第19話
翌日、陽光が中天から降り注ぐ時刻。
大通りはいつもの様に大勢のひとでごった返し、周辺の脇道や路地裏にも通行人や買い物客などが多く見られる時間帯だ。
そんな中、頭からフードをすっぽりと被ったリテリアが、マントの裾を翻しながら緊張の面持ちで雑踏を掻き分けて進んでゆく。
左右には、同じくフードを目深に被ったローブ姿のソフィアンナとアネッサの姿があった。
三人は今、万職相互組合シンフェニアポリス本部を目指している。王国内ではどこを歩いてもリテリアは国家反逆罪に問われているお尋ね者だが、相互組合の建屋内に入ってしまえばこちらのものだ。
万職というのは全部が全部、まっとうな連中ばかりで構成されている訳では無い。中には何らかの罪を犯して自国には居辛くなり、罪状が及ばない他国への脱出手段として万職への転職を選ぶケースも少なくなかった。
そしてそういった事情の万職を守る為の救済策として掲げられているのが、万職相互組合が管轄する建物内ではどの国の権限も及ばぬ完全治外法権という制度だった。
万職相互組合としては犯罪者だろうが何だろうが、要は万職としての誇りを持って結果さえ出してくれれば良いというスタンスだ。誰がどの国でどの様な犯罪に手を染めていようが、知ったことではなかった。
勿論、多くの国々がこの制度には大昔から異を唱えているのだが、万職相互組合はそれらの要望を頑として受け付けず、決して応じようとはしなかった。
各国行政府としても、執拗に攻撃して万職相互組合の機嫌を損ねる様な真似はしない。仮に相互組合が対抗措置として完全撤退でもしてしまえば、その国に於ける各地の問題対処が立ち行かなくなる。
それ程までに万職という存在はどの国に於いても深く浸透している訳である。
アネッサが目を付けたのはまさに、万職の国境を越えた強権だった。如何にリテリアがエヴェレウス王国で指名手配を受けていようとも、他国で万職として活動する分には何の制限も受けない。要は彼女が罪状の及ぶエヴェレウス王国内で活動しなければ良いだけの話であった。
だからこそ今、三人は王都の万職相互組合本部を目指している。あの建屋の中に入りさえすれば、まずは第一関門突破だ。
大通りには、警備兵や王立騎士団の巡回兵の姿が幾つも見える。リテリアは彼らとすれ違う都度、息を呑む思いで立ち止まりそうになった。
が、そのたびにアネッサが、傍らから小声で囁きかけてくる。
「リテリア、止まらないで。堂々と歩くのよ。下手に立ち止まったりしたら却って怪しまれるわ」
聖癒士としてはリテリアの方が遥かに格上だが、万職としてはアネッサの方が一年先輩に当たる。リテリアは今回ばかりは全てアネッサの判断に委ねようと意を決し、いわれるがままに両の脚を動かし続けた。
やがて、万職相互組合の巨大な石造りの建屋が視界に入ってきた。
あともう少しだ。
ひと通りの中に見える警備兵や巡回兵の数が随分と多くなってきた様にも思えるが、兎に角も相互組合の玄関口までが勝負だ。
隠れ家からここに至るまで、十分に警戒を重ねて歩を進めることが出来た。ここから先も、上手くいくと信じて相互組合建屋との距離を詰めてゆくしかない。
そうしていよいよ、観音開きの巨大な木製扉が視界の中に収められる位置にまで近づいてきた。
(よし、行けるわ……自分を信じて)
リテリアは奥歯を噛み締めた。
特級聖癒士として務めてきた日々、祈らずの大洞窟で起きたあの惨劇、クロルドからも見放された川辺、隠れ家に身を隠して息を潜めた数日――それらが一気に、記憶の裏側を駆け抜けてゆく。
もう、この国に戻ってくることは出来ないという一抹の寂しさもあった。
しかし、振り返ってはいられない。生きる為には、このまま突き進んでゆくしかないのだ。
ところが、ここで思わぬ事態が生じた。
「あ、危ない!」
「皆、避けろ!」
不意に後方から、幾つもの怒声や悲鳴が重なり合い、そのうねりが次第に近づいてきた。と同時に、石畳の路面を激しく叩く馬蹄の響きと、がらがらと半ば空回りしているかの様な車輪の回転音が鼓膜を刺激した。
三人が振り向くと、大通りを一台の荷馬車が狂った様な勢いで驀進してくる。
御者台の男は必死になって手綱を引こうとしているが、荷馬車を引く馬は興奮の極みにあり、制御可能な状態ではなかった。
あれに巻き込まれるのは流石に拙い。アネッサとソフィアンナがリテリアの袖を引いて、群衆の裏側へ退避させようとした。
が、出来なかった。
リテリアの視線は大通りの石畳の路面、件の暴走荷馬車の進路上に小さな子供が逃げ遅れて転倒し、泣き喚いている姿を捉えていた。
その瞬間、リテリアは半ば本能的にふたりの静止を振り切って路上へと駆け出し、その幼子を抱きかかながら大通りを一気に横断した。
勢い余って群集の中へと転がり込み、その場にひとの輪による空間が生じた。
「だ、大丈夫?」
リテリアが慌てて、抱きかかえていた幼子を路面に座らせて安否を気遣った。幼子は大声で泣いてはいるものの、傷らしい傷はどこにも見られなかった。
そして暴走荷馬車が過ぎ去っていった直後に、大通りの反対側からアネッサとソフィアンナが慌てて駆けつけてきた。
しかしそれよりも早く、幾つかの人影が幼子をなだめているリテリアを包囲していた。
先程の衝撃で、リテリアのフードは外れ、その美貌が白日の下に晒されていた。
「まさかこんな形で発見することになろうとはな」
それらの人影のひとつに、見覚えがあった。
王立第四騎士団長、オーウェルだった。
しまった――と思うと同時に、リテリアは駆けつけてこようとするふたりの優しき友に、目線だけでかぶりを振った。来てはならない、と。
そのリテリアの意図を悟ったのか、アネッサもソフィアンナも、奥歯を噛み締めて何かに耐える様な表情で、その場に立ち尽くした。
リテリアはそんなふたりに、心の奥底で感謝した。
(ありがとう……ふたりとも、無事でいてね)
それから、屈強な腕が何本も迫ってきて、リテリアの体躯を戒めた。
この日、大罪人として指名手配されていた特級聖癒士は、遂に王立騎士団の手に落ちた。
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