第33話

 宿屋一階の酒場では、或るひとつのテーブルに奇妙な程の注目が集まっていた。

 ミルネッティが、物凄い勢いで出されてくる料理を片っ端から平らげているのである。その勢いはとどまるところを知らず、アネッサやプリエスが注文した盛り合わせが次々と空き皿へと化してゆく。

 別段早食い競争をしている訳ではない。ただ単に、ミルネッティが己の食欲に身を委ねて、ひたすらに食いまくっているだけだった。


「お、お腹一杯に、なりました?」


 漸く落ち着いたところで、リテリアが何ともいえぬ笑みを向けた。

 正直、見目麗しい女性でありながらここまでがっついて食べる姿というのは、見たことが無かった。勿論森精種には純正人種の貴族社会で当然とされる作法など、ある筈もない。

 それは頭では分かっているものの、いざこうして目の前で見せつけられると、改めてカルチャーショックの様なものを感じざるを得なかった。


「あ、ねぇリテリア……ご主人様は、お食べにならないの?」


 僅か一日で、もうすっかり砕けた調子で言葉が交わせる様になっているミルネッティ。リテリアとしても、こうして気安く喋ってくれる方が気を遣わずに済むから有り難い。

 アネッサとプリエスも、ミルネッティには素のままで居て貰いたいと願っているらしく、今のこの姿には何もいおうとはしなかった。

 ただ、リテリアとしてはどうにも引っかかる点がある。

 ミルネッティはソウルケイジを、ご主人様呼ばわりしているのだ。一体どういうことであろう。


「ソウルケイジ様は基本、余りお食べにならないお方ですから」

「余りっていうか、全然なんじゃない?」


 リテリアの応えに、アネッサが速攻で突っ込んできた。プリエスも、何故あんなに何も食べないのに、あれ程の頑健な体躯が維持出来るのかと不思議そうに小首を傾げている。

 この時、リテリアは以前ソウルケイジが語っていた、1500年前の歴史について思い出していた。

 詳しい内容は、正直いってほとんど覚えていない。分かっているのは、今のこの世界よりも遥かに技術が進んだひとびとが住んでいたということぐらいだ。

 だがそれよりも気になっていたのは、どうしてソウルケイジがそんな大昔のことを、まるで自分の目で見てきたかの様に詳しく語っていたか、だ。

 まさか、とは思う。

 しかし今、目の前に居るミルネッティの様に長寿で有名な森精種という存在がある。

 もしかするとソウルケイジは、森精種をも凌駕する圧倒的な長命の存在で、しかも食事や睡眠をも必要としない絶対的な生命力を持つ人物なのではないかという仮説も、立てられないことは無いだろう。

 何より、彼が扱う不思議な武器の数々だ。

 ソウルケイジはあの黒い棒状の武器を、銃と呼んだ。そんなものは過去の文献を幾ら調べても、どこにも登場しなかった。

 となると、それらの文献が残され始めた頃よりも遥か以前に存在していた武器なのだろうか。

 では矢張りソウルケイジは――。

 そこまで考えた時、ミルネッティがそういえば、と不思議そうな面持ちでアネッサに小首を傾げた。


「ご主人様の専門技課って、何なの?」


 この時、卓の空気が一瞬にして静まり返った。

 アネッサは眉間に皺を寄せて微妙な表情を浮かべているし、リテリアも聞いたことが無かったと、今更になって思い返していた。


「戦士……じゃあなさそうだよね」


 自身の細い顎先を人差し指の腹でさすりながら、アネッサは考え込む仕草を見せた。

 当然ながら治癒法士でもない筈だ。

 しかし、処刑舞台の上でソウルケイジは、リテリアに治癒術と回復術を施した。あれ程の戦闘力を持ちながら特級聖癒士を上回る効能の治癒術と回復術を行使出来る者など、普通では考えられない。

(そういえばソウルケイジ様は、魔素と霊素の全ての組み合わせが使えるとおっしゃっていた……あれは一体……?)

 結局のところ、この疑問には誰も答えることが出来なかった。

 そこで、明日本人に直接訊いてみようということでこの話は打ち切りとなった。


◆ ◇ ◆


 その夜遅く、ミルネッティはほとんど裸に近い薄着でソウルケイジの宿泊部屋を訪ねた。

 命を助けてくれた御礼と、自分を仲間に加えてくれた感謝を伝えたかった。が、どうやってこの想いを伝えれば良いか分からない。

 だから、単純に夜伽で少しでも恩返しが出来ればと考えたのだ。

 ドルーガーの探索班でも、感謝を伝えるならば体で返せと散々いわれてきた。だから、他の方法が思いつかなかった。

 ところが、扉をノックしても返事が無い。まさかと思ってノブを掴んでみると、鍵がかかっていなかった。


(ご主人様、どこに……?)


 ミルネッティは恐る恐る部屋の中を覗き込んだ。すると木窓が大きく開け放たれているのが見えた。

 どこにいったのか――そっと木窓に近づき外を見渡す。が、どこにも居ない。

 そこで何の気無しに身を乗り出して屋根方向を見上げた。そして思わず、驚きの声を漏らしてしまった。

 ソウルケイジは屋根の上に居た。それも、頂点である棟の上に。


「ご、ご主人様、そんなところで何やってるの?」

「夜這い対策だ」


 妙な返答に、ミルネッティは変な声が漏れそうになった。

 本気でいっているのかと訝しんだが、ソウルケイジは冗談をいう様な性格だとは思えない。であれば、本当に女性からのアタックを避ける為に、あんなところに立っているのだろうか。


「あの……そこに行っても、良いかな?」

「命綱を使うならば構わない」


 そんな訳で、ミルネッティは窓べりに縄を括りつけ、これを命綱として自身の腰回りに巻いた上で窓から屋根の上へとよじ登った。


「ご主人様、夜這い対策ってさっきいってたけど……」

「文字通りの意味だ」


 ミルネッティの脳裏に幾つもの疑問符が浮かぶ。確かに、こんなところに立たれていたのでは余りに危険過ぎて、とてもではないが夜の御奉仕どころではない。

 そういう意味では間違い無く夜這い対策として機能しているだろう。

 しかし何故、態々そんなことをしているのだろうか。素直にその疑問をぶつけてみると、ソウルケイジは眉ひとつ動かさずに答えた。


「お前みたいなことを考える奴が居るからだ」


 まるで理解不能な回答だった。何故このひとは、女性からの夜の申し入れをこうまでして拒もうとするのか、ミルネッティにはまるで分からない。

 ならば、直接訊いてみるしか無いだろう。


「その……ご主人様は女性が嫌い?」

「好きでも嫌いでもない」


 ますます、理解に苦しむ返答だった。或いは同性愛者なのだろうか。しかしそれにしては、男性を傍に置いているところを見たことが無い様に思う。

 ひとつだけいえるのは、ミルネッティは自分がどう思われていようと、これから先一生、ソウルケイジについていこうと心に決めていることだった。


「ご主人様はボクのこと、嫌い?」

「好きでも嫌いでもない」


 先程と同じ答え。

 しかし、その声音は少しばかり、柔らかかった様に思えた。気の所為だろうか。


「ここは冷える。戻れ」

「うん……そうする」


 ミルネッティは、従うことにした。

 今は、自分が嫌われていないと分かっただけで満足しておこう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る