第28話

 王都シンフェニアポリスを出て、初日。

 シェルバー大魔宮を目指すリテリア、アネッサ、ソウルケイジの三人は、第二騎士団から派遣された護衛騎士達と共に、街道沿いの野営地で夕食の準備を進めていた。

 目的地まで行くには、馬の脚で一週間はかかるとされている。しかも移動ルートは辺境の都市クルアドーを越えた辺りから街道を外れてしまい、乗合馬車を利用することも出来ない。

 そこで王太子アーサーが便宜を図り、護衛兼物資輸送担当として第二騎士団から長距離移動任務に長けた小隊の派遣を都合してくれた。

 護衛小隊の長はプリエス・ナザードという女性騎士だった。ソウルケイジは兎も角、リテリアやアネッサと行動を共にするなら、女性の方が何かと心安いだろうというアーサーの心遣いが感じられた。


「野営の準備は我らにお任せ下さい」


 プリエスは馬から荷物を下ろしていたリテリアとアネッサにひと言添えてから、部下達に手早く指示を出してゆく。その慣れた所作には経験の豊富さから来る頼もしさが感じられた。

 野営地は街道から脇にそれた茂みの合間の草地が選ばれ、その傍らには物見台の代わりとなる大きな岩が鎮座していた。

 その岩の上に、ソウルケイジが無造作に佇んでいる。


「光金級殿、どうか見張りは我らにお任せ下さい。貴方の様な国賓級の御仁に見張りをさせてしまうなど、私共にとっては厳罰ものです」


 小隊副長の若い騎士チャンドラー・トルトレアが慌てに慌てた表情で岩の下から呼びかけたが、ソウルケイジは、


「断る。お前達の索敵警戒能力は俺の千分の一にも満たない」


 と、にべも無かった。

 困り果てた様子のチャンドラーは、仕方無さそうにリテリアに泣きついてきた。

 しかし例えリテリアでも、ソウルケイジの行動に歯止めをかけたり、諫めたりすることは出来ない。あの男は徹底して天上天下唯我独尊を貫く孤高の存在だ。エヴェレウス国王ですら口出しは叶わないだろう。


「申し訳ありません。どうか、彼の好きな様にやらせてあげて下さい」


 そんなリテリアの弁に、チャンドラーは幾分肩を落として野営準備に戻っていった。

 すると、そこへアネッサが妙にニヤニヤした顔つきで後ろからリテリアの肩をつついて来た。


「ねぇリテリア……昨晩はどうだったの?」


 まさかの不意打ちに、リテリアはぎょっとした表情のまま、頬が紅潮するのを感じた。

 実は昨夜、リテリアは個人的に御礼をいいたいとの意向を示し、ソウルケイジが滞在していた宿を訪れたのである。

 純潔を第一とする聖癒士たる者、夜に異性の個室を訪ねるなどは本来ならばご法度だ。

 しかし今回ソウルケイジがリテリアを窮地から救い出したあの活躍はまさに英雄と讃えられて然るべきだと、カレアナ聖導会シンフェニアポリス本部の筆頭聖導師ブラントが妙な気を利かせてきた。

 ブラント聖導師は是非とも御礼をしなさいと、何度も何度もリテリアに諭し続けた。リテリアとしても命の恩人である上に、名誉まで回復してくれたソウルケイジに感謝の意を示すことは吝かではない。

 ただ、どうやって御礼の気持ちを表せば良いのかが分からなかった。

 そこでソウルケイジと同じ万職のアネットに相談したところ、


「そりゃもう、決まってるじゃない。あんな色男よ。夜の御奉仕以外に何があるのよ」


 などと、さも当たり前の様にいい放った。

 かつては下級聖癒士だった筈のアネッサが、こうも簡単に男女関係の話を持ち出してくることに多少の衝撃を覚えたリテリアだったが、一年の万職生活で、色々と考え方が変わったのかも知れない。

 そんなアネッサのアドバイスを受けて、リテリアは正直、困ってしまった。今まで聖癒士として生きてきた以上、当然ながら異性との男女としての交遊関係は皆無のリテリア。

 一応恋愛や性的関係の知識は、あるにはある。しかしそれらはいずれも書物や、経験者から聞きかじって得た程度の内容であり、現実としての知見はからっきしだった。

 英雄色を好む、という言葉があることも知っている。だから、アネッサがいうことも理解出来る。

 しかし自分自身の心は、どうだろう。更にいえば、ソウルケイジは中途半端な気持ちの女を、受け入れてくれるだろうかという不安もある。

 その為、アネッサの提言を受けて夜の個室を訪れるというのは、リテリアにとっては一世一代の大勝負に近しい気合が必要だった。

 とはいえ、ブラント聖導師までもが潔く行って来いなどと変な調子で背中を押すものだから、リテリアとしても引くに引けない状況に陥ってしまった。

 後はもう、腹を括るだけだ。


(私はソウルケイジ様のことを、どう思ってるんだろう)


 一瞬リテリアの脳裏に、アルゼンのやるせなさそうな顔が浮かんだ。次いで、一度は婚姻の話が持ち上がっていたクロルドの何ともいえない表情。

 どういう訳か、自分はとても嫌な女、はしたない女だという後ろめたい気持ちが湧き起こった。

 それでも、もう引き退がることは出来ない。リテリアは、覚悟を決めた。

 そして、昨晩。

 意を決してソウルケイジの宿泊部屋を訪れたのだが、その時の反応は、まさに仰天ものだった。


「え……何て? もう一度、いってくれる?」

「えと、それがね……ソウルケイジ様、寝ないんだって……」


 リテリアは、木窓を開け放したまま夜の街並みを凝視し続けるソウルケイジに、どの様に接すれば良いのか皆目分からなかった。

 食事は不要、休憩も不要。更には睡眠まで不要と来た。こんな男に、どう声をかければ良いのだろう。

 一応リテリアも頑張った。ベッドに腰掛け、ソウルケイジが歩み寄ってきたらいつでも迎え入れようと心の準備を整えた。

 しかし睡魔には勝てず、結局眠ってしまった。


「それで、朝になって目を覚ましたら……ソウルケイジ様、全然姿勢を変えないまま、ずっと窓辺に立ちっ放しで……」


 声を搾り出してから、リテリアは岩の上に佇むソウルケイジの端正な顔立ちに視線を送る。ソウルケイジの顔には疲労の色は微塵も無く、肌の状態も悪くない。

 リテリアは、凄まじい不安に駆られた。

 今後あの超人とどの様に接していけば良いのか。

 異性として受け入れて貰えなかったとか、女のプライドが傷つけられたとか、そんなレベルの話ではない。ソウルケイジは余りにも、ひとりの人間として超然とし過ぎている。


(私……上手くやっていけるかな)


 リテリアは一瞬俯いてから、再び顔を上げた。と、ここで妙なことに気付いた。


(そういえばソウルケイジ様……瞬きとか、しないのかしら)


 リテリアは、岩の上の男が瞼を閉じた瞬間を見たことが無かった様な気がした。

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