第30話

 特級聖癒士とは結局のところ、どれ程の戦力になり得るのか。

 万職相互組合クルアドー支部が斡旋してくれた宿の一室で、リテリアはふとそんなことを考えた。

 治癒術や状態回復術、強靭法術といった支援技能には自信がある。しかし接近戦や遠隔戦に於ける攻撃手段は一切何も身に着けていない。

 徒手空拳による護身術を除いては、他者を直接攻撃することは、カレアナ聖導会の教えに反するからだ。

 しかし、本当にそれで良いのだろうか。


(私はいつだって、誰かに守って貰えなければ何も出来ない……)


 祈らずの大洞窟内ではアルゼンに、処刑舞台の上ではソウルケイジに、そしてここクルアドーに辿り着くまでの道程では第二騎士団の護衛小隊によって常に守られ続けてきた。

 自分の治癒術で、誰かの肉体を癒すことは出来る。しかし、本当の意味で他者を守ることは出来るのか。そもそも、自分自身を守ることすら出来ないのに、他の誰かを守ることなど可能なのだろうか。

 如何に聖導会の教えといえども、これが本当に正しい道なのか。

 ここのところリテリアは、ソウルケイジや王国の騎士達の力を見るたびに、そういった疑問を自らにぶつける様になっていた。


(アネッサも、万職に転職してからは棒術を身に着けたっていってたっけ……)


 聞けば、緑小鬼ぐらいなら一対一で戦っても後れを取らない程度の技量に鍛えているとの由。

 つまりアネッサは、その気になればひとりで何とか生き延びるぐらいの生存力に達しているともいえる。


(何だか……羨ましいな……)


 そんなことを考えながらベッドの上で大きく伸びをすると、不意に胃の辺りから音が鳴った。そういえば、万職相互組合クルアドー支部長の招待でちょっとした食事会に招かれたのだが、あの席では食べるよりも会話の方に力を入れてしまい、結局満足に食べ終えることが出来なかった。

 一階の酒場は朝方まで経営しているという話だったし、少し小腹を満たす為に下りてみようかと考えた。


(この時間に余り沢山食べるとお腹についちゃうけど……ちょっとぐらいなら良いよね)


 などと己に弁解しつつ、リテリアは薄い部屋着の上から少し厚手の上着を羽織って廊下へ出た。

 そして階段を下りながら眼下に広がる酒場のフロアーを眺めてみると、テーブルのひとつに見慣れた顔が幾つか見えた。

 ソウルケイジ、プリエス、そしてアネッサの三人が何かの盛り合わせの大皿を囲んで、雑談に興じている様だった。


(あ……何だか、珍しい)


 リテリアはソウルケイジが食事の席に居る姿を、今まで見たことが無かった。そもそもあの謎の巨漢は日頃から飲み食いしているのだろうかという疑問すら抱いていた。

 そんなことを考えていると、リテリアに気付いたらしいアネッサが手を振ってきた。席が空いているから一緒にどうだということなのだろう。

 プリエスも笑顔で手招きしている。ソウルケイジは相変わらず無表情で見向きもしないが、ふたりに誘われた以上は無下に断るのも悪いと思い、素直に相伴に与ることにした。

 それにしても、プリエスの雰囲気が今までとは余りに違い過ぎて、リテリアは内心で溜息を漏らした。

 今のプリエスは抜群のスタイルがそのまま浮き出る薄手の部屋着で、鎧を纏っている時の凛々しさとはまるで印象が異なった。湯浴みを終えているのか、若干濡れている髪に色気を感じる。

 そして雰囲気が違うといえば、ソウルケイジも同様だった。いつもは漆黒のロングコートで全身をすっぽりと覆い隠しているが、今は薄手のシャツにロングパンツという姿だ。

 そしてその二の腕の太さにも思わず目が行ってしまった。


(凄い……私のウェストと、ほとんど同じぐらい……?)


 まさに豪腕と呼ぶに相応しい丸太の様な筋肉だ。しかし決して筋肉達磨という訳でも無い。絞るべきところは絞り、全体にバランス良く、完璧な程にシェイプアップされた筋肉美を披露している。

 これ程に均整の取れた肉体美を、いつもロングコートで覆い隠しているのが何となく勿体無い様に思えてしまった。

 一方、アネッサはいつも通りといえば、いつも通りだ。凹凸はやや乏しいものの、全体にすらりとして、しなやかさが際立っている。聖癒士だった頃から運動神経が良かったが、今の彼女は以前よりも更に洗練された肉体を手に入れた様にも思えた。


「はぁ……何だか、羨ましいな」


 つい、そんな愚痴とも本音ともいえぬひと言が漏れてしまった。するとアネッサが逆に驚いた様子で、何事かと覗き込んできた。

 リテリアはどう答えたものかと迷ったが、しかし結局、プリエスやアネッサの様な戦闘能力が欠片も無く、力強さやしなやかさに乏しい自分の体が嫌になってきていることを素直に白状した。


「え~……あたしから見たら、リテリアってすんごいプロポーションしてるよ。しっかり凹凸が際立ってるし、ウェストなんてすっごく細いし、お尻は小さいし、脚だって太くないじゃん」

「え、ちょっとアネッサ……ソウルケイジ様の前だよ」


 リテリアは頬が上気するのを感じながら、大いに慌てた。しかしアネッサのみならず、プリエスも艶然と微笑みながら、もっと自信を持って下さいと静かに笑った。

 正直なところ、美醜という点で他の女性と自分自身を比べたことが無いから、よく分からない。しかし今の自分が非力だということだけは強い自覚がある。それだけに、アネッサやプリエスから体の女性らしさを褒められるのは、何となくこそばゆいというか、気恥ずかしさの様なものを感じた。

 ところがソウルケイジは、ふたりの女性とは違う方向性で問いかけてきた。


「強くなりたいのか?」


 そのひと言にリテリアは一瞬、押し黙った。

 強くなりたくない、などといえば嘘になる。しかし聖導会の教えを破る訳にもいかない。そのジレンマが、胸の奥底で濁流の様に渦巻いている。

 しかしソウルケイジは、リテリアのそんな葛藤などまるで知ったことではないといった様子で、リテリアに視線を合わせもせずに低くいい放った。


「カレアナ聖教国で教義が一部改正されたことを知らん様だな」

「え……そんなことが?」


 カレアナ聖導会の総本山、カレアナ聖教国はエヴェレウス王国から見て北の位置、大陸北部に版図を広げている。聖教国からは毎年、各国の首都や王都に置かれている聖導会本部に諸々の通達が出されているが、今ソウルケイジが口にした教義改正については、リテリアはまだ何も知らなかった。


「東の超大陸で猛威を振るっている鉄血帝国の脅威に備える為、教義を改正したそうだ」


 曰く、聖導師と聖癒士にも、護身を目的としての戦闘技術鍛錬が認められたというのである。

 それが事実なら――リテリアの美貌に、明るい色が一気に咲いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る