもではないが、貴族の子息たるアルゼンとは釣り合う筈も無い。
と同時に、心の底では嬉しくもあった。
メディスの罠に落ちようとした時、アルゼンだけは味方になってくれた。その心遣いには感謝してもし切れない。だからこそ、彼の為に生体義足獲得の旅に出た。
この程度で恩を返し切れたとは思っていないが、少しでも彼の助けになれればと思った。
それ故、今アルゼンが漂わせているこの空気は心地良い。その甘美な声に酔いしれたい。
だが問題は、リテリア自身の方だ。
(そうだ……私は内々でも、クロルド様から求婚されてたんだ……)
アルゼンは当然、その事実は知らされていないだろう。だがもし、王家の妻に娶られようとしている女性に一介の騎士が手を出したとなったら、これは一大事だ。
下手をすれば国家反逆罪に問われかねない。良くても不敬罪は免れないだろう。
だから、今この場でアルゼンからどんな言葉も聞く訳にはいかなかった。
しかしいきなり逃げ出してしまっては、アルゼンの心を傷つけることにもなりかねない。それだけは絶対に避けたい。
(何とか……何とか良い方法は……)
今にもアルゼンが形の良い唇を開きかけようとしている、その瞬間。
何でも良いから別の話題を振らなければと、リテリアが大いに焦っている時だった。
「リテリア、用が済んだら顔を貸せ」
その刹那――リテリアは自分でも驚く程の物凄い勢いで、素早く振り向いた。
本気の本気で助かった。リテリアは、そこに佇んでいたソウルケイジに何度も頷き返す。
「あ、だ、大丈夫です、ソウルケイジ様!」
それからアルゼンに振り向き、半ば呆然としている端正な顔立ちに申し訳無いと拝む仕草を見せた。
「申し訳ございません、アルゼン様。ソウルケイジ様からお呼びがかかりましたので……」
「あ……そ、それなら仕方が無いかな。また今度、落ち着いた時にでも改めてお話させて貰うよ……あ、これはどうか、受け取って欲しい」
アルゼンは何ともバツの悪そうな調子で頭を掻きながら、花束をリテリアに手渡した。そのままソウルケイジに会釈を送りつつ、中庭を去ってゆく。
ソウルケイジはアルゼンの背中を一瞥してから、ポーチへと歩を進めてきた。
「もう良いのか?」
「は、はい! もう、全然大丈夫です!」
自分でも何がどう大丈夫なのか分かっていないリテリアだが、この時ばかりは本当に救われた気分になっていた。
そんなリテリアに相変わらずの無表情な視線をぶつけてから、ソウルケイジは彼女をポーチ内のテーブル脇へと呼び、その卓上に何やら大きな図面を広げた。
見たところ地図の様だが、恐ろしく精密で細やかな記載が多い。今まで、これ程の精巧な地図は見たことが無かった。
「あの、これはどこの地図でしょう」
「世界地図だ」
その端的な応えに、リテリアは思わず言葉に詰まった。彼女にとって世界とは、エヴェレウス王国とカレアナ聖教国、そしてその周辺諸国ばかりで、それ以外の国や土地などまるで想像したことも無かった。
しかしよくよく見てみると、この地図の一角にどこか見覚えのある地形があった。
五つの巨大湖と、その近辺である。
「もしかして、この五つの湖がある隣がエヴェレウス王国のあるところなのでしょうか?」
「そうだ。旧文明ではこれらは五大湖と呼ばれ、それぞれスペリオル、ミシガン、ヒューロン、エリー、オンタリオの名が付けられていた」
初めて聞いた話だった。ソウルケイジのこの知識は一体どこからくるものなのだろう。
しかし黒衣の巨漢はリテリアの驚きなどまるで気付かぬ風に、更に話を進めた。
「地名のことは気にするな。それよりも、奴らが降下した」
リテリアは、訝しげに眉根を寄せた。ソウルケイジがいわんとしていることが、今ひとつ理解出来ない。
そんな彼女にウルケイジは気分を害した様子も無く、淡々と説明を加えた。
「以前お前に話したメテオライダーだ。お前が自然死以外の原因で命を落とした場合、人類の文明を再び衰退させる知能障害が惑星規模で引き起こされる。その理由は、お前の死によって放たれる霊素波動だ。奴らはお前を殺害し、お前の死の瞬間に拡散される惑星規模の霊素波動を全地表、全人類に隈なく伝播させることを目的としている」
但し、リテリアのこの特殊な霊素波動が放たれるのは、彼女が18歳から25歳までの間だけということらしい。その間を生き延びることが出来れば、人類の勝ちだとソウルケイジは付け加えた。
が、正直なところ、リテリアには何ひとつ理解が及ばなかった。内容が高度過ぎるというよりも、全く次元が違い過ぎて頭が追い付かなかったのである。
ソウルケイジはそんなリテリアの困惑を無視した。理解する必要は無い、ただ生き延びろと、ひたすらそれだけを繰り返すばかりだ。
「今回は三体が大気圏に突入してきた。一体は旧アフリカ大陸北部のサハラ砂漠、一体は旧中央アジアのタクラマカン砂漠。こいつらはまだ放っておいてい良い。問題は、残る一体だ」
いいながらソウルケイジは、エヴェレウス王国西方の、南北に伸びる特徴的な地形を指した。
「かつてグランドキャニオンと呼ばれた大峡谷に、残りの一体が降下した。こいつだけは最初に撃破せねばならん」
この一体はエヴェレウス王国と地続きの、同じ大陸に降下した。間違い無く最初に接近して来るのは、この個体だろうというのがソウルケイジの推測らしい。
「ところでリテリア、お前はミルネッティの為に奴隷収集隊の捜索に出るつもりか?」
「え? あ、はい、そのつもりですが……」
戸惑うリテリアに、ソウルケイジは暫く沈黙した。
何か拙いことでも口にしてしまっただろうか――リテリアは一抹の不安を覚えたが、ソウルケイジは了解したとひと言、応じた。
「お前に同行しよう。この手近の一体は必ずお前に接近を果たす。そこを叩く」
何だかもう、ソウルケイジの中で勝手に筋書きが出来上がっているらしい。
リテリアはただ、承知致しましたと頷くしか無かった。
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