第45話

 その夜、リテリア達は無事にシェルバー大魔宮から帰還し、宿営本部にて突入完了の報告を含めた一連の手続きを終えることが出来た。

 アネッサとレオは、プリエスを含む護衛小隊の面々と共に、宿屋一階の酒場で打ち上げの食事会へと臨んでいる。

 リテリアも諸々の書類を宿泊部屋に放り込んで、後から合流するという段取りになっていたが、退室する際にふと小首を傾げた。


(あら……そういえばミルネッティは?)


 先程、酒場へ向かう面々の中には彼女の姿が無かった様に思う。ソウルケイジが居ないのはいつものことなのだが、ミルネッティまで居なかったというのはどういうことであろう。


(もしかして、ソウルケイジ様のところかしら)


 何故か、そんな気がした。

 ソウルケイジは大魔宮前の広場のどこか、周辺警戒の為に闇の中でひとり佇んでいる筈だ。


(多分、あの辺りかしら)


 リテリアはもう、ソウルケイジが警戒線を張りそうな場所を何となく理解出来る様になっている。その直感に従って幾つかの岩が連なっている場所へと向かうと、案の定、黒衣の巨漢が薄闇の中に佇んでいた。

 そして同じく予想通り、やや薄手の衣服に身を包んだミルネッティの姿もあった。

 しかし、ただならぬ雰囲気を咄嗟に感じ取ったリテリアは、敢えて声はかけず、手近の岩の裏側に身を潜ませた。なるべく気配は消そうと努めたものの、恐らくソウルケイジにはバレているだろう。

 それでも息を潜ませたのは、ミルネッティの悲痛な表情に心苦しさを感じたからだった。


「ご主人様……やっぱりボクの気持ちは、受け入れて貰えないのかな……」


 ミルネッティが何をいわんとしているのか、リテリアはすぐに察した。胸の奥で、ちくちくとした痛みを覚えてしまう。それでも、ふたりの会話から意識を離すことは出来なかった。


「ボクね……忘れたいんだよ。あんな奴らにボクが良い様に弄ばれたってこと、許せないんだ……誰よりも、ボクが、ボク自身のことを」


 ミルネッティの記憶の中には、ドルーガー達にその身を蹂躙され続けた地獄の様な日々が未だに色濃く根付いているに違いない。一度刻まれた傷は、そう簡単には癒せないのだろう。

 リテリアは思わず、俯いた。

 ミルネッティの辛さを、何とかしてやりたい。しかしその一方で、ソウルケイジが彼女の為に、その願いを叶えるという行為は絶対にしないのではと妙な確信があった。

 だが、それでは一体どうすればミルネッティの心を救ってやれるのか。

 他の誰でもない、ソウルケイジこそが唯一の光であるとも思えるのだが、果たして――。


「ボク……ボクね……どんなに忘れようとしても、忘れられないんだよ……あいつらが、ボクのことを……」


 その場に崩れ落ち、泣きじゃくるミルネッティ。

 するとソウルケイジは周辺に走らせていた視線を、うずくまる様にして泣き続けている森精種の娘へと素早く転じた。そして、左掌を彼女の頭上にかざす。

 直後、リテリアは内心で息を呑んだ。

 それまで悲嘆に暮れていたミルネッティが、あっけらかんとした表情でソウルケイジの巨躯を見上げていたのである。


「あれ……ボク何してたんだっけ?」

「頭痛が酷くて我慢出来ないと、泣きながら訴えてきた。俺の術で回復は可能だが、頭に関わる術である以上、前後の記憶が一瞬失われるという説明はしておいた」


 ミルネッティは、あぁそうだっけ、などとまるで先程までの悲痛な表情が嘘の様に、明るい笑顔でゆっくり立ち上がった。


「うわぁ、すっごい涙べたべた……ボク、よっぽど辛かったんだね」

「だろうな。用が済んだなら戻れ。食事会があるのだろう」


 ミルネッティはひと言礼を添えてから、機嫌良さそうに踵を返した。そのまま、アネッサやレオ達が始めている打ち上げの食事会の場へと小走りで去ってゆく。

 リテリアはしかし、硬い表情のままでソウルケイジの傍らへと歩を寄せた。

 彼が何をしたのか――推測は出来ていた。


「ソウルケイジ様、もしかしてミルネッティの記憶を……」

「遥か大昔、強姦は魂の殺人といわれていた。それは今も変わらないと考えられる」


 それは何故か。

 体を蹂躙された女性の記憶に一生、その時の地獄の様な苦痛が残り続けるからだ。その後のケアや幸せな人生を歩むことで、多少はその痛みが和らぐことはあるだろう。

 しかし完全に消すことは出来ない、とソウルケイジはいう。


「だから、根こそぎ消した、と……?」

「根源となった連中は始末した。後は周囲の者が黙っていれば済むことだ」


 ソウルケイジ曰く、ミルネッティの記憶の内、消去したのは彼女がドルーガー達に体を穢された箇所のみだという。そこについては別の虐待をされたという形ですり替えたらしい。

 全く何も残っていないのは却って不自然だから、という話であった。


「知らぬが仏、という訳だ」

「え……ほ、ほとけ? それは一体、何ですか?」


 ソウルケイジの呟きに、リテリアは思わず目を瞬かせた。聞いたことの無いフレーズだった。しかし黒衣の巨漢は、理解出来なければそれでも構わぬとそっぽを向いた。


「他の連中にも念を押しておけ」

「はい……それがミルネッティの為ですものね」


 リテリアは静かに頷いた。


◆ ◇ ◆


 宿屋一階の酒場へと去ってゆくリテリアを視界の隅に収めつつ、ソウルケイジは今後の行動予定について思考を巡らせ続けていたが、その中のひとつに、自身の存在の記憶消去も含まれていた。


(メテオライダーを殲滅し、リテリアの安全が確保された後は、俺に関わる全ての記憶を関係者全員の脳内から消去する)


 この世に、ソウルケイジという存在は最初から無かったことにする。

 いずれ訪れるその時に、リテリアやミルネッティがどの様な反応を示すのか。

 否、彼女達がどう思うかは関係無い。自身のことは完璧に忘却させる。それ以外の選択肢は無い。

 だがそれは、まだ当分先の話だろう。

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