第10話

 王都シンフェニアポリスから街道を西へ、馬の脚で約二日。

 王家直轄領のセルメド村付近へと到達した王立第四騎士団と近衛騎士選抜隊の混成部隊は、今回の目標地点であるボルカテル渓谷内の大洞窟前に布陣した。

 通称、祈らずの大洞窟。

 内部へ足を踏み入れた者は、死の間際に祈りを捧げる暇も無く瞬時に命を落とすという逸話からその様に名付けられたという。

 この内部に中型凶獣が群れを為して巣を形成しているとの報告が寄せられている。

 大勢の宮廷魔法術士が索敵法術と地形探査法術を駆使して、その内幕を半ばまで明らかにしている。しかし確たる実態は、誰にも分からない。

 魔法術師達が炙り出せるのは飽くまでも仮の現状であり、そこに何が待ち受けているのかについては、内部に入った者が直接その目で確かめるしか方法が無かった。


「中型凶獣の総数は、現時点では12……それ以上に増えたという報告は無いのだな?」


 大洞窟入り口から凡そ百メートルの距離を取った位置に、数多くの天幕が張られている。その中でも最大規模の黒い天幕が指令所として定められ、大勢の将兵やメディス、リテリアといった治癒担当が集められた。

 卓上に広げられた洞内地図には、12カ所に亘って印が刻まれている。中型凶獣が潜んでいるとされるポイントだった。

 今回の殲滅作戦で指揮を執るクロルドは、傍らに立つ参謀役の宮廷魔法術士ラルバ・シクルに改めて問いかけて、その反応を待っていた。

 しばらく洞内地図を凝視していたラルバは、間違いございませんと低く呟き、恭しく頭を下げる。


「一気に全てを仕留めるのは難しいでしょうな」


 第四騎士団長オーウェル・ネブラーが熊の様な巨躯を屈めて、卓上の洞内地図にじっと見入った。体格だけではなく、その強面を覆う黒い髭は、見る者に本物の熊を連想させる。

 そのオーウェルに、近衛騎士選抜隊の長を務めるベテランの近衛騎士レンダル・ギャラハンが少し宜しいかと呼び掛けた。

「今回の作戦では糧食を二週間分、用意してある。であれば、一日に一体ずつ確実に討伐してゆけば宜しいのではありませんか?」

「して、その実現方法は?」

 問い返したのはオーウェルではなく、クロルドだった。どうやらクロルドはレンダルがいわんとしていることを既に頭の中で描いている様子だった。


「一体を第四騎士団で仕留める間に、我が近衛で他の凶獣の接近を阻みます。ご覧の通り、この洞窟は広い場所と狭い場所が混在しており、凶獣を迎撃するポイントをしっかり絞り込めば、第四騎士団が一体を仕留める間に他の凶獣の接近を阻むことが出来ます」

「うむ……僕の考えとほぼ一致するな」


 レンダルの説明を受けて、クロルドは満足げに頷いた。

 オーウェルも凶獣討伐の誉れを自軍が引き受けることが出来るという内容に、異論は無い様子だった。

 この諸将のやり取りを、リテリアは僅かに離れた位置から神妙な面持ちで見つめている。


(やっぱり、凄いひと達だわ……あの地図をさっと見ただけで、あれだけの戦術を簡単に見出すことが出来るなんて……)


 リテリアも、これまで幾度と無く戦場に足を運び、騎士達の治癒活動に奔走してきた。が、実際に戦術面で思考を巡らせる経験は無かった為、凶獣という恐ろしい化け物相手にどの様な戦いを仕掛けるのがベストなのか、全く想像も出来ていなかった。

 しかしクロルドもオーウェルも、そしてレンダルも極めて冷静に、そして効率的な発想で確実に中型凶獣を仕留めてゆく算段を立てている。


(違う世界のひと達なんだな……)


 息を呑む思いで、リテリアは彼らの議論を静かに眺めていた。

 それからしばらくしてひと段落付き、大体の配置や突入経路などが決まったところで、メディスが艶やかな声を投げかけた。むさくるし男達の世界の中に於いては、幾分場違いな雰囲気を漂わせる声音だった。


「少し宜しいでしょうか。その、戦闘時刻についてなのですけれど」


 メディスの言葉に、男達は何事かと小首を傾げた。そして次にメディスが放ったひと言に、僅かに仰天したかの様な仕草を返す。


「出来れば、夜間の戦闘は避けて下さいまし。わたくし、夜はしっかり眠らないと実力が発揮出来ない体質ですので」

「……いや、しかし、敵はどの時間帯に袋小路に移動するか分かりません。ベストな戦闘時刻は、場合によっては深夜になる可能性もあります」


 オーウェルがいかつい顔に、あからさまに困った色を浮かべた。しかしメディスはまるで譲る気は無さそうであった。


「ご存じの通り、わたくしは聖女に覚醒してまだ間もありません。夜間での活動の為の訓練など、受けていないのです。下手をすれば、皆様の足を引っ張りかねないでしょう」


 確かに、その可能性はある。

 だが好機をみすみす手放すのは如何なものか。オーウェルのみならず、レンダルやラルバも苦り切った表情でメディスの申し入れに顔を背けようとしていた。

 ところがクロルドだけは、仕方が無いとかぶりを振った。六大公爵家としては第二位の家格を持つラクテリオ家には、第二王子の立場としても配慮をしなければならないのだろう。


「承知した……では仮に夜間戦闘が余儀無くされた場合は、特級聖癒士殿に少し頑張って頂く、ということで良いかな?」

「はい……私は大丈夫です」


 クロルドに水を向けられ、リテリアは凛とした声で応じた。

 大丈夫だ、今までだって何度も苦しい局面を乗り越えてきたのだから、今回も何とかなる筈――リテリアは己にいい聞かせつつ、心のうちで天上主に祈りを捧げる言葉を素早く唱えた。

 だが、それにしてもよく分からない。

 何故メディスは、こんな戦場に足を運んできたのか。如何に聖女といえども、これでは何の役にも立っていないということを自ら宣言している様なものではないだろうか。


(聖女様には聖女様なりの、お考えがあるのかしら……)


 幾ら考えてみても、全く理解が及ばない。

 だが、これ以上メディスに思考を奪われるのは時間の無駄だ。

 リテリアは諸将が決定した作戦内容についての理解を深めるべく、ラルバが書記として残しておいた議事録に目を通し始めた。

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