第20話
鉄格子の向こうで、篝火の炎が僅かに揺らめいた。
冷たい石床に座り込み、力無く俯いていたリテリアは、複数の人影が地下牢の通路側に現れたことを知り、僅かに面を上げた。
近衛騎士団の副長レンダル・ギャラハンが、そこに居た。
更にその後方には、三つの人影が見えた。そのうちのひとりは、アルゼンだった。
この時、リテリアは目を見開いた。鼓動が高鳴り、喉の奥から小さな呻き声の様な響きが漏れ出した。今、目の前にある光景がすぐには理解出来なかった。
アルゼンは、片脚だった。
右膝から先が失われ、幾重にも包帯が巻かれた切断部には血が滲んでいる。
彼は左右から同僚の近衛騎士に支えられ、そのふたりに肩を借りる格好でここまで辿り着いたらしい。
アルゼンの面は憔悴し切っていた。その瞳には生気が感じられず、リテリアとは視線を合わせない様にしているのか、ずっと下を向いたままだった。
「ア……アルゼン……様……」
その名を呼ぶのが、精一杯だった。リテリアの口からはそれ以上の言葉が、すぐに出て来なかった。
そんなリテリアを、レンダルは侮蔑の色を含んだ目でじっと見下ろしている。握り締めた拳が、僅かに震えていた。
「誰の所為でこうなったか、分かっているか?」
レンダルの怒気を含んだ声音に、リテリアは息を呑んだ。その瞬間、涙が溢れてきた。
態々聞くまでも無い。アルゼンがこの様な姿になってしまったのは全て、自分の所為だ。リテリアは全身が小刻みに震えるのを感じた。
恐怖でもなければ、怒りでもない。ただ、アルゼンに非道な運命を背負わせてしまった自分自身への悔恨が、今にも感情を爆発させようとしているだけであった。
しかしリテリアは堪えた。泣き喚いて済む問題では無かった。ここでレンダルから断罪を受け、アルゼンから罵倒の言葉を受けなければならない。
どんなに悔やんでも悔やみきれず、どれだけ謝罪しようとも決して許されない罪を、自分は犯してしまったのだ。
「あの夜……お前は濁流に自ら飛び込んで、我らの前から姿を消した。まさかお前があの様な行動に出るとは想定外だったが、ひとりだけ、お前の泳力を知っていた……アルゼンだ」
レンダルは一瞬だけ青ざめた顔の部下を振り返り、そして再びリテリアに視線を戻した。
「私の部下から聴取したところによれば、お前とアルゼンは以前から親しかったそうだな。そこでアルゼンに詰問した。アルゼンは、素直に答えてくれたよ」
ここでレンダルは言葉を切った。次に口にする台詞を、出来れば誰にも聞かせたくないという思いが滲んでいる様にも見えた。
暫し、目を閉じていたレンダル。
それからややあって、意を決した様子で再びリテリアの疲れ切った面に眼光を向けた。
「国家反逆罪に問われている者への逃亡幇助は、騎士の籍にある者は極めて重い。アルゼンには右脚切断と、騎士位剥奪の量刑が下された」
リテリアは両掌で口元を覆った。声が出そうになるのを必死で堪えた。
罪に問われている自分は、何ひとつ傷つけられていない。五体満足だ。それなのに、アルゼンには途方も無く過酷な運命を押し付けてしまった。
当然、アルゼンには恨まれるだろう。憎まれるだろう。そんなことは当たり前だ。しかし何より気がかりだったのは、これから先アルゼンは、どの様にして生きていかなければならないのか。
これまで積み上げてきた名誉を奪われ、肉体を傷つけられ、それでどうやって幸せになれるというのか。
自分はまだ良い。全ては己の責任だと罪悪感を覚えていれば良いのだから。しかしアルゼンにはまだまだ長い人生が待っている。
そんな彼に、一体どの様な言葉を投げかければ良いのか。
否、そもそも自分には語るべき言葉など、何ひとつ無いだろう。
だから、リテリアは何もいわなかった。レンダルもリテリアのそんな思いを汲んだのか、敢えて何もいおうとはしない。ただ突き刺す様な目で、じっと睨みつけてくるのみである。
再び、沈黙が訪れた。が、それもそう長くは続かなかった。
アルゼンがここで初めて面を上げた。しかしその瞳は依然として、リテリアから背けられたままだ。
「ここで、お別れです。ローデルク嬢」
恨み言ではなく、惜別の念が漂うひと言。
リテリアと目線を合わせようとしないのは、彼女が憎いからではなく、この様な姿を見せてしまったことへの悔恨なのだろうか。
勿論それはリテリアの勝手な、自己に都合の良い解釈だ。
しかしアルゼンは、そういう男だった。いつもリテリアには、もっと自分のことを考えろと諭していた若き近衛騎士だが、彼もまた同様に己のことよりも他者を思い遣ることが出来る人物だった様に思う。
そのアルゼンの心が、手に取る様に伝わってきた。
それ故に、リテリアは自分が許せなかった。どうしてこんなに良いひとを、素晴らしい友人を、傷つける様なことをしてしまったのか。
自分自身へのこの怒りは、一生消えることは無いだろう。
やがて、レンダルはアルゼンと他ふたりの部下を率いて、地下牢前から去っていった。
リテリアはただぼんやりと、その場にうずくまることしか出来なかった。
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