第43話
ミルネッティは、がくりと膝から崩れ落ちた。
その場に力無くしゃがみ込み、呆然と冷たい石床を見つめ続ける。
周囲で怒号が飛び交い、今にも血の雨が降りそうな気配が漂う中、ミルネッティは耳を塞いだ。
あんな奴らの声は、もう聞きたくない。下卑た笑い声など、二度と耳にしたくなかった。
(もう……嫌だよ……どうして、こんな……)
忌まわしい記憶が蘇る。
あの薄汚い連中に、自身の体を蹂躙され続けた日々。
死ぬ程に嫌だった。それなのに、奴らを受け入れた。受け入れざるを得なかった。
ただ、生きる為に。生きて兄弟や幼馴染みと会いたい――その一心で自身が醜く穢れてゆくのを必死に堪えた毎日だった。
そして、やっとその地獄が終わった。
ソウルケイジやリテリア達と出会えたことて、穏やかで自由な時を迎えることが出来たと思った。
それなのに、また、奴らが現れた。
ここにはレオもプリエスも居ない。辛うじて騎士ふたりが居るが、彼らの実力ではドルーガー達には到底敵わないことは、ミルネッティ自身がよく分かっていた。
ドルーガーはクズみたいな最低の男だが、それでもその実力は正銅級の万職だ。その配下は全員が牙鋼級であり、探索班としては実力者揃いの部類に入る。
それに対し、この緊急保管庫に閉じ込められた仲間達はといえば、特級聖癒士ではあるがその戦闘力は堅鉄級並みのリテリア、同じく堅鉄級の治癒法士アネッサ。
騎士ふたりは正確なところは分からないが、辛うじて牙鋼級程度の戦闘力はあるだろうか。
そしてミルネッティはというと、操設士としての技量は牙鋼級に匹敵するが、純粋な戦闘力は堅鉄級に毛が生えた程度だ。
とてもではないが、ドルーガー達に立ち向かえる戦力ではない。
(ボクが、皆と一緒に居たからいけないんだ……)
不意にそんな考えが浮かんだ。ミルネッティは自らを責めた。
ドルーガー達をここに引き入れてしまったのは、自分がリテリア達の傍に居たからだと、己を責めた。
自分さえここに居なければ、リテリアもアネッサも、あんな奴らの手にかかることも無かった筈だ。全部自分が悪いんだ。
(御免、リテリア、アネッサ……本当に、御免なさい……)
大好きなふたりが、自分の所為で奴らに蹂躙される。清楚で美しいふたりの体が、薄汚くて嫌らしい奴らの手にかかって、穢されてしまう。
自分が奴らの手の中に引き摺り戻されることよりも、リテリアとアネッサが犠牲になることが何より悔しかった。受け入れられなかった。
だが、今の自分には何も出来ない。
ただ絶望して、泣いてうずくまることしか出来ない。
きっとリテリアとアネッサは、大丈夫だと笑うだろう。最後までミルネッティを励まし、笑顔で居てくれようとするだろう。
そんなふたりの心遣いが分かるだけに、何よりも申し訳なかった。情けなかった。辛かった。
そして事実、リテリアが傍らにしゃがみ込み、横から覗き込んできた。
どこまでも美しく、澄んだ瞳が優しく見つめてくる。リテリアの柔らかな笑顔が余計に、ミルネッティの罪悪感を掻き立てた。
「御免ね、リテリア、本当に、御免ね……」
「何をいってるの、ミルネッティ。もう大丈夫だから……全部、終わったから」
穏やかに、それでいて悪戯っぽい笑み。リテリアのそんな笑顔が癒しだった。それがもう、見られなくなるのかと思うと心が張り裂けそうだ。
だがリテリアは幾分困った様子で、僅かに苦笑を浮かべた。そしていきなり彼女はミルネッティの頭を両手で強引に抱えると、無理矢理前を向かせた。
そこで、リテリアは見た。
無造作に佇む黒衣の巨漢と、その足元に崩れ落ちているドルーガー達を。
「え……なに……どういう……こと?」
「だから、ソウルケイジ様がもう、さっさとやっつけちゃったってこと」
薄く微笑むリテリアと、いつもの鉄仮面で仁王立ちになっているソウルケイジを交互に見遣り、信じられないと口をぱくぱくさせたミルネッティ。
しかし、嘘ではなかった。
ドルーガー達は昏倒したまま、ピクリとも動かない。
「え、だって……ガレンスキーが、閂錠を掛けて……」
「この地下シェルターで俺が解除出来ないのは、お前の手を借りた二重遠隔錠だけだ。あの閂錠程度ならいつでも開けられる」
ソウルケイジは事も無げに応じ、足元で気を失っている連中を漫然と見下ろした。
「ソウルケイジ様……もしかして彼らが私達を尾行していたことを、ご存じでしたの?」
「最初から俺のセンサーにかかっていた。態々相手にする時間が惜しいから放置していただけだ」
リテリアからの問いかけは、ソウルケイジには愚問だったかも知れない。
この男が何も察知していない訳が無いだろうというのは、よくよく考えれば誰にでも分かる話だった。
しかし馬鹿なことに、ドルーガー達は自ら袋小路に飛び込み、逃げ道を己の手で塞いだ。この緊急保管庫に突入し、そしてリテリアやミルネッティに手を出そうとしたことは即ち、纏めて始末してくれと自己申告した様なものであったという。
「どうせ始末するなら、一カ所でやった方が手早い」
だから、奴らがこの緊急保管庫に入る様子を遠目から眺めていたのだという。
その瞬間ミルネッティは弾ける様な勢いでソウルケイジに飛びついた。
「もう! ご主人様ったらぁ! 意地悪なんだからぁ!」
しかし、そこから先は声にならなかった。涙が溢れ、その頑健な体躯に顔を埋めることしか出来なかった。
「おい、大丈夫だったのか?」
「皆さん、ご無事で?」
少し間を置いて、レオとプリエスが慌てて飛び込んできた。
そんなふたりの姿も目に入らない程、ミルネッティはひたすら泣きじゃくった。
嬉しくて、ほっとして、心が溶けてしまいそうな涙だった。
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