第35話
二日に亘って深い森の中を突破したところで、漸く視界が開けた。
「ここが、シェルバー大魔宮……」
初めて見る超難度地下魔宮は、しかしリテリアにとっては少し不思議な光景だった。
その一角に生い茂っていた筈の樹々は全て伐採され、森の中とは思えない規模の広場になっている。
そこには二桁を優に超える数の天幕や粗末な木製の小屋などが点在しており、一部の建物は本格的な屋敷といって良い程のサイズを見せている。
地下魔宮の入り口というよりは、どこかの寺院の小さな門前町を連想させた。
行き交うひとびとの数も、決して少なくはない。その半数近くはエヴェレウス王立騎士団の軽装に身を包んでいるが、それ以外では行商人や万職の姿も結構な人数で目に付いた。
そして肝心のシェルバー大魔宮はというと、その全容がすぐには見ることが出来ない。というのも、ドーム状に組まれた木組みの巨大な傘が大魔宮の入り口をすっぽりと覆い隠してしまっているからだ。
この傘には天幕に使用されるのと同じ、油を染み込ませた撥水式の丈夫な布が張り巡らされており、傘の内部に入らなければ大魔宮の突入口すら見えない構図となっている。
「では、参りましょうか」
プリエスの先導でリテリア、アネッサ、ミルネッティ、ソウルケイジ、そして護衛小隊の騎士10名が、ひと際大きな木造建屋へと歩を進めていった。三階建ての、結構な規模を誇る建物だ。
ここが、大魔宮を現地管理する王立第三騎士団の宿営本部だった。
プリエスが玄関脇に佇むふたりの衛兵と短いやり取りを交わした後、全員が宿営本部内へと通された。エントランスはそれなりの面積があり、騎士団の一個中隊がまるまる収まるぐらいの広さはある。
その中の一角、受付窓口となっているカウンターでプリエスが王家発行の突入許可証を提示した。本来であればこれで手続きは完了し、後は突入に備えて諸々の段取りを進めることになっていた。
ところが――。
「ふん……ちょっと待ちな」
カウンターの奥から、長身の騎士がゆっくりと近付いてきて、受付の男を脇へ追いやった。
どうやら、それなりの階級にある騎士らしい。プリエスはこの男とは面識があるのか、幾分険しい表情で、突入許可証を手に取ってじっと凝視しているその男を睨みつけていた。
長身の騎士は、ひと通り突入許可証を読み終えると、そのまま無造作にプリエスに押し返した。
「駄目だ。許可出来ねぇ」
そのひと言に、リテリアは耳を疑った。一方のプリエスは予想していたのか、怒りの表情ではあるものの、決して驚いたり声を荒げる様な真似はしなかった。
「……理由を聞かせて貰おう」
「王家が許しても、俺が許可しねぇからだ」
リテリアは思わず息を呑んだ。王家の突入許可証があるにも関わらず、現地の騎士の一存でそれを覆すことなど出来るのだろうか。
「グラナドル、貴様良い加減にしろ。何の権限があって王家の突入許可証をないがしろにするつもりだ?」
「権限ねぇ……おい、ここの規約原本を持ってこい」
プリエスに拒絶の意を示したその騎士、王立第三騎士団のジェレミー・グラナドルは部下に命じて、一枚の文書を持って来させた。
シェルバー大魔宮を管理する規約条項の原本らしい。グラナドルはその末尾に、何かを書き加えた。
「ようし、これが権限だ。俺の一存で突入希望者を拒絶することが出来る。異議申し立ては王宮に持ち込んで貰おう」
「な……貴様……!」
グラナドルがたった今、自筆で書き加えた新たな条項に、プリエスはわなわなと全身を震わせ、奥歯をぎりぎりと噛み締めている。
その様子を受けて、リテリアの傍らに居たプリエス配下の若い騎士が溜息を漏らした。
「これは……どういうことなのでしょう?」
「まぁ、いつものことといえば、いつものことなのですが」
その騎士は、第二騎士団と第三騎士団は現場レベルでは犬猿の仲であり、この手のトラブルは珍しくないと語った。
騎士団長や副長クラスにもなればこの様な下らぬ諍いは無く、稀に主張がぶつかって議論が白熱することはあるだろうが、現場の騎士達ともなると露骨に嫌がらせをしてくるケースは少なくないらしい。
それが今まさに、目の前で起こっている事態なのだという。
「貴様、王家に楯突く気か!」
「あのなぁ、こいつは許可証であって、命令書じゃねぇんだぜ。飽くまで、入っても良いってだけの話であってだな、現地を管轄する俺達がちゃあんと理由があって拒む場合は、その限りじゃねぇのさ。ほれ、よく見ろ。ここにもそう書いてあるだろ」
グラナドルはプリエスが手にしている突入許可証の末尾辺りを、ペン尻で軽く叩いた。
この様子を眺めていたソウルケイジが、リテリアに説明を加えた騎士に問いかけた。
「上層部は現場の状況を把握しているのか?」
「……してないと思います。特にこんな遠い場所で起こっていることには、中央はいちいち相手にもしようとしないでしょう」
その言葉に、リテリアは絶句した。
こんなことが平気でまかり通るというのは、如何なものであろう。
(でも、こういう体質だからこそ、あの冤罪も発生し得たという訳かな……)
リテリアは、自身を陥れた元聖女メディスの顔を思い浮かべた。王都や都市部では規律ある行動が取れている騎士も、いざこうして辺鄙な土地に追いやられると、矜持も何も無く、ただ感情の赴くままに好き勝手やっている。
これが王立騎士団の現状なのだろうか。
こんなことで本当に、アルゼンの将来を救うことが出来るのか。
リテリアは暗い表情で、木目の荒い床板に視線を落とした。
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