第21話

 万職相互組合シンフェニアポリス本部のエントランス兼ロビーで依頼掲示板を眺めていたソウルケイジは、背後からの声にはすぐに反応しなかった。


「ねぇ……ソウルケイジってば! 呼んでるんだから、こっち向いてよ!」


 ひと通り掲示板の内容を読み終えてから振り向くと、治癒法士アネッサの、幾分紅潮した頬を膨らませている愛らしい顔があった。

 その傍らに、聖癒士の簡易軽装に身を包んだ娘の姿があった。その表情は暗く、視線が微妙に漂いがちだ。

 ソウルケイジは頭ふたつ分程の低い位置に、黒い瞳の先を据えて見下ろした。


「やっと応えてくれたね……紹介するわ。こちら、上級聖癒士のソフィアンナ・マデロウよ」

「マデロウです。光金級の万職殿に於かれましてはご機嫌麗しゅう」


 紹介を受けたソフィアンナが作法に則って礼を執った。

 すると周囲から好奇の視線が集まり、そこかしこからざわめきが聞こえてくる。多くの万職達が、自分も是非挨拶したいという様子をちらつかせているが、ソウルケイジは一切無視してアネッサとソフィアンナだけに注視していた。


「その……ちょっとそこで、相談させて貰えないかな?」


 アネッサは受付カウンター横の相談用個室を指差した。

 万職への依頼には、時折余り大きな声ではいえない様な種類のものが持ち込まれることがある。その際、万職と依頼者が個別に顔を合わせ、依頼内容について相談をしたい場合もあるだろう。そういった用件の為に、相互組合では相談用個室を用いることを推奨している。

 ソウルケイジは静かに頷き返し、アネッサとソフィアンナの後に続いて手近の相談用個室へと足を運んだ。

 室内には小さな丸テーブルと幾つかの木椅子が用意されている。三人がそれぞれ席に就くと、アネッサが簡単に礼を述べてから早速本題に入った。


「あのさ……この間、騎士団に捕まった特級聖癒士の話って、知ってる?」

「知っている」


 アネッサが問いかけた時、ソフィアンナは一瞬だけ身を竦ませる様な反応を見せたが、ソウルケイジは相変わらず表情に変化が無い。何故そんなことを訊くのかと、眉間に皺を寄せる様なことも無かった。

 余りの無反応にアネッサは肩透かしを食った様な顔つきだったが、それでもひとつ咳払いを放ってから言葉を繋いだ。


「それでね……もし、その特級聖癒士が無実の罪を被せられてたら、どうやってその証明が出来るのかをずっと考えてたんだ」

「無意味だ。この国では権力者の決定が全てだ」


 事実など、どうでも良い。要は権力者にとって都合の悪いことは全て有罪になる。それがここ、エヴェレウス王国の法制度だ。

 ソウルケイジは何の躊躇いも無くいい切った。その身も蓋も無い言葉にアネッサはあんぐりと口を開け、ソフィアンナは苦しそうな表情で俯いた。


「え……それじゃあ、どんなに頑張っても、リテリアは助けられないって……そういうこと?」


 呆然と宙空で視線を揺らすアネッサ。

 だがソウルケイジは、この時点ではまだリテリアを救出する判断には至っていない。救う必要があるか無しかではなく、まだ手を出してはならないというのが彼の結論だった。

 しかしその思考をこの場では開陳しない。アネッサもソフィアンナも何も知らないだろうし、何も理解出来ないことは明らかだったからだ。

 実はソウルケイジは、リテリアが祈らずの大洞窟から生還して、その後どうやって潜伏し、そして王立騎士団に捕縛されたのか、その経緯を全て知っていた。

 リテリアの生体反応は常に把握しているし、半径10キロメートル圏内の全ての音声情報を収拾した上で、128キロビットの並列思考を駆使して分析もした。

 現在リテリアは、王宮の地下牢にて身柄を拘束されているが、生命に危険は及んでいない。仮に何かあったとしても、秒単位で突入して救出することなどいつでも出来る。

 だが今は、まだその時ではない。


(敵性外星体が投入した先遣兵の位置が未確定)


 それが、リテリアの救出に待ったをかけた理由だった。下手にこちらが先手を打てば、敵は後攻の利点を得て動く。既にソウルケイジは光金級という立場で世間に姿を晒した以上、未だ潜伏している敵にこれ以上の有利を与えるべきではなかった。


「ねぇ、ひとつだけ教えて……ソウルケイジは、王国政府にもう囲われちゃった?」

「接触したことがあるのは、試験官のジーク・バルハンドロだけだ」


 元光金級万職でエヴェレウス王国騎士団総長でもあるジークとは、昇格試験の際に手合わせした。しかしそれ以降は顔も見ていない。

 これから先どうなるかは分からないが、今のところ王国政府からの接触も無い。向こうもまだ様子見しているのかも知れない。

 と、ここでソフィアンナが思いつめた様子で顔を上げた。


「もし……もし私達がお願いしたら、ソウルケイジ様は、その、リテリア救出に協力して下さいますか?」


 ソフィアンナにとっては、持ち得る全ての勇気を振り絞っての申し入れだったに違いない。実際彼女は、今にも死にそうな表情だった。

 ソウルケイジは、そんなソフィアンナを黒い瞳で凝視して曰く。


「まだ早い」


 一瞬、アネッサもソフィアンナもソウルケイジが放ったひと言の意味を理解出来ていない様子だったが、更に数秒後、ふたりの表情が一気に明るくなった。

 時期尚早という判断はつまり、いずれ機を見て救出する意思があるということに他ならない。

 ソウルケイジの中では、リテリアの救出タイミングは既におおよそ、固まっていた。


(その時に恐らく、先遣兵も出てくる)


 それまでリテリアは放置だ。彼女がどれ程の身体的、精神的苦痛を受けることになろうとも、ソウルケイジにとっては己に与えられた命令の遂行だけが唯一にして至上だった。

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