第22話
鉄格子を叩く音が数度、牢獄内に響き渡った。
リテリアはうっすらと目を開け、そして上体を起こす。
いつの間に眠ってしまったのか、まるで記憶が無い。そもそも、今まで眠っていたのか、気を失っていたのかもよく分からなかった。
喉がからからに乾いている所為か、声も上手く出せない。仮に今、誰かから問いかけられたところで、しっかりと言葉を返すことが出来るかどうか。
「あら、随分よくお眠りだこと。ここまで図太いとは思っても見ませんでしたわ」
篝火に照らし出される薄暗い地下牢通路側に、メディスの姿があった。彼女はさも満足そうに、艶然と微笑んでいる。
その背後にはふたりの騎士姿の男が控えていた。
リテリアはもう、挨拶する気力も無かった。二日前に知った、アルゼンの境遇。あれ以来、もう何もかもがどうでも良くなった。実際彼女は、朝晩に供される食事にもほとんど手を付けていない。
一度だけ看守がやってきて、無理矢理喉の奥に硬いパンと臭みのある乳を押し込まれた。獄中死ではなく、衆人環視の前で公開処刑されなければ意味が無い、などという台詞を吐いていた様な気もするが、よく覚えていなかった。
「それにしても、かつては一世を風靡した特級聖癒士殿も、今となっては見る影も無いわね」
メディスは可笑しくて堪らないといった様子で、華やかな柄の扇子をかざして口元を隠した。肩が小刻みに震えて、どこかくぐもった様な笑い声が漏れてきた。
「何の……御用、ですか……」
辛うじて、かすれた声を搾り出した。用事があるなら、さっさと済ませて帰って欲しい。
今のリテリアにはメディスの言葉遊びに付き合うだけの気力も体力も残されていなかった。
「宜しいですわ。では教えて差し上げましょう。明日、貴女の斬首刑が執り行われることになりましたの。それを態々わたくしが伝えて差し上げましたのよ。光栄に思いなさいな」
ああ、そうか。とうとう決まったのか。
リテリアは衝撃も無ければ、死の恐怖も感じていない。諦観が彼女の思考を支配していた。
ところがメディスは、少し不満顔だった。リテリアがもう少し泣き喚き、命乞いする様を期待していたのかも知れない。
と、ここで何かを思いついた様子のメディス。彼女は鉄格子前でしゃがみ込むと、リテリアと同じ高さの目線でじっと覗き込んできた。
「ところで、ここの具合はどうですの? もう治りました?」
いいながらメディスは、自身の側頭部を指差した。リテリアはその動作に釣られて、思わず自分の同じ箇所に指先を添える。
そこで軽い痛みが走った。そう、その箇所は祈らずの大洞窟内でリテリアを気絶せしめた、何者かに強打された患部だった。
しかし、何故メディスがそのことを知っているのか。この殴打のことは誰にも話していなかった筈だ。
そこまで思いかけて、リテリアははっと息を呑んだ。
そんな、まさか――恐るべき疑惑が、突如として湧き起こってきた。
「あらあら、貴女やっと気付いたのぉ? 信じられないぐらい、トロ臭い女ねぇ」
メディスは立ち上がり、哄笑を撒き散らした。耳障りな甲高い笑い声が、地下牢内外で響き渡った。
リテリアは我知らず、両手で鉄格子を掴んだ。そのまま呆然とメディスの高笑いを見上げ続ける。
やっと興が乗ったのか、メディスは嬉しそうに後方の騎士のひとりを振り返った。
「貴方も、もう少し手加減しなきゃダメじゃない。相手はこう見えても淑女なのよ?」
「はっ……少々力を入れ過ぎた様子で」
聖女から笑顔で咎められた中年の騎士は、こちらも嫌らしそうな笑みを浮かべてわざとらしく肩を竦めた。
だが、これで確信した。
祈らずの大洞窟内でリテリアが第四騎士団への伝令に失敗したのは、この男に気絶させられたからだった。しかし何故、そんなことをしなければならなかったのか。
どうしてリテリアは、メディス配下の騎士に狙われなければならなかったのか。
「何故、なのですか……何故、そんな、ことを……」
「あ~らぁ、そんなことも分からないの? ほんと貴女って頭悪過ぎねぇ。そんなこと、決まってるじゃない……わたくしが楽をしたいからよ」
意味が分からなかった。メディスが楽をするのと、自分が洞窟内で襲われるのと、何がどう繋がるというのだろうか。
「だってね。わたくしがこれから聖女として大々的にデビューしようにも、先に貴女のどうでも良い評判が立っちゃってるから、わたくしがどんなに美しくて誉れ高き聖女として振る舞っても、インパクトがイマイチなのよねぇ。で、こう思ったの。忌々しい特級聖癒士の名声を叩き落としちゃえば、わたくしもっと楽に、聖女として皆様方に認められるんじゃないかなぁって」
だから、今回の策を仕組んだ――そういうことなのか。
そんな下らないことの為に、大洞窟内であれだけ多くの命が失われたというのか。そしてアルゼンは、これからの人生を地獄の苦痛に見舞われなければならなくなったのか。
多くのひとびとの命を、人生を、どうしてこうも簡単に踏みにじることが出来るのか。
この暁の聖女と呼ばれる女は、本当に聖女たる資格があるのか。
「まぁ貴女がトロ臭いお陰で、わたくしが思っていた以上の成果が出ましてよ。そのことだけは、褒めて差し上げても良いわね」
メディスは今まで以上に甲高い嬌声を振り撒き、大声で笑いながら地上に続く階段へと踵を返した。
そして、他に誰も居なくなった地下牢で、リテリアはその場に這いつくばり、胸の奥が焼ける様な苦痛を覚えた。胃の中には何も入っていないが、凄まじい嘔吐感が襲い掛かってくる。
どうして、何故。
その疑念だけがずっと脳裏から離れない。
あの女のどこに、あれだけ大勢のひとびとを犠牲にする権利が認められているというのか。
リテリアの脳裏に再び、あの大洞窟内で命を落とした騎士達の無残な最期が蘇る。
悔やんでも、悔やみきれない。
だが、全てが手遅れだった。
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