第14話
リテリアは、孤児だった。
彼女が育ったのは、エヴェレウス王国王都シンフェニアポリスの街壁外に位置する小さな孤児院だった。
兄弟姉妹同然に育った他の孤児達からも好かれ、一生ここで暮らしても良いとまで思う様になっていた。
ところが8歳の誕生日に、ひとつの転機を迎えた。
カレアナ聖導会が主催する霊素判定会に、王都在住孤児の少女らが全て招集されたのである。長年に亘ってどの高位貴族からも特級聖癒士が排出されていない現状を憂いた当時の大聖導尊師が平民のみならず、親を持たない子供にもチャンスを与えようと英断を下したという話だった。
リテリアはそこで類稀なる才能を発揮した。
カレアナ聖導会シンフェニアポリス本部で筆頭聖導師を務めるブラント・シェドルが、すぐさま出入り商人のローデルクに掛け合い、リテリアの戸籍上の養父母として彼女を受け入れる様に説得した。
こうして生まれて初めて姓を得たリテリアは育ての親である孤児院の院長から送り出され、聖癒士見習いとして聖導会での生活をスタートした。
リテリアは聖癒士として順調に育ち、14歳の時点で上級聖癒士に就任した。異例の速さだった。
そして翌年、特級聖癒士の称号を得た。
この時リテリアは、十年にひとりの逸材だともてはやされ、一躍時のひととなった。
これ以降彼女は毎日の様に研鑽を重ね、同時に王立騎士団や近衛騎士団の任務に帯同し、聖癒士として数多くの任務をこなした。
彼女に命を救われた者の数は三桁にまで昇り、その人気と名声は決して揺らぐことはないだろうと噂され、リテリアの元には多くの求婚者が足を運ぶ様になった。
そんな生活が更に2年程続いたが、その過程でエヴェレウス王家から婚姻の話が届いた。
そして未来の夫として選ばれたのが、第二王子のクロルドだった。
その当時、既に剣の王子としての実績を重ねていたクロルドは、武人一辺倒ではなく、文学や政治、芸術などにも造詣が深い才人として、王太子である兄を支える重要なポストを固めつつあった。
一方でクロルドは、リテリアをいつも気にかけてくれていた。
将来の妻としてだけではなく、ひとりの友人として接してくれる様になった。
そのクロルドが今、リテリアに侮蔑と怒りの眼差しを向けている。こんなことは初めてだった。
騙された、或いは裏切られた――その絶望が彼を押し包んでいるのかも知れない。
どうしてこんなことになったのか。リテリア自身にも、よく分からない。彼女はただ、祈らずの大洞窟に挑む大勢の騎士達の命を救いたかった。
ただ、それだけだった。
しかし今のこの状況は、どうだろう。
リテリアは咄嗟の反応だったとはいえ、戦闘態勢を取っている。自分としては突然刃を抜いた騎士達を警戒する為の行動だったに過ぎないのだが、傍から見れば、メディスに乱暴狼藉を働こうとした様にも見える。
そしてとどめとなったのが、メディスの悲鳴だった。
それまで息を潜めて河原近くの茂みに身を潜めていたらしいクロルドやオーウェルは、メディスの悲鳴を聞きつけて飛び出してきたその瞬間、全てを誤解したに違いない。
だが、この場の一体誰が、リテリアの声に耳を傾けてくれるだろうか。
(私は……もう、このまま生きてちゃいけないのかな……)
リテリアは僅かに瞼を伏せた。
これまで多くのひとの命を救って来た。誰にも死んで欲しくないと強く願っていたからだ。
翻って、己の命はどうだろうか。他人の生死にばかり心を砕いてきた彼女が、自分自身の人生についてはどこまで真剣に考えたことがあっただろうか。
(……嫌だ)
リテリアは自分でも驚く程に、この瞬間、死を拒絶した。
生きたいと思った。
何の為にとか、或いは誰の為にとか、そんなことは思考の外だ。ただ兎に角、生きたいとだけ願った。
蔑まれても良い。憎まれても良い。
ただもう一度、孤児院で共に過ごした皆や、幼い自分を育ててくれたあの優しい院長と会いたい。会って、感謝を伝えたい。
聖癒士として苦楽を共にした同僚達、特にソフィアンナにはお別れの挨拶をいいたい。
でも、どうすれば良いのか、分からない。
この場で自分を助けてくれるひとは、誰も居ない。こんな状況で、何をどうすれば――。
そこまで考えて、頭が真っ白になりかけた。
クロルドからの射抜く様な視線が痛い。その辛さに耐えられず、思わず目を逸らした。そして、その視線の先に思わぬ人物の姿が映った。
アルゼンだった。
彼は、ほんの一瞬だけ清流の向こう側に視線を走らせた。まるで、目で追ってくれといわんばかりに。
その目線に釣られて、リテリアは後方を振り返った。その先で清流は急に流れを変え、深さのある濁流へと勢いを変えていたのである。
この時、内心であっと声を漏らした。
以前リテリアは雑談の中で、自分が泳ぎが得意だということをアルゼンに話したことがあった。
逃げろ――アルゼンは、リテリアの背中を押してくれようとしているのか。
そして、改めて周囲を見渡した。どの騎士も、金属製の鎧を着込んでいる。到底、泳ぎには適さない装備だ。とてもではないが、あの激しい濁流の中を追いかけてくるとは思えない。
リテリアは、意を決した。
(私は……生きる!)
次の瞬間、リテリアは身を翻して駆けた。
クロルドやオーウェルが何やら叫んでいるらしいが、最早彼女の耳には入らない。
リテリアは轟々と鳴り響く濁流に、何の迷いも無く頭から飛び込んでいった。
(ありがとう、アルゼン様……ありがとう! そして、どうか生きて……!)
うねる様な流れの中で、リテリアはひたすら、アルゼンの無事を祈った。
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