第12話
冷たい刺激を頬に受けて、リテリアの意識が現実へと引き戻された。
瞼を開けると、薄暗い世界が視界の中に飛び込んでくる。同時に、妙に生臭い強烈な異臭が鼻腔を衝いた。どこかで嗅いだ記憶のある臭いだった。
ここはどこなのだろう――しばらく茫漠とした感覚が理性を覆っていたが、次第に記憶が蘇ってきた。
(み……皆は?)
慌てて、起き上がる。その際、左の側頭部に鈍い痛みを感じた。触れてみると、僅かに血が滲んでいるのが分かった。
だが今は、そんなことはどうでも良い。
意識を失う前、リテリアは第四騎士団の元へ駆けつけようとしていた。中型凶獣を相手に廻して激戦を繰り広げていた騎士達に、別の個体の接近と奇襲をいち早く知らせる為であった。
ところが、周辺には何の気配も感じられない。不気味な程に、静まり返っている。
少し離れた位置で、何かが淡い光を放っているのが見えた。恐らく、誰かが落としていった灯輝法術の小杖なのだろう。
リテリアは未だ頭の中で鐘が鳴り響く様な痛みを覚えつつ、ゆっくりと立ち上がり、覚束ない足取りで光り輝く小杖へと歩を寄せていった。
だが、その足が途中で止まった。灯りが届く範囲内に位置を進めたことで、周囲に広がる凄惨な風景が漸く視認出来たからだ。
「そ、そんな……」
思いがけず、震える声が喉の奥から漏れ出した。
この光の周辺には、近衛騎士やオーウェル配下の騎士達が血まみれになって倒れている姿が幾つも転がっていた。ある者は頭部が叩き潰され、ある者は首と胴がほとんど離れ離れになりそうになっている。またある者は、下半身が無かった。
目を背けたくなる様な蹂躙の痕跡が、そこに広がっていた。
そしてリテリアは、目覚めた時から感じていた異臭の正体が、これらの遺体から発せられる血の臭いであることに今、漸く気付いた。
「どうして、こんなことに……」
分からない。一体ここで、何があったのか。
そういえば、他に生き残りは居ないのか。あの恐ろしい中型凶獣はどこへ行ったのか。
だが何よりも今は、すべきことがある。
(早く、ここを出なきゃ……)
もし今もまだ、あの恐るべき怪物が周辺を徘徊しているのなら、一刻も早く大洞窟の外へ脱出しなければならない。
リテリアは、唇を噛み締めた。ここで遺体を晒し者にさせられている者達は、リテリアが気絶さえしなければ死なずに済んだのかも知れない。そう考えると、ひとりでおめおめと逃げ帰ることに、どうしようもない罪悪感を覚えた。
それでも、大洞窟の外へ向かわなければならない。もしかすると、大洞窟入り口に張っている本陣にも、被害が出ているかも知れないからだ。
もし凶獣が外へ飛び出し、本陣に残っていた皆を攻撃していたらと考えると、胸の奥が締め付けられる様な苦しさを覚える。
リテリアは、無残な死を遂げた騎士達に深々と頭を下げた。必ずもう一度戻ってきて、全員の遺体を家族の元へ送り届けるからと、心の内で何度も約束した。
そうして、何とか必死の思いで外を目指した。
今が昼なのか夜なのかも、分からない。ただ兎に角、本陣へ戻らなければならない。その一心で、リテリアはひたすらに大洞窟内を彷徨い歩いた。
やがて、前方に光が見えてきた。あの色合いはどうやら、夕刻の陽射しの様だ。
リテリアは乱れる呼吸を必死に整えながら、足を急がせた。あそこに辿り着けさえすれば、何とかなる。状況が全て把握出来る。その思いだけで、鉛の様に重い体を動かし続けた。
兎に角、皆、無事で居て――最早祈りに近い言葉を心の内で何度も呟きながら、リテリアは大洞窟の外を目指した。
そして遂に、辿り着いた。
赤みを帯びた斜陽の中で、多くの騎士達が傷だらけでそこかしこに倒れ込んでいる。その中を、メディスが右往左往しながら治癒活動に励んでいるのが見えた。
だが少なくとも、脱出した者は全員、辛うじて生きている様だ。それが分かっただけでも、リテリアは胸の奥から熱い物が込み上げそうになった。
ところが。
「貴様……この売国女がぁ! どの面下げて帰ってきやがったぁ!」
横合いから突如、凄まじい力で殴りつけられ、更にそのまま胸倉を掴まれて引き摺り起こされた。
目の前に、顔を真っ赤にして憤怒の激情を爆発させているオーウェルの姿があった。
「貴様が! 貴様が敵前逃亡などしなければ、誰も死ぬことは無かったのだぞ!」
その怒りの咆哮に、リテリアは言葉を失った。
このひとは、何をいっているのだろうか。敵前逃亡とは一体、何のことなのか。
理解が、追い付かない。否、そんなことよりも今は、傷ついた仲間達への治癒活動が必要だ。メディスひとりでは到底全員を治すことなど不可能だ。
だから早く、この手を放して欲しい。
「ネ、ネブラー様……こ、この手を、放して、下さい……皆さんを、治さないと……」
「貴様、どの口がそんな台詞を!」
凄まじい衝撃が全身に襲い掛かる。地面に叩きつけられたらしい。リテリアは息が出来ず、その場にうずくまった。
そして視界の端で、恐ろしいものを見た。オーウェルが長剣を抜き払い、頭上に振り上げている。その斬撃の先はどう見ても、今地上でうずくまっているリテリアに向けられていた。
「駄目だ、騎士団長!」
クロルドが慌ててオーウェルの腕に飛びつき、その動きを制した。次いでレンダルが、脇腹に体当たりを叩き込んだ。
「冷静になれ、ネブラー! 今は他にすべきことがあろう!」
そのレンダルの一喝を浴びて、オーウェルは漸く剣を下ろした。
これで、助かった。
リテリアはほっと胸を撫で下ろす思いだったが、しかしその表情は次の瞬間、再び凍り付いた。
確かにリテリアの命を守る為にとオーウェルを制したクロルドとレンダルだったが、ふたりから浴びせかけられる視線はいずれも、侮蔑と怒り、更には幾分の憎悪までもが入り混じったものだった。
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