第36話
プリエスは厳しい表情で踵を返し、リテリア達が待つ玄関近くの待合スペースまで引き返してきた。
「一旦、出直しましょう」
先程までグラナドルを相手に廻して怒り心頭の様子を見せていたプリエスだが、今は少し落ち着いた様子で、声のトーンも静まっている。
一方のグラナドルは受付カウンターの向こうで、勝ち誇った笑みを浮かべたままフンと鼻を鳴らしているのが見えた。
ところがその顔つきが一瞬だけ、引き締まった様に見えた。その視線は、黒衣の巨漢へと据えられている。
プリエスに対しては全面勝利の喜びを隠そうともしなかったグラナドルだが、ソウルケイジには何か思うところがあったのか、しばし睨みつける様な眼光を放っていた。
が、それもほんの数秒程度のことで、長身の騎士は何故か慌てた様子でそっぽを向き、再びカウンター奥へと引き返していった。
逆にソウルケイジは、グラナドルからの視線に対して相変わらず無表情な鉄仮面を発揮していたものの、特に気にする素振りも見せず、プリエスに続いて宿営本部を出た。
「今から王都まで引き返して、異議申し立ての手続きを取るの?」
アネッサがうんざりした調子で問いかけた。プリエスはそんな馬鹿なことはしないと、断固とした調子でかぶりを振る。
「でも、このままじゃどうしようも無いんだよね?」
ミルネッティの不安げな顔。
プリエスは眉間に皺を寄せたまま、黙然と地面に視線を落としている。何かを考えている様子ではあったが、容易に打開策が生まれてくる気配も無さそうであった。
このままでは空気が重い――リテリアはわざとらしくなるのは仕方が無いと割り切った上で、敢えて声を弾ませて両掌を打ち合わせた。
「そ、それよりも、まずは宿を確保しませんか? まだ陽は高いですけど、ここで何泊かすることになると思いますし」
「そうだね。それ、賛成」
アネッサも即座に反応してくれた。一瞬だけリテリアに顔を向けて、小さくウィンク。他の面々には見えないところでサムズアップする仕草を見せた。
しかしリテリアが場の空気を変えようと提案した宿の確保に於いても、トラブルが待っていた。
シェルバー大魔宮前には万職や行商人が利用出来る宿屋が3件、軒を連ねている。そのいずれもがほぼ満室に近い状態だという話だった。
辛うじて女性四人が相部屋で泊まれる一室は確保出来そうだが、プリエス配下の騎士達は広場での野宿を余儀無くされそうであった。
そんな中で、ミルネッティが何ともいえない表情でソウルケイジの巨躯を見上げた。
「えっと……ご主人様はやっぱり、寝ないんだよね?」
「そうだ」
だから宿泊室は不要だと答えたソウルケイジ。
しかし一応怪しまれない為に、護衛小隊の騎士達と共に野宿する素振りは見せておく、ということらしい。
ともあれ、女性四人用の相部屋一室だけは何とか確保した。
「ねぇ、酒場に顔出してみない?」
荷物を宿泊部屋に押し込み、再び広場に集合したところで、アネッサが昼間から経営している宿屋一階の酒場を指差した。
ここでリテリアは、ピンと来た。
この大魔宮前に於ける第三騎士団管理部隊の評判を聞いておこうという趣旨に違いないと考えたのである。ここに居座っている万職や行商人達が、グラナドル達に対してどの様な印象を抱いているのかで、今後の方針が大いに変わってくるだろう。
そんな訳でリテリア、アネッサ、ミルネッティの三人だけで遅い昼食を取るという名目で、酒場の隅のテーブルに陣取ることにした。
街や村の様に安定した食材の供給がある訳ではない為、供される料理は流石に余り豪勢なものは無い。
それでも野宿での自炊に比べれば、かなりマシな方であった。尤も、店内の他の客を見渡してみると、大半の騎士や万職は味よりも量を重視しているらしい。
「さて、客層と組み合わせは……」
アネッサが串焼き料理を頬張りつつ、それとなく周囲をぐるりと見渡した。リテリアも、ほんの僅かに面を左右に振る程度に留めてはいるが、どの様な組み合わせで、どういった表情が多いのかを探る。
どうやら騎士は騎士だけで、万職は万職だけで、行商人は行商人だけでグループを構成したり、或いはおひとり様で料理を味わっている者ばかりであった。
騎士と万職、或いは騎士と行商人といった組み合わせは見られない。各グループはどのテーブルもカウンターも静かなもので、食事をとりながらの歓談という光景はどこにも無さそうであった。
「何だか酒場って雰囲気じゃないよね」
アネッサがそっと声を忍ばせる。
リテリアも、同意見だ。まるで騎士、万職、行商人が異なるグループに対してそれぞれ警戒網を張り、耳をそばだてている様にも見える。
酒場全体を覆っている空気が妙な緊張感に包まれているのは、この所為だろうか。
特に万職から騎士に向けられる視線の鋭さは、奇妙な違和感を覚える程であった。
「あんまり、良い雰囲気じゃないみたいだね……」
眉を顰めたミルネッティ。だがその直後、彼女の顔が凍り付いた。
不意に背後から投げかけられた声に、異常なまでの緊張と恐怖心が滲んでいた。
「おい、おめぇ……ミルネッティじゃねぇか」
いつの間にかミルネッティの背後に、中年手前程の髭面の男が木製ジョッキ片手に佇んでいた。
ミルネッティは凝り固まった表情のままゆっくりと振り向いた。
「ガ、ガレンスキー、さん……?」
彼女の全身が、ガタガタと震えている。
まさか――リテリアはガレンスキーと呼ばれた男が何者なのか、直感的に察した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます