第18話

 ノックの音が3回、幾分控えめな調子で鳴り響いた。

 リテリアは極力音を立てぬ様にゆっくりと木椅子を引いて立ち上がり、そっと足音を忍ばせながら木製扉へと近付いて、静かに押し開く。

 卓上の燭台が照らし出す範囲は決して広くはないが、すぐ外の廊下に誰が居るのかぐらいは判別可能だ。

 まず、60歳を少し過ぎた初老の男性の穏やかな表情が目に飛び込んでくる。クライトン孤児院の院長ケネディ・クライトンだった。

 クライトン孤児院はかつて孤児だったリテリアが、幼少期を過ごした場所である。クライトン院長はいわば、リテリアにとっては育ての親だといえる存在だった。

 そしてそのすぐ後ろには別の気配がふたつ。ひとりは、ソフィアンナである。

 彼女はリテリアが祈らずの大洞窟からの脱出を果たして王都シンフェニアポリスに辿り着いて以降、支援の為にたびたび顔を見せてくれていた。

 この日もソフィアンナは不安げな表情の中に、幾らかの安堵を織り交ぜている。リテリアがクライトン孤児院に匿われて以来足繁く通ってくれているのだが、その顔色はいつもどこか青ざめている様に見えた。

 本当に、申し訳無く思う。

 今やリテリアは国を追われる大罪人だ。そんな自分の為に、上級聖癒士としての立場もあるソフィアンナがこうして頻繁に訪れてくれるのは、相当に神経をすり減らす行為に違いない。

 そんな彼女が聖導会の目を誤魔化しつつ色々と支援をしてくれるのは有り難い話ではあったが、出来ればソフィアンナには無理して欲しくないとも思う。自身のことでソフィアンナに何らかの犠牲を強いてしまうのは、リテリアの望むところではなかった。

 そんなソフィアンナに感謝と申し訳無さを同時に感じつつ、リテリアはもうひとつの気配にふと意識を寄せ、そして思わず大きな声を上げてしまいそうになった。

 そのもうひとりの影は、完全に予想外の人物だった。


「リテリア、良かった……本当に無事だったのね」

「え……アネッサ? どうしてここに?」


 かつての同僚アネッサが、クライトン院長に案内される形で部屋の中へ通された。アネッサは背負っていた荷物を放り出すと、笑顔を弾けさせてリテリアに抱き着いてきた。


「あたしね、クルアドーで万職をやってるんだけど、瓦版でリテリアのことを見て、もう居ても立ってもいられなくなっちゃって……」


 だからこうして駆けつけてきた、とアネッサはいう。彼女はカレアナ聖導会シンフェニアポリス本部でソフィアンナと再会し、リテリアを密かに支援している小さな体制があることを知って、こうして自ら加わってきたのだという。

 リテリアはソフィアンナを見た。そのソフィアンナは苦笑を滲ませつつ、小さくかぶりを振った。アネッサは一度いい出したら己の意志に従って邁進する性格だから、止めようがないという意味合いなのだろう。

 そんな彼女らの喜ぶ姿をしばし黙って眺めていたクライトン院長だが、頃合いを見て咳払いを発し、薄暗い室内で渋い声を響かせ始めた。


「申し訳ないが、旧交を温めるのはまた後程に続けて貰うとして、今はまず話すべきことを話そう」

「あ、そうだね……御免、うっかりしてた」


 アネッサは慌ててリテリアから離れて、頭を掻いた。するとソフィアンナが燭台の置かれている卓上に、2枚の図面を広げた。王都シンフェニアポリスの見取り図と、エヴェレウス王国の簡易領土図だった。

 ここでアネッサが先程までの明るい表情とは打って変わって、真剣な面持ちでリテリアに視線を向けた。


「リテリア……王国に未練はある?」


 もし無ければ、国外への脱出を提案したい――アネッサの言葉に、リテリアは驚きを隠せなかった。


「そんなこと、出来るの?」

「聖癒士だったら無理だけど、万職なら問題無しよ」


 万職相互組合が支部や拠点を置いているのは、エヴェレウス王国だけではない。どの国に於いても万職の存在意義と権利は共通であり、相互組合は国の為ではなく、一貫して万職の為にその権限を行使する。

 各国政府に対しては万職相互組合は飽くまでも中立であり、治外法権をも許されている。全世界の万職相互組合が立ち上がれば、国のひとつやふたつを相手取って真正面からやり合うことだって、決して珍しい話ではなかった。


「残念だけど、リテリアが特級聖癒士だからといって、このまま王国に留まっていたんじゃ何も解決しないと思う」


 アネッサの言葉に、クライトン院長とソフィアンナも渋い表情で頷いた。

 今、リテリアの敵に廻っているのは王国政府であり、六大公爵家の序列第二位の高位貴族だ。どれ程にリテリアが無罪を主張し、その支援者が声高に叫んだところで勝負にならないというのが、クライトン院長、ソフィアンナ、アネッサらの共通した意見らしい。


「腹立たしいとは思うけど、でも今は、生き延びることに主眼を置いた方が良い思うわ」


 ソフィアンナが厳しい表情で、リテリアの沈んだ色にまみれた美貌を覗き込んできた。

 しかし、リテリアが気に病んでいるのは己の正当性や特級聖癒士としての権利などではなかった。


「私が居なくなったら……騎士団の皆様、大丈夫かしら」

「え……この期に及んで、まだそんなこと気にしてたの?」


 アネッサが呆れた様子で声を裏返した。一方、クライトン院長とソフィアンナは、それこそリテリアらしいと苦笑を滲ませている。

 リテリアは、先のセルメド村方面中型凶獣殲滅作戦の様に高位の聖癒士の帯同が要請された場合、未だ独り立ちしていない暁の聖女と組まされる可能性を何より危惧していた。


「あの方はまだ、聖女として何ひとつ機能していないわ……そうなったら、次に苦労を背負い込むのはソフィアンナや、他の上級聖癒士かも知れないのよ」

「でもだからって、今の貴女に何をどうこうすることは出来ないでしょ?」


 ソフィアンナに諭され、リテリアは黙って俯くしか無い。確かに彼女のいう通りだ。が、リテリアの中では更にもうひとつ、どうしても後ろ髪を引かれる材料があった。


(アルゼン様……)


 リテリアに屈託の無い笑顔を見せてくれた、若き近衛騎士の姿が脳裏に浮かぶ。

 大罪人として国を追われる今となっては、彼の為に何かが出来るということは無い。それでも、リテリアの決意を鈍らせるだけの大きなしこりとなって、彼女の心の中に根を下ろしていた。

 生き延びることを考えれば、もうこの国を去る以外に手はない。だがせめて、アルゼンだけにでも自身の無事と今後の動向を伝えておきたい。

 そう願うのは、果たして我儘だろうか。


「まぁ、今すぐに決断しろとはいわないけど……それよりアネッサ。ちょっと気になる話を聞いたんだけど」


 不意にソフィアンナがアネッサに別の話題を振った。アネッサは何事かと小首を傾げている。


「ソウルケイジってひとのこと、何か知ってる? 何でもクルアドーからやってきた、凄い万職さんだって話なんだけど」

「知ってるも何も、あたしも一度、危ないところを助けて貰ったからね」


 アネッサの応えにソフィアンナのみならず、リテリアとクライトン院長も驚きの表情を浮かべた。

 が、アネッサは眉間に皺を寄せて、何やら難しい顔を作っている。


「本当はね、ソウルケイジに頼んでリテリアの脱出を手伝って貰おうかって思ってたんだけど、彼って今、光金級に昇格して王国政府も囲い込みにかかってるでしょ? そうなると流石に声かけ辛いなぁって思ってて」


 アネッサ曰く、ソウルケイジさえ味方につけられれば、エヴェレウス王国のどんな精強な騎士団が追手となって迫ってきても絶対に安心出来るのに、という程の凄まじい戦闘力の持ち主らしい。

 実際、ソウルケイジが祈らずの大洞窟に巣食っていた中型凶獣をたったひとりで殲滅したという話は、身を隠しているリテリアの耳にも入ってくる程の有名な逸話として、王都中に広まっている。

 一体、どれ程に凄い人物なのか。

 リテリアは己の境遇云々は別にして、ただ純粋にソウルケイジの人柄と実力に、ひとりの聖癒士として興味を抱いた。

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