第31話

 薄暗く、冷たい空気が漂う石造りの通路の中。


「いつまでかかってやがる! さっさと終わらせねぇか!」


 すぐ後ろの石壁付近から野太い罵声が飛んできた。

 森精種(エルフ)の操設士ミルネッティはその瞬間、全身がびくっと跳ね上がる様に竦んでしまうのをどうにも止められなかった。

 今、ミルネッティの目の前には複雑な機構の金属扉が立ちはだかっている。この向こう側に、仲間達が目指しているお宝の山が隠されているということらしい。

 この金属扉には、幾重にも亘る錠前装置が仕掛けられていた。ミルネッティはその解錠の為に、先程から必死に指先を動かしている。

 以前の彼女なら、この程度の錠前装置など苦も無く解錠していただろう。だが今は、それが叶わない。視界が霞み、場合によっては二重、三重にぼやけてしまって、細かい作業に支障を来たしている。

 原因は、分かっていた。数日前、別の地下魔宮で或る施錠蔵箱の解錠の際に罠が作動し、毒霧を両目に浴びてしまったからだ。その罠の作動もミルネッティが原因ではなく、仲間のひとりが彼女の制止も聞かずに手を出してしまい、起動装置に触れたのが発端だった。

 それ以来、針の穴を通す様な細かな作業に於いて、ことごとく支障が出ている。

 にも関わらず、彼女が所属する探索班のリーダーは従前と同じ結果を求めてきている。他の面々もミルネッティの現状には理解を示そうとはしてくれず、以前より遥かに落ちてしまった解錠効率を全てミルネッティの責任だと罵倒し続けていた。

 それでも、ミルネッティは彼らの為に指先を動かし続けた。

 自分を操設士として受け入れてくれる探索班は、もう他には無い。行く当てが無い。頼れるひとが居ない。だからこうして罵られ、虐待に近しい辱めを受けても必死に耐え、貢献しようと努めた。


「あいつぁもう、駄目かもな」

「もう良い加減、他に乗り換えるか? そろそろ抱くのも飽きちまったしなぁ」

「へっ……それなら最後にヤり捨てちまうか?」


 下卑た声が、聞こえよがしに飛んでくる。

 棄てられたら、もう終わりだ――その恐怖感を煽る為に、態と大声で喋っているのだろう。

 森精種は、ここエヴェレウス王国領内ではほとんど奴隷に近しい扱いをされることが多い。

 ミルネッティの故郷の森も他国から侵入してきたと思しき純正人種(ヒューマン)の奴隷収集隊に襲われ、焼き討ちにされた。

 辛うじて生き残り、難を逃れたミルネッティだったが、操設士としての技量を活かして何とか生きる術を得たものの、その待遇は決して良くはなかった。

 圧倒的多数の純正人種に比べて、ほとんど絶滅危惧種に近しい数しか存在していない森精種は、この世界ではおこぼれに与ることでしか生きていけない卑小な種という扱いとなっていた。

 本来であれば森精種は、豊富な魔素と巧みな精霊法術を駆使する精霊道師として力を発揮するのが、最も生き残り易い道だといわれているのだが、ミルネッティにはその才能が無かった。

 正確にいえば、魔素の量は十分にある。だが、精霊法術を学ぶ機会が無いままに、故郷が破壊された。操設士としての技量は偶々、幼い頃から興味本位で身に着けていたのが、予想外に機能したというだけのことに過ぎない。

 その為ミルネッティは森精種の中でも、落ちこぼれに近しいという見方をされていた。

 だが、それでも生きたい。生きて、散り散りになった兄弟や幼馴染みと再会を果たしたい。ただその思いだけで彼女は、ひたすらにその技量を振るって来た。

 その生活も今や、風前の灯火だ。視界が安定しない操設士など、三流どころかほとんど存在意義が無いに等しい。実際、今ミルネッティを仲間に加えている探索班の男達も、いつ彼女を追放しようかと日々相談を重ねていることを、ミルネッティはよく分かっていた。

 恐らくだが、ミルネッティが未だに追放されずに済んでいるのは、森精種の女性としての体質だろう。

 森精種は基本的に長命だ。その為、生殖能力が純正人種よりも相当に劣っている。もう少し詳しくいえば、妊娠率が極めて低いということになる。

 その為、性奴隷としての彼女らの利用価値は、人間の売春婦のそれよりも遥かに高かった。子を孕む危険性がほとんど無いのだから、男達にとってはこれ程に都合の良い性玩具は存在しないだろう。

 だからミルネッティは、今もこうしてあの男共の手元に置かれているのだ。ただ、それだけに過ぎない。もし何かの都合で少しでも不要と判断されれば、彼らは容赦無く彼女を斬り捨てるだろう。

 そして――その恐るべき事態が今まさに、ミルネッティの身に降りかかろうとしていた。


「おい……拙いぞ! さっきの醜豚人(オーク)共が戻ってきやがった!」


 仲間のひとりが緊張にまみれた叫びをあげた。

 その声に釣られて、ミルネッティは通路左手の奥へと面を向けた。そこに、20を超える凶悪な姿が怒涛の勢いで迫ってくる光景があった。


「やべぇ……こりゃ流石に無理だ! 逃げるぞ!」

「うぉ……ドルーガー兄貴、ちょっと待ってくれよ!」


 男達はミルネッティには目もくれず、我先にと逃げ出した。もし彼らのうち、誰かひとりでもミルネッティに手を差し伸べていれば、もしかしたら彼女も逃げ延びることが出来たかも知れない。

 だが、そうはならなかった。

 ミルネッティは少し前の戦闘で、左脚の脛に傷を負っていた。まだ止血すら出来ていない状態で、ミルネッティは解錠を命じられていたのである。

 だから、すぐに立ち上がって撤退することが出来なかった。


「ドルーガー兄貴! あのアマはどうすんですか?」

「構わねぇ、放っておけ! あいつを囮にすりゃあ、俺達は逃げられる!」


 それ以降、仲間の男達の声はどんどん遠ざかっていった。代わりに、醜豚人共の姿が凄まじい勢いで近づいてくる。


「あっ……」


 ミルネッティは、恐怖に震えた。

 醜豚人は緑小鬼と同様、純正人種や光性亜人(デミヒューマン)を性奴隷として慰み者にし、或いは種の量産具として子を孕ませる為に利用する。そして利用価値が無くなれば全身を斬り刻まれ、彼らの食糧として供される。

 そのことを知っていただけに、ミルネッティが絶望に囚われ、体が動かなくなってしまったのは、仕方の無い話であったろう。

 もう、何もかもが終わった。

 兄弟や、幼馴染みとまた会える日を楽しみにしていたけど、それも叶わなくなった。

 悲しくて、辛くて、涙が止まらなかった。


◆ ◇ ◆


 耳を劈く炸裂音が、石造りの地下魔宮の中で大気を激しく振動させた。

 ソウルケイジのレーザーガトリングが壁面や天井を破壊しない程度の抑制出力で、数千に及ぶ熱弾をばら撒いた。

 その結果として二十数体の醜豚人共が文字通りミンチとなって、無残な最期を遂げていた。

 この時、ソウルケイジは足元にひとりの娘が気を失って倒れている姿を捉えた。

 豊満でありながら、すらりとした体躯が美しい。だがそれ以上に目を引いたのが、僅かに伸びて先端が尖っている両耳であった。

 どうやら、森精種らしい。

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