第11話
暗闇の中で、冷たい空気がリテリアの頬を鋭く刺激する。
「寒くありませんか?」
傍らから、長剣を携えたアルゼンが穏やかな表情で僅かに覗き込む仕草を見せた。
「はい……これくらい、平気です」
リテリアは灯輝法術が仕掛けられた小さな杖を左手に掲げたまま、静かに笑みを返した。周囲にも幾つか、同じく灯輝法術を光源として陣形を張っている近衛騎士の姿が見えた。
ここは、祈らずの大洞窟内。
入り口から踏み込んで凡そ10分程の距離だ。
途中、蝙蝠型の敵性闇獣の群れと遭遇したが、いずれも近衛騎士達がそれぞれの剣技を振るい、素早く仕留めている。それらの戦闘では誰ひとり傷つく者などおらず、リテリアの出番は皆無だった。
リテリアは現在、最初の中型凶獣撃破の為に動いている第四騎士団の後方治癒担当として、近衛騎士選抜隊の面々と共に大洞窟内のブロッキングポイントに位置を取っていた。
ブロッキングポイントとは、要は他の中型凶獣の接近を阻止する為の位置取りだ。同時に、現在交戦中の第四騎士団のもとへすぐに駆け付けることが出来る場所でもある。
今のところはオーウェルから何の要請も届いていないが、ひとたび緊急事態発生となれば、リテリアは即座に戦闘現場へと走り、負傷兵のケアに務める運びとなっていた。
現在、リテリアの位置から見て入り口方向から反対側の右手奥方向に、第四騎士団は兵力を突入させている。そこで激戦が繰り広げられている証拠に、剣戟の音や怪物が撒き散らす咆哮が、洞窟内の壁を震わせながら殷々と鳴り響いてきている。
その戦闘音には時折、中級宮廷魔法術士らが仕掛ける炎系や風系の攻撃魔法の炸裂音が混ざり込んでいた。中型凶獣の叫び声の中には悲鳴に近しいものも紛れており、戦局は騎士団側が有利に運んでいると見て良さそうだった。
「どうやら初日は、上手くいきそうですね」
アルゼンが若干ほっとした様な、安堵に近しい吐息を漏らした。彼は決して技量が低い訳ではないが、それでも矢張り相手が凶獣となると不安が先に出てきてしまうのだろう。
凶獣は、数多い敵性闇獣の中でもトップクラスに危険な連中である。そのランクは最強の極大から始まり、大型、中型、小型、矮小級へと序列が並んでいる。
小型や矮小級ならば優れた万職でも単独、或いは数名がかりで撃退可能だが、中型ともなれば訓練された騎士団が部隊を率いて当たらなければならない。
更に大型ともなれば二個騎士団程度の兵力が必要となり、極大ともなればひとつの都市の全兵力をぶつけなければ撃退など不可能であろう。
そして何より厄介なのが、凶獣には特定の種や形態というものが無いという点であろう。どちらかといえば、既存の敵性闇獣が凶獣化して特殊な怪物へと変貌するというケースが多いといわれている。
今回この祈らずの大洞窟に現れた群れは、鉄爪猿と呼ばれる種の魔性闇獣が凶獣化したものであった。
鉄爪猿はもともとが群れを作って人類に害を為す怪物共だったから、凶獣化しても同じ様に群れを作って祈らずの大洞窟内に棲みついたものと思われる。
それらを分断し、一個体ずつ撃破してゆくのが、今回の作戦であった。如何にして敵に連携を取らせず、一体ずつ迅速に仕留めてゆくことが出来るかが、成否の鍵を握っているといって良い。
「もうそろそろ……でしょうか?」
リテリアは凶獣の雄叫びの中に、断末魔に近しい悲鳴を聞き取る様になっていた。オーウェル率いる第四騎士団がいよいよ、とどめを刺そうとしているのかも知れない。
この調子なら、初日の戦闘はクロルドに良い報告が出来そうだ。
そんなことを思いながら、リテリアはふと傍らのアルゼンに振り向き――そして、その場に凍り付いた。
「ア、アルゼン……様……」
アルゼンの頭上に、闇を抜けて巨大な手が伸びようとしていた。アルゼンはその気配に全く気付いていない様子だったが、リテリアの愕然とした表情を受けて何かを察したのか、咄嗟に横っ飛びに体躯を弾けさせた。
直後、鋭い鉤爪が空を切った。
「リテリア嬢!」
次いでアルゼンはリテリアの細いウェストに片腕を廻して、一気に岩から岩へと跳んだ。
もしあのままリテリアが歩を動かさずにその場に留まっていたら、鋭い鉤爪が立て続けに豪腕を振るい、リテリアの上半身を瞬時に薙ぎ払っていただろう。
「くそ……まさか、ここまで接近していたなんて!」
叫んだアルゼンに、他の近衛騎士達も気付いた様だ。彼らは陣形を歪めて、慌てて駆け寄ってくる。だが、敵の姿がはっきりと見えない。
或いは、天井に張り付いているのだろうか。
だが、ここで考えるべきことは、為すべきことはひとつだった。
「リテリア嬢! 第四騎士団に伝令を! 撃破後、速やかに後退せよ、と!」
「は、はい!」
アルゼンの指示を受けて、リテリアは即座に第四騎士団が戦闘中の区域へと走り出した。
が、彼女は第四騎士団の元に辿り着くことは出来なかった。
リテリアがアルゼンのもとから離れて十数メートル程走ったところで、不意に側頭部が強い衝撃に襲われた。そしてそのまま、意識が混濁し始めた。
(え……なに……?)
この時のリテリアには、理性的な思考は不可能だった。ただ凄まじい衝撃と共に、意識が暗い闇の中に堕ちてゆくのを自分でも止められないまま、その場に崩れ落ちるしかなかった。
一体、何が起きたのか。
リテリアはこの時、己の身に降りかかる恐るべき事態を、まだ想像だに出来ていなかった。
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