第15話
あれから一週間と少しが経過した。
クロルドはその日も朝から王家の執務に着手しているが、未だに中型凶獣討伐戦の失敗が心理的に尾を引いており、専属執事のティオル・バラントが差し出す決裁文書の山を見ても、すぐに手を出そうとはしなかった。
「ご気分が優れないのですか?」
クロルドとは然程に年が離れていないティオルだが、その言動や物腰は十歳以上年上ではないかと思える程に落ち着いており、まるで人生の大先輩の如き大人の余裕すら感じさせる。
可能であれば自分もティオル程の精神的な図太さが欲しいぐらいだと何度も内心で溜息を漏らしたクロルドだったが、こんなことを面と向かっていったところで、当のティオルは眉ひとつ動かさないだろう。
「いや……何でもない。今日の分はこれだけか?」
未決箱に投入された決裁文書の量を片目でちらりと覗き見ながら、クロルドは熱い紅茶が注がれたティーカップへと手を伸ばした。
そんなクロルドに、ティオルは僅かに眉間を寄せて腰をかがめ、覗き込む様な仕草を見せた。
「もしかして、リテリア・ローデルク容疑者のことをお考えになられていたのでは?」
瞬間、クロルドは危うくむせ返りそうになった。こんなところで紅茶を噴き出してしまっては、公文たる決裁文書を汚してしまいかねない。
それにしても、相変わらず遠慮容赦無くズバズバと切り込んでくる男だ――クロルドは我が専属執事ながら、空恐ろしく思うことが少なくなかった。
「そんなことはどうでも良い……それよりも、祈らずの大洞窟の凶獣共……奴らを早く、何とかせねばならんな……」
クロルドは何とか話題を変えようと、過日撤退を強いられたセルメド村方面中型凶獣殲滅作戦の失敗を敢えて口にした。
この話題ならばリテリアのことをこれ以上訊かれることも無いだろうとの思惑だったのだが、しかしティオルから返ってきたのは、そのクロルドの想定を遥かに上回るものであった。
「おや、ご存じありませんでしたか。あの祈らずの大洞窟でしたら、つい先日、全ての中型凶獣の討伐が完了しておりますよ」
今度こそ、クロルドは紅茶を噴き出してしまった。
とてもではないが、信じられる話では無い。職務中は決して冗談など口にしないティオルが、この時ばかりは例を覆して与太話を吐いたのかとすら思えた。
ところがティオルの表情は、至極真面目だった。寧ろ、何をそんなに驚いているのかと意外そうな表情を浮かべていた。
「い、いつだ? いつ、討伐されたんだ? 僕の元には何の報告も上がっていないぞ? どこの騎士団だ?」
「騎士団ではありません。万職です」
クロルドは我を忘れて、あんぐりと口を開けっ放しのまま呆けた表情を浮かべた。
しかしティオルはそんなクロルドの反応などまるでお構いなしに話を続けた。曰く、殲滅作戦が失敗に終わったことを知った王都の商人組合が、中型凶獣が更に活性化して商路への攻撃に出ることを恐れ、背に腹は代えられない思いで王都の万職相互組合に討伐依頼を申し入れたのだという。
当初、組合側でもこの依頼を受ける万職は現れないだろうと推測し、渋い顔を返してきたらしいのだが、奇特にも、ひとりの万職がこの依頼を受けたという話だった。
「まさか……たったひとりで、あの化け物共を?」
クロルドは今も、あの時の惨状を覚えている。騎士団ひとつが半壊し、多くの若い命が失われた地獄の様な光景だった。
まさに災厄といっても良い程の恐ろしさだった。それを、たったひとりの万職が始末してしまったというのだろうか。
まず普通に考えて、にわかには信じられない。
だがティオルは、依頼の見届け人として派遣された万職や商人組合所属私兵が、討伐の結果を間違い無く確認したと証言している旨を告げた。
クロルドは思わず立ち上がった。それ程の強さを誇る万職など、普通では考えられない。
「その万職の名は、聞いているか?」
「はい。先日光金級に昇格した、ソウルケイジなる人物だそうです」
更なる衝撃が、クロルドの全身を貫いていった。
光金級――その誕生は、十数年にひとりともいわれる程の逸材だ。実際、今の光金級万職は大半が引退間近のベテランばかりであり、王国内を見渡しても現役クラスの最強階級となれば、純銀級が何人か居る程度だといわれている。
その様な状況の中で、光金級が新たに誕生したというのか。
「……試験担当は、誰だ?」
「ジーク殿です」
その瞬間、クロルドは尻餅をつく様な勢いで豪奢な執務椅子に座り込んだ。全身から、変な汗が噴き出している。
ティオルが口にしたジークという人物は、エヴェレウス王国騎士団総長、即ち王国内全ての騎士のトップに立つジーク・バルハンドロ侯爵を指す。彼は20年前までは万職だったのだが、その力量を買われて現在の地位を与えられた。
その時のジークの万職階級が、光金級だった。
万職試験官は、自分より高い階級を受験者に承認することは出来ない。昇格させられるのは、試験官と同じ階級までだ。
そしてジークは決して、甘い男ではない。その彼が認めたということは、ソウルケイジなる人物の実力は間違い無いということだろう。
「決裁文書は後だ。兄上と会ってくる」
クロルドは己の執務室を飛び出した。最早、公文書執務どころではない。
光金級万職は、その戦闘力だけで小国の全兵力に匹敵するともいわれる。だからこそ20年前、父王はジークを他国の手に渡らせまいとして王国騎士団総長のポストを用意し、彼を迎え入れたのだ。
このままソウルケイジという男を放っておけば、下手をすれば内政にも大きな影響を与えかねない。
であれば、父王にすぐにでも進言しなければならないところであろうが、しかしその前にクロルドは、王太子である兄とも相談すべきだと考えた。
王太子アーサー・サディア・エヴェレウスはクロルド以上に頭が冴える。まずはその兄の見解を聞く。それからでも、遅くはないだろう。
今、アーサーは宮廷魔法術士らとの定例会合に出席している筈だ。
割り込みになって申し訳無く思うが、今は兎に角、アーサーの意見を聞かなければならなかった。
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